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消費して消費されて

消費して、消費されて、その先に何があるのか。


何がしたくて私は食べているのか。

私がご飯を食べる事で何か有益な事が起きるのだろうか。

この鰯や舞茸は、私が消費していいのだろうか?

じゃあ他の誰が消費すれば私より適切になるのだろうか。


消費して、消費されて、消費して
それを繰り返した先に何か有益な事が生み出されているのだろうか。この世界は。


あっけなく網にかけられて捕まえられて、捌かれて、誰かの胃に入って、ただそれだけ。
そんなふうに見える。


消費された事がないから分からないけど、きっと間近で見ていたら、本当に"あっけない"って感じると思う。

「有難う。あなたの命を頂いて、私は〜を実現させるよ!」
って思われながら消費される事って、きっと滅多にないでしょう。


で、改めてこれに戻ってくる。
消費する者たちは、それらの命を消費して、その重みに見合うような何かをしているのかって。

わたしはどうなのか。

なんだか今日はもうこれ以上食べてはいけない気がする。

命を消費した分だけの、何かこの世にとっての良い事を作り出せる自信がないから。


なのに、生きていさせてほしい、とか思っている。


だから、せめて、命を繋ぐための最低限の食事をとらせて。

そうすると、ほんの少しはつり合いがとれるような気がして。

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