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大喜利における「お題提供者冥利」と、さらにその向こう


椎名林檎のカバーアルバム、「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜」。草野マサムネや宇多田ヒカルとのデュエットも収録。



 前回のnote記事にも「お題提供という形でも、積極的に大喜利に参加していきたい」という旨の文を書いたのですが、それ以降、自分のお題が採用されることが結構続いています。以下は自分が採用されたことを確認出来たものです。


◆大喜利茶屋(大喜利Webサイト)

忍者だけの大リーグ球団「テキサス・ニンジャース」の日常


こんなカンフー映画は嫌だ


◆純水会(水猫ラテさん主催の生大喜利会)


 まずは「みやまるお題」に回答していただいた全ての方に、心よりの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!


 大喜利を始める以前から、文章を書くこと、その文章のなかでも小説や演劇などの「ストーリー性」のある文章を書くことが好きなので、お題を考える時点で充分楽しいのですが、これだけ多くの回答者の方とその楽しい記憶を共有できるというのは、本当に嬉しい限りです。お題提供者冥利に尽きます。

 実際に自作お題の回答を見て思ったのは、どのお題も共通して、自分が想定していなかったパターンの回答がとても多かったことです。作成中に立てた予想回答パターンにかなり近い回答もある程度は出ますが、割合としては7:3から8:2くらいで「予想外」の回答が大勢を占めています。


 こうした「題材の広がり方」は今まで経験したことのない類いのものでした。
 もちろん終始自分の頭のみで創作する小説などでも、最初の想定どおり進まず、思わぬ方向に話が転がっていくこともありますし、むしろそういう作品のほうが良い出来になったりもしますが、出来上がった作品を俯瞰してみると、想定どおりにいかなかった部分にも「自分の作風」が表れています。
 自分が起点となった創作がここまで自分の想定と違う広がりを見せるのは、「大喜利お題提供」という創作ならではの面白味かもしれません。


 その「想定外の広がり方」にも通じるのですが、自分で考えたお題に自分が答えても、大してウケないこともあります。先述の純水会では私も自作お題に回答したのですが、「自問自答」だからといって、そこまでスイスイと回答は出せませんでした。

 大喜利だと時々「うわ! このお題、どう答えたらいいんだよ」という難題に出くわすこともありますが、「自問自答」でのアドバンテージは、せいぜいそうした大ピンチを回避できる程度です。全くゼロではありませんが、微々たるプラスしかない気がしますし、裏を返せばそれだけ大喜利の奥深さや、楽しめる間口の広さだと思います。


 自分が思いついたお題で自分よりウケるひとがいるのは嬉しいような、ちょっと悔しいような……。いずれにせよ、これも「大喜利お題提供」という創作ならではの面白さでしょう。

 今後もどんどんお題を提供していこうと思います。


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