息子と僕は同じ病気で繋がっている。#1

ミヤケです!

自分がどれくらい満たされていて、どれくらい幸せなのか。
日常に忙殺されていると中々わからなくなるもんです。
それが悪いということでもなく、それが人間の業というのか、生存戦略というのか、ありのままというのか。
未熟な僕にはまだわかりませんが、とにかくそう感じています。

今回はどんなことを書こうか。
どんなふうに書けば、僕の思っていること伝えられるか。
色々考えましたが、ここはひとつ。ストレートにありのまま書くのがいいんだろうなあと思ってますので、一旦下まで読んでみて下さい!

息子の持っていた運命とは?

妻からのLINEで僕は全てを受け入れる覚悟を決めました・・・
いや、僕の意志などお構いなしに、その覚悟を突きつけられました。

人間というのは、半分を運命、もう半分を自分の意志によって決定づけられていると思っています。
運命というのは残酷で、予め決まっていたり、ある時間軸上に存在していたりします。
その運命を持つかどうかは、ある意味では自分の意思決定によって変えることもできます。Aという運命ではなく、Bという運命。そんなふうに変えられるんだと思っています。

しかし、運命それ自体を変えることは人間にはできません。
人生の中に存在するいくつもの分岐点において、僕たちは膨大は意思決定をしています。
その分岐点の先にある運命に向かって、ある種盲目になりながら歩んでいきます。

その時点にやってきて、ようやくその運命を対峙することになります。

人間として生を受けて9ヶ月。
”生命”と切り取れば、17ヶ月。

彼の手の中にある運命に向き合うこととなりました。

【小児白内障】

息子の右目には視界を完全に塞いでしまうほどの白い曇りが発見されました。

まだ小さな身体。全身でも僕の足の長さほどなので、目の大きさも大人のそれと比べればとても小さいものです。
その小さな小さな眼の中の、ほんの小さな曇り。
1センチもないであろう、その曇りによって、彼と世界は分断されていたのです。

僕と僕以外。

その報告を仕事中に受け、僕は数秒天を仰ぎ、仕事に戻り、・・・数分後に妻に電話をかけました。

僕と妻の会話はまるで、泣きじゃくる子どもと、それを宥めるお兄ちゃんのようでした。

妻を初め、報告した数名全員が口を揃えるように後ろ向きな言葉を並べていました。

僕は皆んなとは、やっぱり違うんだ。

僕は、彼のこと、息子のことをとても冷たく見ているんでしょう。
白内障という事実を聞いても、正直何にも重たく捉えることができません。

やっぱり、違うからです。

彼の患っている小児白内障。
それは、28年前に僕が経験したのと同じものです。
顔だけじゃない、彼は、その小さな小さな曇りでさえも、僕の遺伝子を受け継いでいた可能性がありました。

28年前、平成5年12月に僕は・・・僕の両親は医師から宣告を受けました。
小児白内障、また眼底の傷、それらに伴う弱視の可能性・・・
現在同様、当時でも手術をするのが当然だった中、僕の両親は手術をしない決断をしました。
成長に伴う視力向上に賭ける、というものでした。
結論・・・はまだ時期尚早ですが、今のところ、僕の右目は弱視のままで視力が矯正によってでさえ向上することはありません。
光が奪われているわけではありませんが、正直日常生活で使い物になる場面は殆どありません。
さらに、弱視以外にも、眼の持つ運命はあったのでしょう。
宣告から十数年後、僕の右目は網膜剥離により三度の手術を余儀なくされ、左目も白内障によって手術を余儀なくされました。
幸いにも左目は眼鏡による矯正によって日常生活に支障なく視力を保っています。

僕の歩んできた人生は、多くの人と比べると、あまりに違いがあります。
片目が見えないことなんて当たり前で、残っている片目も矯正しなければ社会生活を送るのに大きな困難が生じます。

どこまでいっても、その価値観を共有することが難しいのはわかっています。

別に大丈夫じゃん?

いくら僕がそう思っても、そうではない価値観があることを認めないことには、前に進めません。

息子が、というよりも、僕の課題なんですね。

やっぱり幸せな人生が確定してるんだな。コイツは。

この数日間で、彼の人生がどう動いたのか。
病気が見つかったことによってビハインドを迎えたのか、
本来あるものが奪われたのか。

そういった捉え方もできると思います。

ですが、僕には、

彼が人生の中にある幸せを感じるために必要なこと

であると感じています。

noteでもYoutubeライブでも何度も言いましたが、
僕は自分の眼によって、良いことがもたらされたことは数あれど、悪かったことは殆どありませんでした。
元気いっぱいな僕ですが、同時に自分の身体に向き合うことで、人の抱える苦しみや苦悩、社会の生きづらさや他人との比較など、多くのことを学び感じることができました。

かけがえのない経験だったと思います。

その経験がなければ、僕は今まで多くの人に支えられて生きてくることができなかったでしょう。
多くの人に感謝して生きることができなかったでしょう。

息子の幸せは、眼の病気によって阻害されてしまうのか。

絶対にありません。

彼にはそこそこの身体機能が備わっていて(手足がある)、家族がみんな元気で、裕福ではないにしろ金銭的に困ることも当面はない、地域の人に覚えてもらって可愛がってもらって・・・

かなり恵まれています。

そして、ここにきて、多くの人に経験できないことを、わずか生後9ヶ月にして手にすることができました。

コイツは幸せです。
幸せな人生を送ることが確定しています。

だから、
精一杯に自分の人生を生きて、
周囲にいる大切な人を大切にして、
幸せを感じて欲しいと思います。

これから向き合っていくこと。

彼と僕がこれから向き合っていくことはあります。

・治療方針
・手術方法
・術後の治療方法
・長年にわたる検査と経過観察
・生活リズムの最適化

クリティカルなところで上げればこんな感じでしょう。

今は、僕と彼は同じ言語で話すことができません。
僕は英語ですらおぼつかないので、申し訳ないですが彼の言葉を理解することができません。

しかし、少しずつコミュニケーションが取れるようになれば、彼と一緒に「生き方」を決めていきたいと思います。
自分らしくとか、そんな真面目なことは考えんでいいです。
楽しみゃあええんです。
今日も明日も明後日も、
来週も来月も来年も、
次はどんな楽しいことが待っているのか。
日々楽しみながら生きてくれればなと、僅かながら親のエゴを提示してみたいと思います。

正直、初期段階でのクリティカルなこと以外は、親の介在できることはありません。
どう生きたいか生きるのか、何が楽しいのか、何が幸せだと思うのか。
それを決めるのは彼自身です。

さっさと僕に背を向けて欲しいなと思いながら、
用もないのに彼の横に寝そべり、
用もないのに頬や手や足を触ったりしてます。


また報告します!

なんか面白いことになりそうなので、また報告します!

<終わり>


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