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木の上に立って見ることができなかった

私には娘が二人いる。
わりと早く結婚したので、私の歳にしては子供は大きい。もう二人ともとうに成人して社会人になっている。
今まで、ここでは育児の話をした事はほとんどないけれど、自戒の意味を込めて書いてみる。

あまり楽しい話ではないし、長文なので興味のある方はお付き合い頂ければと思う。

同じ様に育てたつもりでも、やっぱり個性はある。次女は周りを見て育つからか、そんなに心配をした事は無い。今回は、長女の事を中心に書こうと思う。

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長女は、私に似た気質を持っていると思う。いわゆるHSS型HSPだ。だから、結構きつい思いをしているんだろうなというのは今なら分かる。そんな事を私自身が知ったのは最近の事だから、長女への対応を間違えてきたんだろうと思っている。

今は、一人暮らしをしながら社会人をしているのだけど、ここに来るまで私も悩んだ。彼女は大学で躓き、留年したり転部したりで長い間大学に通った。当然の様に就活も上手くいかなくて、本人も辛かっただろうし私も辛かった。

私は定期的に整骨院に通っているのだけど、その頃は悩み事が体にも出ていて、いろいろな所が不調だった。そこの先生は、いつも毒舌なのだけど、その頃はちょっと優しかったくらいにひどかったようだ。

ある時、先生が私に言った。

「みゆさん。みゆさんは優しいけど、優しさの掛け方を間違えてる。子供が転んでも、すぐに手は貸さないでしょ?みゆさんがしているのは、子供が転ばないように先回りして、障害物をどかせている事と同じなんですよ。それは、子供のためになってないんじゃないですか?」

その言葉に、私はなんと答えたらいいのか分からなかった。

今まで、私が20年以上してきた事は間違えていたというのだろうか。子供のためと思ってしてきた事が、子供の能力をスポイルしていただなんて。

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私は、結婚してすぐに子供を持とうと思った。本当は2~3年先でいいかなと思っていたけど、自分だけの味方が欲しかったから。

うちは、ご存じの通り自営業(一応法人格だけど)をしており、同居している。その頃は、夫の祖母、両親、姉、弟もいたので、私だけがよそ者だった。おまけに、そこの土地の人間ではないから、同じ県内とはいえ言葉も何もかもが違っていた。

常に、みんな一緒の日々。
同居で疲れて、夫婦の意見をすり合わせる事もままならずだった。そのうえ、私のこの気質。なんか、毎日が疲れて寂しくて。そんな気持ちで、子供を持とうと思った私。今なら何て事を!と思うのだけど、当時はそんな事も分からないくらい思い詰めていた。

幸い、すぐに子供に恵まれた。
産まれてきたのは、女の子だった。うちは商売をしているから何か言われるかなと思ったけど、それは大丈夫だった。
私の腕の中の娘は、小さくて、ただただかわいかった。私は、絶対に何があってもこの子を守って、立派な大人にすると誓った。

初孫という事もあり、みんなにかわいがられてスクスクと育っていく長女。2年後には次女も産まれた。だけど、私は長女がかわいすぎて「下の子が産まれても、下の子をかわいがれるかな?」などと馬鹿な事を思ったりもした。もちろん、産まれてきた次女もかわいくてたまらなかった。
余談だけど、次女を連れて退院してきたその日に「次は男の子ね」とよそのおばちゃんに言われた事には辟易した。それからは、ずーっと40歳を過ぎるまでその言葉をいろいろな人に言われる事になるのだけど。

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長女が3歳になり幼稚園に通う事になった。
お約束の通園バスに乗りたがらない、参観日に行けば物陰に隠れるなどあったものの、楽しく通っていた。
家庭訪問の時に、先生は

「長女ちゃんは、園生活にも慣れてきて楽しそうですね。それに、とってもマイペースですね。」

と言った。

マイペース、この言葉を私は何回聞いただろう。幼稚園の年少を皮切りに高3の進路を決めるための三者面談のその日まで、各学年の担任の先生にずっと言われてきた。

なにか、彼女なりのこだわりがあったようだ。やりたくない時は、やりたくない。のめり込む時はのめり込む。いつもは、のんびりだけど、やる時はやる。私と似ている。

そんな長女は、時に私をいらつかせた。やるべき事ができていない、行かなければいけないのにグズグズする、など。

それに、私は同居している。常に人の目を気にしていた。だから、育児も常に監視されているような気がしていた。
あれもできないのか?
これもできないのか?
実際に言われた訳ではないけど、内心そう思っているんじゃないかと思っていた。
○○さんの孫はこれができていた。
こう聞くと、できないうちの子は劣っているのか、そう感じた。

それは私の被害妄想なのかもしれない。もしかしたら、その頃から私は精神的に病んでいたのかもしれない。もともと私は、物事を悲観的に捉える思考の癖があったからだ。

私は、その頃から子供達に対して常に先回りするようになってしまった。

朝起こす事も、着替える事も、何もかも。
それは、子供のためというよりも、私のため。
当時は、子供のためと思っていたけど、今なら分かる。それは、私のため。私の見栄のため。私が無能と思われたくなかったからの事。

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私が結婚した翌年、夫の姉も結婚した。そして、うちの子の間に挟まる様な形であちらも子供を持った。うちの子と、夫の姉の子で4人年子みたいな感じになる。
その夫の姉の子供達もうちで朝から晩まで預かる事になった。そう、夫の姉が仕事をしているから。いくら親に預けるからといっても、私も知らんぷりはできない。私も面倒をみた。

小さな子が4人年子状態でいるなんて。私は頭がおかしくなりそうだった。いや、なっていたかもしれなかった。
次女に母乳を飲ませながら、泣いた事も何回もある。泣こうと思っていた訳ではなく、自然と涙が出ていた。

うちの子の友達が遊びに来たりすると、もう事務所兼店舗の中は子供だらけ。わちゃわちゃと子供がうろうろ。それはそれで、楽しいものではあったけれど。友達も居心地が良かったらしく、よく遊びに来ていた。家の方で遊んでいる時は、友達も見事に寛いでいて笑ってしまった。
その頃の私のモットーは「うちに来たら、よその子でも同じに扱う」という事。そうでもしないと、やってられないというのもあった訳だけど。

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小学校、中学校、高校と大きくなっていっても、やはり私の先回りは変わらなかった。本当に過保護だったと思う。
期待して、期待して、期待通りにできないと子供達に対して口にはしないものの、その結果は私をいらつかせたり、落胆させたりした。

特に、高校受験、大学受験の時はどっちの受験なんだかという状態だった。学校の情報を調べたり、オープンキャンパスの事やら何もかも。


なんとか無事に大学生になった長女。
選んだ学部が、どうも思っていたのと違っていたようだった。それに、人間関係でも躓いたらしい。多くを語らないので憶測でしかないけど、彼女もそうとう辛かったのだと思う。

学校から手紙が来たり、三者面談に呼ばれたり(長女の大学では、成績不振者のための三者面談がある)して初めて事の重大さを知った。


どうしてもっと早く言ってくれないのかと思った。早く言ってくれたら、いろいろ対策も取れたのに。うちは決して裕福ではない。そんな中大学にやったのに、なんて事も考えた。私は大学に行っていない。だから、子供達には絶対大学に行って欲しい、そう思っていた。財産は残せないから、せめて教育だけでもと。
実際、転職市場のサイトなど見ると、この求人いいなと思っても大卒以上なんて縛りがある所が多いからだ。そういうスタートラインにも立てないのは不利になる、そう思っていた。

この考えも、私のエゴなんだろうと思う。私の大学、大学という考えが長女を苦しめていたのかもしれない。だから、悩んでいても言い出せなかったのだろう。長女のためには、高校を出てすぐに働いた方が良かったのかもしれない。

こればかりは、時が過ぎてしまったので、もうどうする事も出来ないのだけど。

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長女の就活が上手くいかない時、上述の整骨院の先生にまた言われた。

「娘さんは、家から出さないといけないよ。じゃないと、お互い成長できないから。」

たしかに、その通りと思った。
もっとも、家から出ないとこちらには就職先が無いというのもあるけれど。だけど、離れた方がお互いのためだなと素直に思った。

今、長女は一人で暮らして仕事をしている。

スタートは、他の同級生達よりうんと遅れてしまった。でも、長い人生のうちの3年くらいどうって事ないと今なら思う。
長女は、今いきいきと暮らしているんだろうなと思う。たまに帰って来る時は、楽しそうにいろいろ話を聞かせてくれる。

私は長女には、用事のある時しか電話もLINEもしない。長女からもそうだ。

家を出た時は少し寂しかったけど、ホッとした自分もいる。それに彼女には彼女の生活がある。便りが無いのは元気な証拠だ。次女とは連絡を取り合っていて、たまには会ったりしているようだ。私は次女経由で長女の事を知る。おかしいかもしれないけど、それでいい。

私は干渉はするのもされるのも嫌いなはずだったのに、どうして子供達にはそれをしてしまったのか。今となっては反省する事ばかりだ。もっと、自由にさせてあげれば良かった。
寝坊して遅刻しても、忘れ物をして先生に叱られても、受験が上手くいかなくても、それはそれで本人の力になる事なのに。私は、そんな経験をさせてこなかった。良かれと思って先回りして、本人のやる気をスポイルしていた。

親は木の上に立って見ると言う。
私はそんな親じゃなかった。木から降りて、くっついて離れなかった。ダメな親だったと思う。子供達には悪い事をしたなと思う。

これを読んで下さっている育児中の皆さんには私の様になって欲しくないと思う。私を反面教師として、ぜひ木の上に立ってお子さんを見守っていて欲しいなと思う。


ー自戒を込めてー


書いていたら、想定よりも長文になってしまいました。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪


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