顔を覚えている男の話10

もし運命というものがあるとするなら、

きっと彼と私は運命の歯車が少しずれていて、
彼と私は一生交わることがなかった。

でも、逆に歯車がずれていなかったら、今、私の隣にいたのは彼だったかもしれないという人の話。

結婚前の私はとにかく誰とも寝るような女だった。

一緒にベッドに横になれば大抵の男はやることはやるのだけど、
私が一晩ベッドで過ごした男の中で、たった2人だけは私に手を出してこなかった男がいる。

それが今の旦那と、彼だった。

彼とは入社した会社の内定式で出会った。
私が内定をもらった会社は入社する前からオリエンテーションがあったり、交流会とか研修なるものがあったりした。

私は地方の大学にいたので、その度に飛行機に乗って東京で研修を受けることになっていた。

研修ではいくつかのグループに分かれて行動する。彼とはそのグループが同じだった。

彼は見るからに育ちが良さそうな雰囲気があった。背はあまり高くないけれど、ぱっちりした目とふわっとした髪をして、所作がとても綺麗だった。

幼い頃から海外を転々としていたとかで、英語はもちろん、フランス語もペラペラだといっていた。

彼が私を気になっていたことは最初から気づいていた。なにかと話しかけてくるし、気づくと近くにいた気がする。

社会人間近とはいえ、大学生の私は毎日遊んでいたので彼のことは特に興味を持てなかった。
彼氏もいたし、何人とも遊んでいたのでこれ以上は無理だと思っていた。

でも、将来のために、大切にしておいても損がない男だとは思っていた。

研修のあとは決まって飲み会が開かれ、50人とか60人とかそれくらいの単位で飲むことが日課だった。

彼とはグループが同じなので、いつも近くで飲んでいた。
彼は私の大学のこととか、出身地のこととか、そんなことを聞いてくる。
この頃なんて男の人と話すとはいえば下ネタだったので、彼と会話するのは新鮮だった。

私と彼と、もう2人同じグループの男女がいて、4人で一緒にいることが増えた。
何回か彼らと顔を合わせるようになってしばらく経った頃。

彼が私の住む場所に行ってみたいといった。2人きりは少しまだ早いと思ったのか、一緒につるんでいた4人で回ろうと提案してきた。

拒否する理由もないので、私はなんとなく承諾した。私は彼と楽しみにしてるだとか、どこ行こうかとかそんな話をしていたと思う。

彼は綿密な計画を立てて、誰よりもその旅行を楽しみにしていたようだった。
私も彼以上ではないが楽しみではあった。

知らない彼の一面が見られるかもしれない。海に行ったりお酒を飲んだり、きっと楽しい思い出が作れるだろう。

そんなことを考えていた彼らがこちらにくる予定の1週間前。

突然、私の祖父が亡くなった。

私は急いで実家に帰らなければならなかったし、お葬式もあるため、彼たちに旅行はいくことができないと伝えた。

彼も、他の2人も、私がいないのであれば中止にしようといった。

それからしばらくは研修もなかったので会うこともなく、彼からたまにメールがくるくらいの時間が過ぎていった。

彼はその頃、私たちが入社する予定の会社ともう一つの会社で迷っているといっていた。

内定式も終え、私たちと同じように研修を受けているが、実はどちらの会社に入ろうか悩んでいると。

もう一つの会社は、海外を拠点として働くのだという。そして彼の一番やりたい仕事ができそうだともいっていた。

やりたい仕事ならば、そちらを選ぶべきだとアドバイスをしていた。
そして、彼は私たちの会社の内定を辞退し、もう一つの会社に入社することになった。

それから彼とはもちろん研修で会うことはなくなった。いつも一緒にいた4人はバラバラになり、飲むこともなくなった。

ただ、彼は私が東京に研修に行くタイミングをよく聞いてくるようになった。
私が羽田空港に着くと、彼は必ず車で迎えにきてくれて、行きたい場所に送ってくれた。

打ち上げがないような日には、一緒に食事をして、私が宿泊するホテルまで送ってくれることもあった。

彼氏でも同僚でも、セフレでもないけど、彼はとにかく私に尽くしてくれていた。

いつか私が宿泊していたホテルに、自分も泊まるといってきたことがあった。一緒の部屋で寝るのかと思っていたが、彼は律儀に自分の部屋をとっていた。

お酒でも飲もうということになり、コンビニで買ってきたお酒を私の部屋で飲んだ。

お風呂も入って、化粧もほぼ落とし、ホテルの浴衣を着て二人でお酒を飲む。

私がこれまで寝てきた男は大抵このタイミングで手を出してくる。でも、彼は手をつなぐことすらしてこなかった。

そのうち私は眠くなり、ベッドに横になった。
薄い記憶の中、彼もしばらくベッドに横たわっていた気がしたけれど、朝になったら彼は自分の部屋に戻っていた。

私はどんなに飲んでも、記憶をなくしてまでやるということがないので、彼と何かあったということは100%なかったと確信があった。

翌朝はいつも通り、彼は車で羽田空港まで送ってくれて、また連絡するねといって別れた。

一緒にベッドで寝たのにやらないというのは初めての経験だったので、彼はゲイなのかとか童貞なのかとかも考えたけど、正直どちらでもよかった。

彼は自分の気持ちをあまり伝えてこない人だった。という私も自分の気持ちを人に伝えることは少ない。

尽くしてくれるのならば、「好きだから」とか「気になるから」とか言ってきてもいいのに、特に何も言ってこなかった。だから、私も特に何も聞くことはなかった。

車に乗っていても、一緒にお酒を飲んでも、ベッドで横になっても、彼はいつも凛とした彼のままだった。

多分彼から求められれば私はいつもと同じように、彼に身体を預けて、求められるままに応えていたはずだ。

晴れて私たちは体の関係となり、私のセフレリストに入ってくるだけの男だったと思う。

でも彼は、私の身体を求めるどころか、抱きしめることや手をつなぐことすらしてこなかった。

だから私たちの関係はいつまでも進まなかった。お互いがどう思っているのか、どうなりたいのかさえわからなかった。

そして春になり、私は予定通り、内定をもらった会社に入社した。

入社式を終えて仕事も始まり、最初は飲み会や合コンなどで毎日大忙しだった。たまに彼からも連絡がきて、何度か都内で一緒に飲んだりした。

彼も入社した会社で元気に働いていた。数年後には海外赴任がすでに決まっているともいっていた。

私はこの頃、同僚に誘われた合コンで今の旦那に出会っていた。

衝撃的な出会いでもなんでもなく、この頃はまだ合コンで出会った男の一人にすぎなかった。

旦那は背格好とか家柄とか、過ごしてきた環境とかもなんとなく彼に似ていた。

結婚する前の旦那も何かと私に連絡をしてきていた。飲みに行こうとか花火大会に行こうとか、いつもメールをしてきた。こんな感じなのも彼に似ていたと思う。

だから私がメールの通知を見ると、大抵旦那かこの彼から連絡がきている毎日だった。

夏が終わり、少し秋の涼しい風が吹くようになってきた頃。

彼が「香港にいかない?」と聞いてきた。昔から香港が好きで、家族や一人でもよく行っていたらしい。

美味しい食事ができる場所も知っているし、色々紹介したいともいった。英語ができる彼との旅行はきっと楽しいだろう。

ちょうど同じ頃に旦那からも連絡がきた。旦那からは「北海道にいこう」といわれた。

旦那とも数回一緒に飲んだり、たまに出かける仲ではあったが、もちろん手をつないだことも夜を一緒に過ごしたこともなかった。

私の中で彼と旦那は全く同じ部類に位置していた。

好きでも嫌いでもない。お互いの気持ちを確認したことはないけど、向こうが好意を持っていることはわかる。
一緒にいても苦ではない。居心地の良さはほぼ同じだった。

タイミング的に香港と北海道に両方に行くことはできないと思っていた。
どちらかを選ばないといけない。

どちらの方が好きとかタイプとかでもなかった。付き合いとしては入社前から知っていた彼の方が長かった。
私のことをよく知っているのも彼だったし、彼の良さもよく知っていた。

でも、なんとなく私は今の旦那に惹きつけられるものがあった。これ、というものはなくて、本当になんとなく。

だから私は旦那に「北海道にいきたい」と連絡をし、彼に「香港にはいけない」と返信した。

「なんとなく」で私は決断した。

結局、旦那といった北海道が死ぬほど楽しくて、3泊もしたのに手もつないでもこなかった旦那のことから離れられなくなって、旦那が大好きになって、それから旦那と結婚した。

旅行を断ってから彼とは連絡もあまりとらなくなり、そのうち彼は海外赴任が決まり、日本を離れた。

私が結婚することになったのは確かFacebookか何かで知って、赴任先からメッセージを送ってきた。おめでとうと連絡をくれて、自分も頑張っていると書いてあった。

最後まで、彼の気持ちはわからなかった。

彼は私のことをどう思っていたのだろうか。

入社前に私の祖父が亡くならなかったら、旅行に来ていたはずの彼。そこでもしかしたら、私と彼は進展があったかもしれない。

私と彼が一緒に寝ることになったあの日。二人の間になにか一言あれば、もしかしたら関係が変わっていたかもしれない。

私がなんとなくで彼を選んで、彼と一緒に香港に行っていたら、彼のことが大好きになって、今私の横にいたのは彼だったかもしれない。

運命というのはたった一瞬で変わってしまう。

発するたった一言、少しの行動、一瞬の気持ち。それだけで二人の運命が大きく変わってしまう。

でも、私と彼は結局一緒にいることを選ばなかった。
もし、私たちが運命の相手ならばどうにかしてもお互いを選んでいたはずだ。

きっかけはあったのに交わらなかった私たち。それは運命というよりも、自分たちで選んだ結果なのかもしれない。

いつか彼がレインボーブリッジが綺麗に見える場所に連れて行ってくれた。車から降りて、二人で夜景をみる。

何かを言いたそうな彼の横顔には気づいていた。

でも、なんとなく、彼には何も言って欲しくなかった。
彼が私を見た瞬間、私は「帰ろう」といった。

きっと、この瞬間から私たちの歯車はずれていったのだ。

それは間違いなく私が選んだ。でも、それを遮ってまで伝えてこなかった彼の選択でもあった。

運命とはなんだろうか。彼を思い出す度に考える。

でも、一瞬の感情が大切なのだと感じる。

だから、私はこのすぐに消えていく一瞬を大切にしなければならないと思う。

今どう思うか、何がしたいか、誰といたいのか。

この一瞬一瞬で、運命は変わっていく。

自分が描く未来は、この一瞬、この瞬間にも自分自身が選んでいる。



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眠れない夜に

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