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<終末の人間>とはわたしたちのことなのかもしれない

ニーチェのこの言葉を知っていますか?

皆さん、まず自分の目標を定めてください。まだ間に合います。
しかし、いつの日か人間は可能性を失ってしまう。
そして、軽蔑すべき<終末の人間>の時代がやってきます。
「愛とはなにか。創造とはなにか。あこがれとはなにか」などとなまぬるい
ことを言い出す。その時、大地は小さくなります。
<終末の人間>は虫けら同然です。
<終末の人間>はぬくぬくとした場所に逃げ込み、隣人を愛し、からだをこすりつけて生活している。
やたらと用心深くなり、適度に働き、貧しくも豊かにもならない。
支配も服従も望まない。そういうのはわずらわしいと思っている。
みんなが平等だと信じている。誰もが同じものを欲しがり、周囲の人間と異なると思えば、自分から進んで精神病院に入ろうとする。
けんかもするけど、すぐに仲直りする。そうしなければ、胃が痛くなるからだ。一日中、健康に注意しながら、ささやかな快楽で満足する。
これが<終末の人間>です。

この言葉にはじめて触れた時、何とも言葉にしがたいものをニーチェにつきつけられたそんな気がした。

今の時代は、まさに虫けら同然の人間ばかりになってしまっているのかもしれない。ぬくぬくとした場所に逃げ込みというのは、自分を誰も否定しない、言ってみれば、自分ワールドの事。この自分ワールドの中で暮らしていれば、誰とも接触することはなく、ただ自分だけが幸せでいられる。

ニーチェは、この自分ワールドの中に自分に都合の良い人間を引き入れて、そのものとからだをこすりつけて生きているものに対して猛烈なバッシングをしているようにも思う。

なにもかもあきらめ、とりあえずで生きているわたしたちにとってはとても耳の痛い言葉だ。

私はこの言葉を聞くと何か自分の背筋がピンと張るような気がする。

そして、その耳には常に「生ぬるい生き方しているんじゃねえ!」とそう言われている気がする。

あーだ、こうだといっていないで、ちゃんと自分と向き合って生きてみろ!もっと強烈に生きてみろ!生きることはそんなに生ぬるいことじゃない。

あーだのこうだの言っているうちに、時間なんてものはどんどんと過ぎていく。ならば、今自分がどう生きるかをもっと真剣に考える。まだまだあきらめるのは早い。もっと自分の人生に食らいつけ、そして、負けるな。引くな。こうニーチェはわたしたちに言っている気が私にはする。

だからこそ、いつもこの言葉で自分を律しながら、クライアントさん真剣勝負でその都度向き合わせて頂いている。

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