異性装(男装女子・女装男子)を扱った古典作品とその起源について

日本の古典文学で異性装(男装・女装)を扱っている作品を列挙してみました。少しでもお役に立てば幸いです。

  • わたしが知っている範囲ですので、抜け・漏れは多々あると思います。他に該当作品がありましたら教えてもらえると嬉しいです。

  • 今回の対象は室町時代までとしました。娯楽が発達した江戸以降に数多くの作品が登場しています。

  • 危機から脱するためにその場限りで衣装を変える話や、物の怪や鬼などが人を騙すために姿を変える話は省きました。

  • 起源についての結論だけ知りたい人は「まとめ」をご覧ください。


『古事記』『日本書紀』のアマテラス(男装)

『古事記』『日本書紀』で語られる日本神話で、国を治めぬまま泣き続けるスサノオが追放され、別れの挨拶に高天原《たかまがはら》へと向かった際に、国を奪いにやって来たと思い込んだアマテラスが男の姿で武装して対峙しました。

御髪《みかみ》を解き、御みづらに纏《ま》きて、左右の御みづらにも、御鬘《みかづら》にも、左右の御手《みて》にも、おのおの八尺《やさか》の勾玉《まがたま》の五百《いほ》つのみすまるの珠を纏《ま》き持ちて、背平《そびら》には千入《ちのり》の靫《ゆき》を負ひ、平《ひら》には五百入《いほのり》の靫《ゆき》を付け、またいつの高鞆《たかとも》を取り佩《は》かして、弓腹《ゆはら》振り立てて、堅庭《かたには》は向股《むかもも》に踏みなづみ、沫雪《あはゆき》如《な》す蹶《く》ゑ散《はらら》かして、いつの男建《をたけ》び踏み建《たけ》びて、待ち問ひ給はく、「何の故にか上り来つる」と問ひ給ふ。 (『古事記』

『古事記』『日本書紀』のヤマトタケル(女装)

景行《けいこう》天皇の時代、クマソ征伐を命じられたヤマトタケル(小碓命)が、女装して敵本拠地に潜入しました。様々な物語で語られる中性的美少年のヒーローは、ヤマトタケルがプロトタイプと言っていいかもしれません。

ここにその楽《うたげ》の日に臨みて、童女《をとめ》の髪の如《ごと》く、その結はせる御髪を梳《けづ》り垂《た》れ、その姨《をば》の御衣《みそ》御裳《みも》を服《け》し、既に童女《をとめ》の姿に成りて、女人《をみな》の中に交り立ちて、その室《むろ》の内に入りましき。 (『古事記』

『古事記』『日本書紀』の神功皇后(男装)

神功《じんぐう》皇后は仲哀《ちゅうあい》天皇崩御後、子の応神《おうじん》天皇が即位するまで国の政を司りましたが、在位中に熊襲《くまそ》征伐や三韓征伐などを行ったことで知られます。『日本書紀』には神託を受けて新羅への出兵を決意した神功皇后が、男装した姿で民衆に向かって高らかに宣言する姿が描かれています。

「是を以《も》ちて、今し頭《かしら》を海水《うしほ》に漱《すす》ぐ。若《も》し験《しるし》有らば、髪自づからに分かれて両《ふたつ》に為《な》れ」と宣ふ。即《すなは》ち海に入《い》れて洗《すす》ぎ給ふに、髪髪自づからに分かれぬ。皇后、便《すなは》ち髪を結ひ分けて髻《みづら》にし給ひ、因《よ》りて群臣《まへつきみたち》に譚《かた》りて曰はく、(『日本書紀』) 

『今昔物語集』の女盗人(男装)

『人に知られざる女盗人《ぬすびと》の語』(第29巻)というエピソードに、男の姿をした盗人の女頭目が登場します。普段は女の格好をしていて、盗人として仕事をする際に男装に着替えるところがポイントです。
なお、『今昔物語集』をはじめとした仏教説話には、他にも勇ましい女性が多数出て来ます。

女は烏帽子《えぼし》をし、水旱袴《すいかんばかま》を着て、引き編《かたぬ》ぎて、笞《しもと》を以て男の背を確かに八十度打ちてけり。 (『今昔物語集』第29巻

『平家物語』『源平盛衰記』等の巴御前(男装)

巴《ともえ》御前《ごぜん》は、「治承《じしょう》・寿永《じょうえい》の乱」(いわゆる源平合戦)時に、源(木曽)義仲《よしなか》に仕えたとされる女性で、木曽四天王に並ぶ猛将として知られています。とても凜々しい姿で描かれているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
(『平家物語』で巴御前が登場するのは第9巻)

巴《ともゑ》は色白く髪長く、容顔《ようがん》まことに優れたり。ありがたき強弓《つよゆみ》精兵《せいびやう》、馬の上、徒《かち》立ち、打ち物もッては鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵者《つはもの》なり。 (『平家物語』第9巻

『義経記』等の源義経(女装)

古典における中性的美男子と言えば、先に挙げたヤマトタケルと源義経がツートップです。義経は特に女装をしていたわけではありませんが、幼少期に稚児として鞍馬寺に預けられていたときの姿が女性的に描かれています。

白き小袖《こそで》一重《ひとへ》に唐綾《からあや》を着重ね、播磨浅黄の帷子《かたびら》を上に召し、白き大口に唐織物の直垂《ひたたれ》召し、敷妙《しきたへ》といふ腹巻着籠《きご》めにして、紺地の綿にて柄鞘《えさや》包みたる守刀《まもりがたな》、金作《かなつくり》の太刀帯《は》いて、薄化粧に眉細く作りて、髪高く結ひ上げ、心細にて、壁を隔てて出で立ち給ふ。 (『義経記』

⑦『吾妻鏡』の板額御前(男装)

板額《はんがく》御前は『吾妻鏡《あずまかがみ》』に登場する鎌倉初期の女武将です。自陣営が敗れて捕虜になっても屈することなく、その姿に惚れた敵将に妻として迎えられました。

また、資盛《すけもり》姨母《いぼ》の坂額《はんがく》御前と号するもの有り。女性の身たりといへども、百発百中の芸、殆ど父兄に越ゆるなり。人挙て奇特《きどく》をいふ。この合戦の日殊に兵略を施す。童形の如く上髪せしめ、腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。中《あ》たるの者死なずといふことなし。 (『吾妻鏡』)

『太平記』の渡辺綱(女装)

『太平記』の第32巻に、渡辺綱《つな》(源頼光《よりみつ》の四天王の一人)が女装して鬼を誘い出し、退治するシーンが描かれています。ちなみにこのときに使った太刀が「鬼切」です。

さらば形をかへて謀《たばか》らんと思ひて、髪を解き乱して覆ひ、鬘《かづら》をかけ、かね黒に太眉《おほまゆ》を作り、薄衣《うすぎぬ》を打かづきて女の如くに出立て、朧月夜の曙《あけぼの》に森の下をぞ通りける。 (『太平記』第32巻

源頼光と彼の四天王が鬼退治する話は、いわゆる『酒呑童子《しゅてんどうじ》』伝説として数多くの作品に採用されていますが、渡辺綱が女装する話が載っているのは『太平記』のみです。

『とりかへばや物語』の主人公兄妹(女装・男装)

『とりかへばや物語』は、「女装男子」の兄と「男装女子」の妹が主人公の王朝物語(平安時代の貴族を舞台にした恋愛小説)で、タイトルは「二人を取り換えたい」と嘆く父親の言葉から来ています。
今回挙げた中で、生まれつき自分の意志で異性装をしているのはこの作品だけで、現代の「トランスジェンダー」に通じるものがあります。

詳しい内容を知りたい方は、別エントリーの「『とりかへばや物語』を知っていますか?」をご覧ください。

おほかたは、ただ同じものと見ゆる御容貌《かたち》の、若君はあてにかをり気高く、なまめかしき方添ひて見え給ふ。姫君は華々と誇りかに、見ても飽く世なく、辺りにもこぼれ散る愛敬など、今より似るものなくものし給ひける。 (『とりかへばや物語』


『有明の別れ』の女主人公(男装)

こちらも王朝物語で、母親が懐妊した際に「男姿で養育するように」と神仏のお告げがあったため、女主人公は男として育てられたまま宮中デビューします。なお、この主人公は性別を偽っているだけでなく、ある特殊能力も持っています。

御歳廿《はたち》にも三、四ばかり足り給はぬにや、御かたち飽かぬところなくねび整ひて、限りなくらうたげにて美しき様は、千夜《ちよ》を一夜守り聞こゆとも飽くまじき (『有明の別れ』

『風に紅葉』の若君(女装)

男性貴族を主人公とした王朝物語で、肉体関係を持った相手の中に甥の若君が含まれます。この若君は幼少時に男であることを隠さぬまま女装で人々と接し、元服後は何事もなかったように男の姿になります。

限りなう美しげなる女の、ささやかなるぞゐたる。いと覚えなくて、近く寄りて見給へば、十一、二ばかりなる人の白き衣に袴《はかま》長やかに着て、髪の裾は扇を広げたらんやうにをかしげにて、かたちもここはと覚ゆるところなく、ひとつづつ美しなどもなのめならず。 (『風に紅葉』)

『稚児今参り(ちごいま)』の男主人公(女装)

貴族の姫君に一目ぼれした稚児(僧の付き人)が、姫君の乳母の取り計らいで女装し、女房として仕えることから始まる騒動を描いた短編です。

年は廿《にじゅう》に二ばかり足らぬ程にて、たをやかになまめかしきさま、心にくし。髪の掛かりたる程など、推し量りつるよりもこよなく見ゆれば、若き人々、覗《のぞ》き見てそそめきければ、乳母《めのと》、為果《しおほ》せたる心地して、例の口利きてぞ相しらひけり。 (『稚児今参り』

『新蔵人』の女主人公(男装)

主人公はある貴族のもとに生まれた三女で、男社会に憧れて男装し、帝に仕えます。ただ、非常に乱暴な性格(略奪系)で周囲からも嫌われているため、個人的に読後感はあまりよくありません。

おと姫が言ふことは、「我はこまごまと宮仕ゐ、笑《ゑ》すまし、姉御前に従ひて、子め見せられんよりは、蔵人《くらうど》殿々、ときもなしとあるに、男になさせ給へ」 (『新蔵人』

『法華経』の竜女(男装)

日本の古典ではありませんが、「男装女子」を語る上で避けて通れないのが仏教の経典『法華経《ほけきょう》』(正式名称『妙法蓮華経《みょうほうれんげきょう》』)です。

少々長い説明になるため先に結論を書いておきますと、『法華経』に登場する「男性に変身することができる竜の少女」が、数多くの男装作品に影響を与えました。

――以下、詳細説明です。

冒頭でお伝えしたように『法華経』は仏教の経典の一つで、推古《すいこ》天皇の時代に日本に入ってきました。しかし、本格的に民衆に広まったきっかけは約百年後、聖武《しょうむ》天皇の奈良時代まで下ります。

聖武天皇といえば、奈良の大仏を建立し、国分寺・国分尼寺を全国に建てるように指示したことで有名です。ただ単に仏教を広めるのではなく、社会事業も積極的に進めましたが、これらの政策に深く関わった光明《こうみょう》皇后と行基《ぎょうき》が重んじたのが『法華経』です。
(※説明をはしょっているので、詳細は日本史の解説等をご覧ください)

『法華経』のアピールポイントを一言で言うと、「誰でも成仏できる」ことです。

かつては「女性は成仏できない」とされてきましたが、『法華経』に記されているある登場人物のエピソードがこれを否定しました。
それが「竜女《りゅうにょ》」こと、八大竜王の一人「沙羯羅《しゃから》竜王」の娘です。(「善女《ぜんにょ》竜王」とも呼ばれます)

「女の身では神々の身を受けることさえできないと申します。まして、仏の身を受けることはできませんし、速やかにさとりを得ることなど、できようはずがありません」
(中略)
「では、よくご覧くださいまし。わたくしが仏と成るのに、それほどの時はかかりません」
 竜の童女はたちまち男子に変じて遠く南方の無垢《むく》世界にゆき、宝蓮華《ほうれんげ》に座して等正覚《とうしょうがく》(無上のさとり)に達し、仏の三十二相を現しました。
『法華経』角川ソフィア文庫、大角修 訳

竜女は身をもって「女性でも成仏できる」と教えてくれた上に、平安時代には空海の求めに応じて日本にやって来て、干ばつの大地に雨を恵んでくれたありがたい神様で、人々の憧れの対象でした。

当時、どれくらい人気があったかというと、平安末期の流行歌を集めた『梁塵秘抄《りょうじんひしょう》』に、竜女に関する歌が何首も採用されています。

沙羯羅《しゃがら》王の女《むすめ》だに 生《む》まれて八歳《やとせ》といひし時 一乗妙法聞き初めて 仏の道には近づきし (113)

女人《にょにん》五つの障《さは》りあり 無垢《むく》の浄土は疎けれど 蓮華《れんげ》し濁りに開くれば 竜女《りゅうにょ》も仏に成りにけり (116)

女のことに持《たも》たむは 薬王品《やくおうぼん》に如《し》くはなし 如説《にょせつ》修行年経れば 往生極楽疑はず (153)

竜女《りゅうにょ》は仏に成りにけり などかわれらも成らざらん 五障《ごしやう》の雲こそ厚くとも 如来《にょらい》月輪《ぐわちりん》隠されじ (208)

竜女《りゅうにょ》が仏に成ることは 文殊《もんじゅ》のこしらへとこそ聞け さぞ申す 沙羯羅《しゃがら》王の宮を出《い》でて 変成《へんじやう》男子《なんし》として終《つひ》には成仏道《じやうぶつだう》 (292)

どの歌も「竜女が幼くして仏になったのだから、女の自分たちも極楽に行けるはず」という内容で、竜女は女性信者たちの心の支え――アイドル的な存在でした。

しかし、女の身のままでは成仏が難しいため、竜女のように男の姿に変わることが推奨されました。これが最後の歌にある「変成男子《へんじょうなんし》」という概念です。
(「女人成仏《にょにんじょうぶつ》」とも言います)

つまり、当時の感覚で「女が男になる」というのは、単なる趣味や性同一性障害ではなく、「極楽浄土に行くための手段」(=幸せになるための通過儀礼)という意味合いを含んでいました。

しかしながら、人は竜のように変身することはできませんし、男装したからといって本物の男になれるわけでもありません。

このため、信心深い女性信者たちは長い髪をそり落として尼となり、修行を続けて徳を積み、現世を終えた後に来世で男として生まれ変わり、成仏することを願いました。 (女→尼→男→成仏)

女に生まれたというだけで、男よりも一生分損しています。女性が竜女に憧れる一方、「男性として生きたい」と思うのは当然と言えます。

この気持ちを代弁すべく、竜女をモチーフにして作られたのが、「男装女子」を主人公とする『とりかへばや物語』『有明の別れ』『新蔵人』などで、「男装」は「疑似的な変成男子」と言えるかもしれません。
(いずれの作品も、仏教における「女の罪深さ」がサブテーマとして語られています)


――以上をまとめます。

聖武天皇の時代に「女性でも成仏できる」と説く『法華経』が正式に国教として認定され、平安時代に民衆レベルまで広まります。この中に登場する「男に変身して成仏できる竜の幼女」が仏教アイドルとして人気を集め、彼女をモチーフとして作られたのが『とりかへばや物語』などの「男装女子」ジャンル作品です。

【 補足 】
聖武天皇は「国分寺・国分尼寺建立の詔《みことのり》」を発布し、全国各地に寺を建てさせましたが、「国分尼寺」の正式名称は「法華経滅罪之寺」といいます。つまり、「『法華経』に出て来る竜女のように女を捨てて罪を減らし、皆で成仏しよう」というスローガンで建てられた、女性のための寺になります。

⑮ 仏教界の男色(女装)

「女装男子」も仏教と深く関係しています。
男性の仏僧たちは「禁欲」をモットーとして修行に励みますが、女性を排除した男性のみのコミュニティで日常生活を送るため、かつては男色が公然になっていて、後に貴族や民衆にも影響を与えました。

平安時代以降の作品に登場する「女装男子」はこの流れを汲むものがほとんどで、いわば「女性代わりの男」という位置づけです。
(室町時代には「稚児物語」という、ストレートなジャンルまで発展しました)


まとめ

室町時代までの古典作品における異性装(男装・女装)は、大きく四つの系統に分類できます。

1) 男装
 1-1) アマテラスをはじめとした「女傑」
   例: ①③④⑤⑦
 1-2) 『法華経』の竜女をモチーフとした「竜女系 男装女子」
   例: ⑨⑩⑬⑭

2) 女装
 2-1) ヤマトタケルをはじめとした「中性的英雄」
   例: ②⑥⑧
 2-2) 仏僧の男色文化から派生した「稚児系 女装男子」
   例: ⑨⑪⑫⑮


各作品を時代ごとに並べると、下図のようになります。

s-男装女子・女装男子の古典_説明図

ざっくり言うと「日本神話」と「仏教」が大きく影響していると思っておけば、ほぼ間違いありません。


説明は以上になります。
ここまでのお付き合い、ありがとうございました。


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