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#77追い風しかない。

わたしが今住んでいる地域は、年中風が強くて、春のこの時期も一日の長い時間、ぴゅうぴゅうと音を立てながら風が吹いています。洗濯物が吹きとばされることもあれば、台所の裏のベランダに置いているゴミ箱が倒されていることもあります。

朝起きてカーテンと窓を開け、外の空気を吸い込むのはわたしの日課の一つです。
「今日は一段と風が強いな」
そう感じた日には、テル坊が洗面を済ませ身支度を整えて、朝ごはんを食べ始めたタイミングで、こう語りかけます。

「今朝はけっこうな風が吹いているよ」

何故そんなことを言うかといえば、テル坊は毎日、職場まで自転車で通っているからです。片道20分強ほどの距離ですが、意外とアップダウンもあって、舗装道路はでこぼこしているので、快適な自転車通勤とは言い難い道のりです。その上、風が真正面から吹いてくるとなると、職場に着く前に息切れするような日もあるのではないでしょうか(本人に聞いても「おれはいつも身体を鍛えているから」と言って、本当のところは教えてくれません)。

「あなたの日頃の行いが試される時がきたね」
わたしは意味深な空気感を醸し出しながら言います。

「あなたが日頃、奥さんを大事にしているのであれば、きっと追い風になるよね。でも相当な向かい風だった場合には、悔い改めないとね。奥さんをもっと労わらないとね」
(このセリフに右手の人差し指を立てて、ジェスチャーを加えることもあります)

「ふふふ」
テル坊はわたしの言葉を聞いても、なんちゃことなく朝ごはんを食べ続けています。それから一言。
「追い風しかないわ」
なんと強気な発言でしょう。そんなささやかな会話で二人して笑ってしまいます。

それから15分後、仕事用のリュックを背負ってテル坊が仕事に向かいます。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
家事をしながら、わたしはまた意味深に語りかけます。
「自転車、転ばないようにね。あなたが転んでも、だれも助けてはくれないんだからね」

「ふふふ」
テル坊はまた不敵に笑います。
「大丈夫。転んだら、だれかが助けてくれるから」
こうして中年夫婦の朝の会話は終わり、ガチャンと玄関のとびらの閉まる音がして、テル坊が出かけていきます。

なんということのない、平日に何度も繰り返されるこの会話を、わたしはけっこう楽しんでいます。何が楽しいのかと言うと、ほぼ意味のないわたしの問いかけに、意味はないなと思っているであろうテル坊が、ちゃんと返事を返してくれる、そのやりとりが面白いのです。それに加えて、お互いの性格の違いが会話の中にくっきりと現れています。

テル坊は基本的に楽天家です。自分は晴れ男だと信じて疑いませんし、日々の暮らしの中で大変なことなんてそうそう起こるものではないと思っているタイプです。反対にわたしは、ちょっとでも気を抜いたら何かしらのハプニングやトラブルが、生活の中に舞い込んでしまうのではないかと気に病んでしまうタイプです。

では、現実はどのように回っているかといえば、ちょうど半分半分のような気がします。テル坊が言うように、悩ましすぎる問題はそれほど多くは起こりませんが、時にハッとするような出来事が起こる時には起こります。まったりした毎日も、ハラハラドキドキのハプニングも、結局夫婦ふたりで相談し、笑いあって、なんとか乗り越えていっている、それがわたしたちの現実です。

再婚したテル坊との生活の中で、一番楽なことは何かなと考えてみると、
「お互いのちがいを無理に合わせようとしない」
ことに尽きるような気がします。共同生活においては、もちろん何かを譲ったり譲られたりということはありますが、基本の生き方や考え方については、ちがいをそのままに受け入れてやってきたように思います。それが楽なのです。

「追い風しかないわ」
なんて、わたしが心の底から言えるようになる日はきっと来ないでしょうし、テル坊だってそんなことを豪語しつつも、実際には向かい風に阻まれながら、必死に自転車をこいでいる日もあるのかもしれません。でも、そんな気楽な返事を返してくれるテル坊との生活だから、わたしは自分の持っているほんのちょびっとの、のんびりした気持ちをなくさずにいられるのかもしれません。




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