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紅花栄

白を基調とした清潔感漂うフロアには様々な人が行き交っている。
綺麗に髪を纏め上げるお姉さんたちに微笑みかけられ、それに曖昧に会釈を返しながら、先を行く友人の背中を追う。
すっと吸い込まれるようにフロアの一画に入っていった彼女を見失わないよう、少しだけ足早に人波をすり抜ける。


「いらっしゃいませ。」

四方からかけられる声に軽く頭を下げながら、綺麗に陳列された彩を眺める。
その一つを手に取ると、ほんのり柑橘系の匂いがした。側を通った店員のお姉さんからは、ふわりと甘い匂い。
そういったものが混ざり合って、この一画、ひいてはこのフロア全体を満たしている。



子供のころ、私はこの匂いが苦手だった。



「菜乃花ー?ちょっと…。」


踵を返し、小さめのカウンターに備え付けられた椅子に座る友人の側に近寄る。
彼女の目の前には小さい長方形が3つ並んでいる。
サイズ感やデザインはどれも同じだが、中にある色はそれぞれ全く違う。


「どれもいい色だね。」

「でしょ!どれがいいと思う?」

「えー?どれも似合うと思うけど…それにこれ、店員さんのおススメなんでしょ?」

「そう。」

「じゃ、あとは凛ちゃんが好きなの選べばいいんじゃない?」

「そうなると、このオレンジ系なんだけど…。」

「いいじゃん!マットな感じで可愛いよ。」

「そうじゃなくて!池田くんの好みどれかな、って…。」

ごにょごにょと後半を濁したものの、真っ赤な顔をしていては誤魔化した意味はない。そんな友人の乙女な部分を垣間見て、思わず頬が緩んでしまう。


「なるほどね。…うーん、っていっても私も池田くんとはまだそんなに話したことないし…好みなんてわかんないよ。」

「…でも私よりは仲いいし…。」

「たまたま地元が一緒で話が盛り上がっただけだもん。」

「あと…菜乃花のメイク可愛いって褒めてたし…。」

「え?…あぁ、リップの色がいい色だね、とは言ってたけど…。」

思わず、カウンター上の鏡に映る自分の顔を見る。
唇を飾っているのは、淡い朱色。光の加減によってパールが控えめに輝く。
顔色もよく見えるし、どんな服装にも合い、会社でつけるのにも問題のない色味。


「本当に綺麗な色だよね。」

「ありがとう。これ、プレゼントでもらったやつなんだ。」

「そうなの?じゃあその人、めちゃくちゃ菜乃花のこと分かってるんだね。」

「え?」

「だってすごく似合ってるもん。菜乃花にぴったり。」

「…そうかな?」

脳裏に浮かぶのは、けだるそうに立つ姿。
上京する前日、出張で当日見送りできないからと家まで訪ねてきてくれた彼は、就職祝いに、と小さな紙袋を手渡してくれた。
百貨店の一階などでよく見る高級ブランドのロゴに驚きつつ、中を確認すると、1本のリップ。

薬局のコスメで済ませてしまう私のポーチには一度も入ったことのないそれを握りしめて、顔を上げると、社会人頑張れよ、と頭を撫でられた。
その顔は寸分違わずいつも通りで、あぁ、この人の中で私は、いつまで経っても小さい子供のままなんだな、と悔しくなった。


部屋に戻り、鏡の前に立ち、リップの蓋を開ける。
くるりと底を回し、出てきた真新しい朱色を口元に近づけると、仄かに香る化粧品独特の匂い。

鏡の前で角度を変えつつ色づいた唇を眺めると、今までつけたことのない色味なのに、不思議なくらいしっくりと馴染んでいて、それを選んだのが智にぃだと思うと嬉しいような悔しいような…
なんとも言えない気持ちになったのだ。


「ねぇ。」


ぼんやりとあの日のことを思い出していると、腕をつんつん、とつつかれた。


「彼氏?」

「え?」

「それ、プレゼントしてくれたの。」

「違うよ。」

「なーんだ。はにかんでたように見えたからそうかなー、って思ったのに。」

「えー?そんな顔してた?」

「してたよ!乙女の顔!」

「それは凛ちゃんでしょう。」


そう指摘すれば再び頬を染める友人。
その姿を横目に、カウンターに並べられた長方形を改めて見つめ、その中の一つを指差す。


「これ。」

「え?」

「池田くんの好みは分からないけど、これが一番凛ちゃんに合うと思う。」

「…じゃあ、これにしようかな…。」

「うん!」


笑顔で店員さんと言葉を交わす友人から離れ、店から出る。
辺りには同じようなコスメショップが立ち並び、大勢の人が行き交う通路で、静かに息を吸い込む。

小さい頃は苦手だったこの香りにも、もう慣れた。



「私だって、もう大人なんだぞー。」



小さく呟いた聞こえるはずのない文句は、雑踏の音に掻き消される。

女性だらけであっただろう場所で、智にぃがどんな感じでこのリップを選んでくれたのか…




今度帰ったら詳しく聞いてみよう。




小満

紅花栄(べにばなさかう)

染料や口紅になる紅花の花が咲き誇る頃。

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