見出し画像

龍神さまの言うとおり。(第7話)

「ずいぶん濡れちゃったね。大丈夫?」

突然のスコールの中を、急いで駆け込んだ地下鉄の入り口で、洋介はズボンのポケットからハンカチを取り出し、恭子の腕や背中、そして髪に降りかかった雨水を拭おうと軽くはたいた。

「ありがとう。三河くんだってズブ濡れじゃない」

恭子はそう言って、ショルダーバッグからタオル地のハンカチを取り出し、洋介の頭や背広の雨水を拭った。

「なんだか、あの時と一緒だな・・・」

そう言った洋介は、濡れたメカネをハンカチで拭きながら、二十六年前の夏を思い出していた。当時、高校時代の部活動で生物部の部長をしていた洋介は、夏休みを利用して大島キャンプの下見ツアーを一人で計画していた。というのも、生物部は毎年夏休み期間中に、部員全員で八幡浜市の沖合にある大島に一泊して、島内の龍王池周辺に生息する白鷺の生態調査をしていたのである。

その日は土曜日で、夏季補習授業は休みであった。夏の太陽が雲ひとつない青空の中で、ひときわ輝いて見える。

自宅から八幡浜港へ、三十分ほどの道のりを自転車で移動していた洋介は、その途中で見つけた自販機で、ペットボトルの麦茶を買おうと自転車を止めたのだった。背中のリュックから財布を取り出しコインを入れたところで、背後から聞き覚えのある女性の声がした。

「今から、どっか行くの?」

「えっ?」

洋介が驚いて自販機のボタンを押しながら振り返ると、そこにはピンク色のポロシャツに白の短パンで、自転車に乗ったまま声を掛けてきた恭子の姿があった。すらりと伸びた恭子の白い足が、洋介の眼に否が応でも飛び込んでくる。

十日ほど前、二人だけの教室で恭子からラブレターをもらって以来、学校帰りの時間を一緒に過ごしていた洋介であったが、制服姿ではなく普段着姿の恭子を見るのは初めてだった。

「あぁ、言ってなかったかな~、今から大島に日帰りでキャンプの下見に行くんだけど・・・」

「確か、『近いうちに行くよ』っていうことは聞いてたけど、今日だったの?」

「天気がいいしね、急に決めたんだ。どうせ一人だし」

「あの・・・、私も一緒に行っていい?」

「えっ?」

驚く洋介に、恭子は、今から学校の音楽室で発声の自主練習をする予定だったと話した。

腕時計の針は、ちょうど午前十一時を指している。

「まあ、いいけど・・・、帰りはちょっと遅くなるよ」

あまりの嬉しさを隠すように、平静を装いながら腕時計に視線を向けた洋介は、そう言って自販機から麦茶のペットボトルを取り出した。そして、さらにコインを入れると、再度、麦茶のボタンを押して、出てきたボトルを恭子に差し出したのだった。

「ありがとう」

「それじゃ、行こうか」

港までの距離は、自転車であれば五分ほどである。洋介と恭子は、二人並んで自転車を漕ぎ始めた。

「お昼ごはん、どうするの?」

並んで走る恭子が聞いてきた。

「ああ、大島の港に食堂があるから、そこで食べるつもりだよ」

「わたし・・・、自分用に、お弁当持ってるんだけど・・・」

「じゃ、そこで一緒に座って食べればいいじゃん」

そんな会話をしながら港へ向かっていた二人は、周辺が急に暗くなってきたことに気づくと、思わず自転車を止めて空を見上げた。大島行きフェリー乗り場の小さな建物は、もう目の前にある。

「やばい、あの待合室へ急ごう」

洋介がそう言ったところで、大粒の雨が二人の上に降り始めたのだった。

フェリー乗り場の小さな待合室の中へ急いで入ると、洋介はズボンからハンカチを取り出して、濡れてしまった恭子の頭や背中の水滴を、はたくように拭った。

「ありがとう」

そう言って恭子は、洋介を見つめると、しばらく二人は向かい合ったまま、待合室で立ち尽くしたのだった。

「ただいまより、大島行きフェリーの乗船を開始します」

館内アナウンスの声に、洋介は「そろそろ行こうか」と言いながら、恭子の手を取ると、切符売場へと向かった。

スコールのような雨は、短時間で止んだらしく、切符売り場の左手にある乗り場の奥には、太陽の光に照らされた小型のフェリーと、その向こうには、再び青空が広がっていた。

第8話へ続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?