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龍神さまの言うとおり。(第16話)

二人は、西新宿にあるヒルトンホテルのロビーを出ると、すぐ左手にあるタクシー乗り場へと向かった。先ほどまで降っていたスコールのような雨は、すでに止んでいる。

「運転手さん、新宿三丁目の交差点まで行って下さい。青梅街道から新宿大ガードをくぐって、新宿通りを走るルートで・・・」

先にタクシー車内に入った洋介は、ドライバーにルートを告げると、後から隣の座席にすわった恭子の右手を強く握りしめた。既に妻の恵子には、帰りが遅くなることを伝えている。そんな些細な既成事実が、いまの洋介を幾分大胆にさせていたのかもしれない。

走り始めた車内で、二人は無言のままだった。そして、車が青梅街道に入ったところで洋介が、おもむろに話し始めた。

「北山さんって、高校時代の頃から、あまり変わってないね」

「それって・・・、まだ子供っぽいってこと?」

「いや、外見のこと。どう見ても四十三歳には見えないよ。まだ三十歳前半の若さだね」

「三河くんだって、全然オジサンっぽくないわ。何より、お腹が出てないし、脊が高くてスマートなところは、あの頃のままよ」

「ホント?ありがとう」

洋介はそう言って、隣に座る恭子へ視線を向けようとした瞬間、ルームミラー越しにタクシードライバーと目が合った。

「運転手さん、もう少し先の、新宿三丁目の交差点を越えた交番のところで車を停めて下さい」

洋介は、運転手と偶然目が合ったことに、ある種の違和感を覚えたが、その感情を打ち消すため、敢えてそう言って停車場所を指示したのだった。

車はすでに新宿大ガードを過ぎ、薄暮の中で眩しい光を放ち始めた繁華街を走っている。そして、新宿三丁目の信号を過ぎたところでタクシードライバーは車を停めた。

「お客様、この辺りでよろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫です」

そう言って洋介は、恭子と繋いでいた手を離して、支払いを済ませようとした。しかし、恭子は前を向いたまま、外に出ようとしない。ドライバーは、後部座席のドアを既に開放させている。

「い・や・だ!降りたくない」

恭子の言葉に、洋介は戸惑った。

「マジ?」

「運転手さん、このまま歌舞伎町まで行ってもらえないかしら?」

「えっ?」

その後、何も言えなくなった洋介は、そう言う恭子の指示通り、ドライバーへ歌舞伎町へ行くように告げた。

「確か、北山さんって、血液型はB型だったよね」

再び動き始めたタクシーの車内で、洋介が言った。

「そうよ、三河くんは確か・・・、O型よね」

「そうだけど、いまのB型っぽい振る舞いを見ると、また昔のことを思い出したよ。高校時代、放課後の帰りに、北山さんが急に自分だけ何も言わずに自転車で走り去ったことがあったじゃん」

洋介の話しを聞きながら、恭子は、それとなく自分の右腕を洋介の左腕にからませた。せのせいか、タクシーの後部座席で寄り添う二人は、互いに体の温もりを感じることで、本能的な感情を一段と高ぶらせたのだった。

いつの間にかタクシーは、明治通りの花園神社前を通り過ぎている。

「ああ、あの時ね。三河くんの誕生日に、キルト地のメガネケースを作ってあげた時のことかな。仕上げの段階で、止め具のボタンが無かったから、帰りにそれを買わないといけなかったの。ちょうど、手芸店が閉まるギリギリの時間で・・・、しかも、誕生日の前日だったでしょ。焦ってたから、何も言わずに走り去ったのよね~」

「そうだったんだ・・・、ようやく今、分かったよ」

洋介が、そう言ったところで、タクシーは新宿文化センター通りの交差点で信号待ちをしていた。この周辺は、歌舞伎町エリアの中でも、ラブホテルが多い地域となっている。

「運転手さん、その先で車を停めてください」

そう指示した恭子は、車が停止すると、精算のため座席正面にあるタッチパネルを操作し、スマートフォンで支払を済ませたのだった。

「じゃ、ここで降りましょ」

恭子の言葉に促され、洋介はタクシーを降りた。すると恭子は、再び洋介の腕に自分の腕をからませて、密着するように体を寄せてきたのだった。この時、洋介は改めて、このエリア一帯で眩しい輝きを放つホテルの電光サインを意識した。「もう行くしかない」、そう心の中でつぶやいた洋介は、組んでいた腕を解いて恭子の腰へ手を回すと、そのスレンダーな体を自分のほうへと強く引き寄せたのである。

会話がなくても、考えていることは同じだった。タクシーを降りて、ホテル街の路地裏を歩きながらも、二人の視線は、ただひたすら満室と空室の表示へと向かっていたからである。

「ここでいい?」

洋介は、落ち着いた雰囲気を漂わせるラブホテルのエントランス前で足を止た。恭子は、洋介に身を任せながら、虚ろな眼差しで軽く頷いている。そして、間接照明がシックな光を放つエントランスを抜け、ラブホテルの中へと入った二人は、空室状況を示すパネルの前に立った。

「どの部屋にしょうか?」

「これがいいんじゃない?」

恭子が、小声で指さした部屋は、パネルの中で最も高い値段の部屋である。

「えっ?」

「大丈夫よ。割り勘にすれば・・・、ね?」

懐の心配をしていた洋介を見透かしたように、恭子が言った。

「なるほど、同級生だしな」

洋介が、答えにならないようなことを言ったせいか、恭子はその場で笑いを堪えながら、洋介の胸を軽く叩いた。

「じゃ、行こうか」

洋介は、恭子の腰へ手を回したままエレベーターの中へ入ると、恭子は待ちきれなかったように、洋介の胸に体を預けた。

勢いに任せて恭子を抱きしめながら、階数ボタンを押した洋介であったが、心の中では、二十六年ぶりに出会った奇跡を、どう受け止めればいいのか、正直なところ、まだ整理がつかないままでいた。

ただ、そんな風に、心にブレーキをかけていた洋介であっても、説明しようもない男としての欲情がこみ上げてきた今となっては、その本能ともいえる感情に身を任せるしかなった。そして今は、となりで寄り添う恭子との時間に、全神経を集中させたいと思い始めていた。

エレベーターを降りて指定した部屋に向かう二人にとって、もはや言葉などは必要ない。互いの体を密着させながら、内側から湧き起こる熱い鼓動を感じる。ただ、それだけで良かった。

第17話へ続く。


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