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甘くて優しい芳醇な香り漂うマイルドな嘘

みんなそうしなければいけないから、そうしている訳で、もしそうしなくてもいいのなら、そうしない。

みんな自分がしたくて~している訳じゃない。それをしなければならないからしてる。なのに、それをあたかも自分がしたいからしてるという言葉に置き換える。どうしてそんな風に言葉を自分に都合よく置き換えてしまうのか?

しなければいけないから、している訳で、それは別に自分が望んだことじゃない。そうはっきりと言ってしまえばいいと思うけれど、何故か、皆それをしようとしない。

そんな事を言ったら、何でもかんでもあなたみたいに正直に言葉にしていたら、この世界では何もかもうまく回らなくなるとそうみんないう。

上手くやる為に大人は、嘘をつく!この場を上手くやり過ごす為に、スムーズに事を運ばせるために大人は嘘をつく。そういう姿を大人はその背中で示し、それを子供に見せる。

何もかもうまくスムーズに進めるには、程よく嘘をつく事が一番いい。私たちはそう言う事をしてきたその大人の背中を見て育った。

あまり強いスパイスの効いた嘘はつくもんじゃない。でも、甘くてみんなが幸せになるようなマイルドな嘘ならついてもいいんだ!と大人はその背中で私たちに示す。むしろ、その丸くて優しい芳醇な香りがするマイルドな嘘ならば、積極的につくべきだとさえ大人はいう。

この世界はこの香り豊かなマイルドな嘘によって成り立っている!!パンチの効きすぎたスパイシーな嘘は人を傷付ける。でも、甘く優しいマイルドな香り漂うそう言った嘘ならば、それは人を傷付けたりはしない。むしろ、その嘘をつく事でこの世界は1つにまとまる!!と大人はそういいたげな顔をする。

嘘をつく事は別に悪い事じゃない。その嘘によってこの世界は成り立っているのだから、マイルドな嘘ならどんどんつくべきだ!それで救われる人もいる。

子供の私からすれば、そういった大人の言い分が何も理解出来ない。パンチが効いていてスパイシーな嘘も、芳醇な香りを持つマイルドな嘘も、私からすれば、どちらも嘘である事に違いはない。

スパイシーはダメだけど、マイルドならいい。そんなのおかしい。

大人が言っている事は、モスバーガーのホットドッグはいいけれど、スパイシーチリドックはダメだ!と言っているようなもの。同じホットドッグなのに、そこに何故、違いが生まれるのか私にはわからない。

優しい味わいのホットドッグは世界を、人を丸くする。でも、パンチの効いたスパイシーチリドックは世界を、人をとがらせてしまう。だから、スパイシーチリドックはダメだ!!

大人はホントにおかしなところに妙な理論を持ち込んでそれで自分の行為を正当化しようとする。ホットドックはいいけれど、スパイシーチリドッグはダメ。一体そこに何の境界線があるんだろう?はっきり言って、そんなの子供には一切理解が出来ない。それってただその時の大人の都合でしかない。

ホットドッグも、スパイシーチリドッグもどっちも同じじゃね?というのが子供の本音。特にこれといった違いなどない。どちらも味が少し違うだけで同じホットドッグ。でも、それを大人は違うとそういう。そこには大きな隔たりがあると。

大人は、すぎるものをダメだといい、否定する。でも、すぎなければ、それはいくらでも受容していいという。ホットドックは優しくて食べやすい。胃にもこれといった負担はない。だからいくつ食べてもいいと言う。でも、スパイシーチリドッグとなると、味がちょっとスパイシーで強いから、胃に負担がかかるから1つだけと言って大人は私たち子供に制限をかける。

子供である私たちからしたらそう言った大人の言い分が全くわからない。大人っていうのは、この話だけじゃなくて色々なものに、制限をつけてる。これはいいけれど、これはダメって。でも、よく見てみれば、そのいいとされている事と、いけないとされている事の間にはそれほど差はない事に気づいたりする。

別にそこを区切る必要もない。同じに見ればそれでいい事を大人ってのはいちいち区切って個別のものとして見てくる。これとこれは全く違うんだ!!とそう言って。でも、そう言って個別化されたものをよく見てみれば、そこには何の差もない。みんな同じ。みんな一緒。何も違いなんてない。

これはいいけれど、これはダメなんて事はない。これがいいなら、それもいい。これがダメなら、あれもダメ。これが一番確かな事。大人ってのは、これはいいけれど、これはダメとそう言って、自分に都合よく何でもかんでも作り変える。一体何の権利があって、現実を大人は自分に都合よく作り変えるんだろう?そうする方が上手くいくからとそう大人は言うけれど、よくよく周りを見てみれば、何も上手くはいっていない。

香り豊かで芳醇、そしてマイルドな嘘であるならば、積極的につけばいいとそう大人は言う。でも、そういった芳醇な香りを持つマイルドな嘘の周りには、いつも何の幸せもない。

この嘘は優しくてマイルド。だから、人を傷付ける事はないと大人は皆そういうけれど、その香り豊かなマイルドの嘘の方が逆に多くの人を傷付けている事だって大いにある。

大人になると、本当に色々なタイプの人と仕事をしていかなければならなくなる。そうなった時には、このマイルドな嘘というものがつけるようにならなければならないとそう大人は言う。そして、私たちが幼い頃から、マイルドな嘘をつける様にと、その自らの背中を見せて、子供にその在り方を示す。

私はこの大人がつく香り豊かなマイルドな嘘で、その場の空気がよくなったり、その場が上手く回ったりなんて事は一度も見た事がないし、体験した事もない。マイルドであれ、スパイシーであれ、その先にはいつも幸福なんてなかった。

マイルドだから、上手くいくとか、スパイシーだから、上手くいかないとかそんな事じゃない。上手くいったと大人はマイルドな嘘をついてから、そうみんな子供に言う。でも、その子供は、そのマイルドな嘘が、徐々にそこにある形を蝕んでいくその様をしっかりと見ている。

マイルドな嘘というのは、ただスパイシーな嘘からすると、その個人の心や環境を蝕むのが少し遅いだけ。嘘に変わりはない。マイルドであれば、その嘘が相手の心を傷付けるまでの間にただ少しのタイムラグがあるというだけの事になる。結局嘘は人を遅かれ早かれ傷つける。

これはいいけど、あれは駄目とそう制限してみた所で、遅かれ早かれ、ダメなものは駄目になる。芳醇な香り漂うマイルドな嘘。それが人を傷付ける事はないなんてまっぴらな嘘。もっと言えば、それは個人のいち妄想に過ぎない。




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