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【自分さがしvol.4】「フィーカ」してちゃんと休む


「フィーカ」とは、スウェーデン式の「コーヒーブレイク」のこと。
 スウェーデンでは、コーヒーと一緒に甘いものを食べながら、家族、友人や仕事仲間と会話を楽しんで、気分をリフレッシュするという習慣があるそう。「ヒュッゲ」という言葉もあるけれど、北欧には「心地よさ」や「温もり」を表現する言葉がいろいろある。
 コーヒーと一緒に甘いものを食べて、おしゃべりして、リフレッシュするって…聞いただけも楽しそう。


「フィーカ」ってなに?

  そもそも「フィーカ」って何だろう。語源は、コーヒーという単語の「kaffi」の「ka」と「ffi」が逆さまになって、「Fika」になったようです。1930年代に「カフェレーブ」という文化があり、当時、専業主婦がほどんどだった時代、女性たちがお菓子を持ち寄り、おしゃべりを楽しむという息抜きの時間が生活の中にあったそう。その後、女性の社会進出が進んでも、このお菓子を食べながらコーヒーとおしゃべりを楽しむという習慣だけは残ったということだそう。


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日本の「ひと休み」との違いは?

 でも、日本にだって、「ひと休み」という言葉がありますね。今は見なくなってしまった光景かもしれませんが、縁側で、せんべいやお饅頭を食べながら、お茶をすする。日向ぼっこしながら、のんびーりおしゃべりをする日常。職場でだって、喫煙所では煙草を吸いながら、缶コーヒーを片手に、仕事のことを話して一息ついたり。誰かが旅行に行って来たら、何かお土産を買ってきてくれて、それを周りの同僚たちに配ってくれたものを食べながら、ちょっとコーヒーいれてきたり…。何かと「日本人は休まない」って言われたりするのは多分、「ながら”ひと休み”」をしていて、ちゃんと休んでいない…ということかも知れない。


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日本の茶道「Teaism」

 ところで、日本の「茶道」は、英語で「Teaism」と訳されます。
「煎茶堂東京」のホームページに、岡倉天心の記事を見つけました。1906年、明治時代に活躍した思想家で、「The book of tea(茶の本)」という英語の本を出版。茶道が影響を与えたのは、上流階級の慣習に留まらない、繊細な日本食の料理の提供や作法、花との接し方、自然を慈しむ謙虚で質素な暮らし…これが「ジャパニーズスタイル」であり、日本人のアイデンティティを形作るその一つが、日本茶文化だと考えられると…。

 「茶道」は敷居が高いと思っていましたが、その精神は、とても身近な日々の暮らしにあることで、いつの間にか忘れてしまったことがあるんだろうと感じる。「茶の本」、ぜひ読んでみたい。


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日本で「フィーカ」を楽しむなら…

 茶の湯は禅の礼法から発展したもの。茶道は「あるがままを受け入れ、自然に身を任せて生きる=無為自然」の境地だと言います。また天心は、「道教と禅の「完全」の考え方は異なり、「完全」そのものよりも「完全」を追求する過程を重視し、不完全のものを前に、心の中で完全なものに仕上げようとする精神の動きに、真の美は見出されると、不完全性の美学を説いたそう。色々な形があっていいと思うのです。目の前にある”景色”を慈しんで、”ほっと一息”つき、「幸せだなぁ」とそう感じる感性…日本で「Fika」という「コーヒーブレイク」を楽しむなら、日本の茶の湯の「Teaism」も大事にしたい。

まとめ

 日頃から止まることなく、思考はぐるぐると忙しなく動いてる。それも、「疲れた」とも感じなくなって、当たり前になってしまってる自分がいる。「感じる」ということを忘れてしまい、その上、間違った「完璧主義」の自分は常に見張っている。周りの人ととの人間関係は悪いわけではないが、「暖かさ」を感じたり、コミュニケーションすることの楽しさや、人への愛情、そういうものが、置き去りになってしまっているように思う。

 自分なりの「フィーカ」をしてみる。コーヒーの豆を挽く音、ドリップするときの「しゅー」という音、ぽたぽたと落ちるコーヒーの雫、淹れたての一口、美味しいお菓子。生憎、おしゃべりの相手がいないから、ONとOFFの切り替えを目的に。手軽に、でもしっかりOFFにする「コーヒーブレイク」をしてみたら、いつもと違う時間が流れる。その中で、いつもは気付かなかったものに出会えたらいい。
 コーヒーのアロマがマインドフルネスに誘ってくれそうに思う。自分の「感情」を大事にする、何もしない、何も考えない時間を、1日の中に取り入れてみたい。

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