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エッセイ│その痛みはのりこえなくてもいいんだよ。私たちは一緒に歩いて行けるから。

 「大変なこともたくさんあったけれど、周りの支えがあったから乗り越えることができました」
その人はベンチに座り朗らかに笑っていた。真剣な眼差しを向けていたタレントも、彼につられて顔を綻ばせた。
 ぼんやりとだが覚えている、がん保険のCMの一幕。公園の木陰で二人は話していたと思う(かなりうろ覚えだが)。とても温かい光景だった。とても晴れ渡った光景だった。憂うべきことはもう何もないのだと告げているようで。でも私の中には雲がかかったみたいに、もやもやとしていた。
 乗り超えた、と言葉にしたとき、それは何かがきれいに溶けてなくなったように見えた。見えなくなってしまったように思えたのだ。
 
 幼い頃、目の病気にかかったことがある。このままだと失明してしまう、すぐに大きな病院に移ってください。かかりつけの医者から告げられた。幼い私は何が起こっているのかほとんど理解していなかった。周りの大人たちがひどく焦っている、心配そうに見つめてくる。そのことにひどく居心地の悪さを感じていた。
 大きな病院で診察を受けた。病気の発見が遅れていたこともあり、一秒でも早く手術が必要な状況だった。直ぐに緊急手術の運びとなった。長い入院生活に我慢できず両親を困らせた。入院中の食事を拒否したりもした。そして何度か手術を繰り返したのち、奇跡的ともいえる回復を遂げることができた。
 視力はもとには戻らなかったけれど、普通の生活ができるようにはなった。退院して、病気が治ってよかったねと多くの人に言われた。

 退院してからも不便さは残った。学校の黒板の文字がよく見えずに苦労した。体育での野球は球が見えないから恐怖で仕方なかった。遠くから手を振られていたことに気が付かず、無視されたといわれることもあった。今でも視力がたりず車の運転はできないままだ。挙げだせばきりがないけれど、時間が経つほどにその不便さにも慣れていく。自分が抱えたものも忘れていく。忘れていくたびに、私は日常を取り戻していったのだと思う。
 
 治療が終わって、退院して、苦しかったことを忘れられたとしても、本当は何も乗り越えてなんていなかった。病気になる以前の日常はもう戻ってこないことを知っていた。
 友人の車に乗っている時、どこにでも行けるこの自由には、手が届かないことを思い出し、ため息が出る。すれ違ったのになぜ無視をしたのかと知人に言われ、外を歩くのがこわくなる。あの時病気にかからなければ。やり場のない怒りが湧いてきては、どこにもいけないまましぼんでいく。不意に訪れて仄暗い影を落としていく。

 あのCMを見たとき、乗り越えたという言葉にもやもやしたのは、元通りにはならないものがあると知っていたから。病気や傷跡がなくなっても、諦めなくてはいけなかったことや、ありえたかもしれない未来が不意に刺してくる。後遺症のように。
 あの頃の日常が戻ってこないことを知りながら、そのことを認めることができなくて、私は普通に戻ったのだと何度も言い聞かせた。忘れたふりをして、隅に追いやって、ふと思い出して苦しくなる。乗り越えることなんてできやしないのに。
 
 友人とお酒を飲んでいた時、胸の内にしまっていたそんな本音が零れてしまった。同情されるのも嫌だったし、今まで頑張ったと労われるのも居心地が悪い。しまったと思いながら、相手の反応を恐る恐る待つしかなかった。でも、それがあなただと思う。自然な温度でその人は言った。その温度は私の中を満たしていく。身構えていた肩の力がふっと抜けていった。乗り越えたという言葉によって、残り続ける痛みが見えなくなってしまうのが怖かった。なかったことにしたくはなかった。、
 眼差しを向ける。真っすぐに。私の傍にいる、普通に戻れなかったという痛み。でもそれは私を傷つけようとはしていない。ただそこにいるだけだ。もう見えないふりはしないから。ここにいてもいいんだよ。そう認めてあげることができた時、ふわりと心が軽くなる。床のタイルの感触が足の裏に戻ってきた。
 
 乗り越えなくてもいい。すべて克服するほど強くならなくてもいい。ただ認めてあげればよいのだと思う。一度覚えた痛みは、なくなったと思えても、不意に現れてちくりと胸をさすだろう。そんな痛みのことも認めてあげたい。ここにいていいのだと許してあげたい。これからも、あなたの痛みを連れていくよ。あなたもまた、大切な私の一部なのだから。

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