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それは悲劇か、喜劇か(映画『祈りの幕が下りる時』)

阿部寛主演の『祈りの幕が下りる時』を観てきました。

これは『新参者』シリーズの完結編らしいのだけど、わたしはいままで『新参者』を観たことがなかった。東野圭吾ファンでもない。なのになぜ観に行ったか。

こたえは一つ。
松嶋菜々子が出ているからだ。
それも、わけありな風情で。

わたしは松嶋菜々子の演じる、「どう見ても美人で、劇中の男達にも美人だ綺麗だと影に日向に褒めそやされ一目置かれている正統派美女」の役がとても好きだ。さらに気が強かったりなどするということ無し。だからあの顔と声で、「だから、何?」「私は罪に問われますか?」というせりふを吐かれたときには、思わず口を押さえてにやつきを隠した。

わたしがこの映画を観に行こう、と完璧にきめたのは、CMで阿部ちゃん演じる主人公の加賀恭一郎が、松嶋菜々子のことを見たあと、「やっぱチョーキレイだな」とひとり呟いていたシーンを観たからだったのだが、ほんとにこのシーンだけエンドレスリピートしたいくらいよかった。やっぱチョーキレイだな。

綺麗な人がそれに相応しい扱いを受けると、なんでこんなに嬉しいんだろうか。身の丈、というやつか。
考えてみるとわたしは美人がこき下ろされたりするのを見るのがかなり苦手なように思う。いやこんな綺麗な人になにを言ってるの、とバラエティなどではときどき思ってしまうのだ。いや、まあそれをその綺麗な人が是としていればべつにいいのだけど。観てる側の勝手な思いとして。

松嶋菜々子がそういう扱いを受けているところはわたしの記憶にはないが、仮にしようとする誰彼がいたら、松嶋菜々子がそれについてどう思っていようが構わず、馬鹿野郎!と怒鳴ってしまいそうである。松嶋菜々子はそういうんじゃない!と。
そういう意味で、あのひとはわたしにとって特別な女優さんなのだ。

親子、というのが前面に出ていた筋立てであったと思う。

「いい歳こいて、強烈な(発音的には『キョーレツな』)マザコンだ」

かえすがえすも最高なせりふであった。仕事人間の父親が家庭を顧みなかったことと親戚からの苛めによりうつ病になった母親は、加賀が10歳のときに家を出てしまい、二度と戻らなかった。母の晩年を、どのように生きたかを、どうしても知りたい。そのために、16年ものあいだ日本橋に留まって、母の過去と繋がる僅かな手掛かりを探しつづけていた。
それをこんなふうにあっさりと言ってのけてしまう。魅力的だなあ、と思う。なんというか、マンガ的なのだ。もちろんいい意味で。

加賀と母。加賀と父。博美(松嶋菜々子)と父。博美と母。
それぞれのシーンで、大泣きに泣いてしまった。子供の気持ちはもちろん、親の気持ちも、感じ取れる歳になったからかもしれない。男に貢ぐ金欲しさに夫の実印で借金を作って逃げた博美の母にしたって、自分がそうならない保証はどこにもないわけで、そう思うと、物悲しかった。

田中麗奈の、「バカ息子です!」も良かったなあ。なんていい声。表情。加賀がつくづく羨ましい。

阿部ちゃんは、文句なしに良かった。よく一緒の場面で演じていた溝端くんにはわるいけども、完全に違った。別格だった。阿部ちゃんが阿倍仲麻呂を演じている「空海」も観に行きたくなって悩みだした。ドラマでも素敵だけどスクリーンで観る阿部寛はひどく、良い。

古畑任三郎のラスト・ダンスのときも思ったけども、わたしは松嶋菜々子の役が主人公たる刑事を親しげに、「古畑さん!」とか「加賀さん!」とか呼ぶのが好きだ。近づけば自分の犯した罪を暴かれるかもしれないのに、敢えて近づく。あやしまれまいと明るく。時には「わたしを疑っているんでしょう?」というようなことを口にすることもある。その心理戦もふくめて、愛している。

物語の最後まで、松嶋菜々子はうつくしいままだった。捕らえられる、その瞬間でさえ。気高く、うつくしかった。哀しい美人というのは、こんなにもわたしの胸を打つ。

もっと、松嶋菜々子に人殺しの役をやらせてほしい。

#エッセイ #映画 #感想文

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