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光る水

アニメ「蟲師」のDVD を寝しなによく、映す。
質素な人物や描写よし、古の和楽器音やガムランのような音楽よし、深々とした物語よし、潔さも。
華美で光速爆音の今日びのアニメとも昔のどの作品とも一線を画す。
なんというか、舌が狂いそうなグルメではなく「麦飯」のような。
酒を舐めながらそれを眺めているうちに眠ってしまうこともある。


先日ふと視直していて愕然とした。
「光酒(こうき)」という名でしばしば作中に登場する、光る水。常人には見えない。おもに地底の川として顕れ、主人公「蟲師」たちのその特殊な生業の術にも用いられる。


驚愕した理由はこうだ。
私が死にかけた時、夢かうつつかさまよった金色の池の畔に立ったことを以前、実体験として書いた。金色の鳥のつがいが泳いで来、促されるまま私はその黄金色の池の水を飲んだ。そして、生還した。

あれは作中に登場する「光酒」と全く同じ表現だ、と唐突に気づいたのだ。
その頃はまだ原作もアニメも存在していない。
黄金色に輝く水。


私は「あれ」を飲んだ。なんということを。
自ら命を絶とうとしておいてなんということを。
そしてすすめられるままがぶがぶ飲んで生き返ったとは。
克明に思い出せる。あの場所の気温、風景、鳥たち、あの味。感じたこと。


私は突如猛烈に恥じ、申し訳なさに泣いた。
粗末にしてごめんなさい。
自身の、ほかの、すべての生命をムザムザと私は。
それを何も言わずに癒し、元の世界に戻してくれた「何ものか」たち。
その後も尚、どれほどバカを続けたろう。もう二度と無駄にはできない。なに一つ。



「(それは)命の源、あらゆる蟲患いに効く 生命そのもの。それ以上でも以下でもない」(作品中より)



私もその形成成分の一つであること。
こうしてまた思い出したらすべきことをせねばならない。何も疑わず、素直に。
胸の中に想う、会いたいひとの面影。愛したい。そのひとをとっかかりにして、世界全部を。塵に至るまで。私はいつかその塵となり、この星の構成物質と同じになる。でも、いまは奇跡的に体を持たされ生きられているのだ。誰がどうだろうと笑いかけて生き切る。偽りも無しだ。この地上にもう一度つながって生きろと言われているのを感じ、頷いた。直観と決断と覚悟は同時だった。そういうものだ。

何故今になって突然、光る水に気づいたのか。ずっと以前にあの水を知ったのは何故なのか。ただ、あれは確かに存在する。



まだ分からないことは山ほどある。
それで当然良い。「すべて分かる」ことなど烏滸(おこ)がましい。
煙草の煙を吐く。息をする、つまり生きている間に私がすべき事としたい事は同じで、いずれも小さな事。でも私にはそうではない。

追記
20年ほど前に書いた詩集を、何故かつられるように開いてみた。


また驚いた。自殺することばかり考えていたその頃の私は、現在起こっていることを詩の形で記していた。当時精神耗弱状態、単に言葉の羅列で戯れていただけと思えた私が、何故。筆跡は私のものだけれど、私の意思ではなかったのか……?

手書きのノートは何冊もあった。作品数もかなりある。



いずれ、ここに記すかもしれない。

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