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短篇小説「遺言服」

 昨日の夕方、父が亡くなった。今年のはじめにガン宣告をされてからあっという間で、六十九歳になったばかりの夏だった。

 「かおるちゃん、ひとりで大変だったね。」
と、弘子おばちゃんがお通夜の会場に一番に駆けつけてくれたので、本当に助かった。弘子おばちゃんは、亡くなった母の妹で広島に住んでいる。デパート勤め二十五年のキャリアで、弔問客の対応を一気に引き受けてくれたので、喪主の私は、痛み入ります……という面持ちで祭壇の横にいればよかった。なんだか頭もこころもしーんとしていて、霧のかかったトンネルをずっと歩いているような、出口には向かっているのにいつ出られるのかわからないもどかしさと息苦しさの中にいた。

 母の時は、あんなにまっすぐ悲しさが襲ってきたというのに。
それは、私が十四歳の思春期だったということもあったし、突然の交通事故だったから、警察とか、相手の運転手とか、保険会社の人とかがいて、なにより父の手の震えが、現実を突きつけてきたせいだったかもしれない。

 母は、朝の小鳥のようにずっと歌っている明るくてかわいい人だった。自分のご機嫌をとるのが上手くて、周りの人を笑わすことに長けていて、お母さんの宝物はかおるよ、というのが口ぐせだった。私は、残念ながら父に似て、自分の気持ちを上手く表現できなくて、いや自分の気持ちがよくわからないタイプで、日常生活を送るがやっとだった。父は、高校の日本史の教師をしながら一生懸命育ててくれたが、母のいない家が、あんなに酸素濃度が下がっているみたいに苦しいとは思わなかった。

 このままだと窒息する、と、社会人になった年に立川で一人暮らしをはじめた。それが功を奏したようで、空気が吸えるようになったら気持ちが軽くなり、少し自分の取り扱いがわかるようになった。自分の外見にも性格にも自信がないこと(どうして母に似なかったんだろう)は相変わらずだったけど。
 今年で三十五歳、はるか昔に結婚しようと言ってくれた彼もいたが、気楽なおひとり様だ。父からはたまに連絡があって食事に行った。会話はあまり弾まなかったけど仲が悪かったわけではない、ごく普通の父娘だろう。

 「かおるちゃん、今日はもうそろそろ終わりかな。」
と、弘子おばちゃんが、うーんと背中を伸ばして私の顔を覗いた。
「そうか、もうすぐ十一時になるから。あ、会葬の返礼品って追加した方がいいよね、どのくらいすればいいのかなあ。」
 自分の声が思ったより冷静だったことが、すこし心を楽にした。
「じゃあ、百、いや二百にしておこうか、どうせ余ったら返せるから。お義兄さん、物静かな人だったけど、趣味やボランティアのお付き合いもあったみたいだし、昔の教え子の年賀状もそこそこあったしね。それにしても、早かったよねえ。」
と弘子おばちゃんの声が響く会場に、突然その人は現れた。
 最近のセレモニー会館は、気密性に優れていて、今日のような真夏の皮膚呼吸ができないくらいねっとりした雨降りでも、外の音はほとんど聞こえないから、誰かが入ってきたことにまったく気がつかなかった。

 「あのぉ、こちら紫藤(しどう)さんのお通夜の会場でよろしかったでしょうか。」
という声に振り向くと、そこにはおとぎの国から間違ってやってきたような妖艶な美女が立っていた。身長は百六十六か七センチ、年齢は四十代前半か、軽くウエーブのかかった艶やかな黒いロングヘアに真っ白な肌、昔の女優さん、ええと、そう大原麗子に似ている。さらにオーラを輝かせていたのは、着ているブラックスーツが完璧だったことだ。深い漆黒の生地(確か一流の黒の反物は何回も染めを重ねると聞いたことがある)、女性らしい美しいラインを引き立たせたデザイン、はりのあるレースのディテールが上品さで仕上げていた。こんな美しい礼服を見たのは初めてだった。

 「はい、そうです。あの……」
と私が言うと
「わたくし、有川古都美(ありかわことみ)と申します。今回は本当にご愁傷さまでございました。娘のかおるさんですよね、お父様には生前に大変お世話になりました。」
と深々と頭を下げられた。
 その人は、棺の中の父に手を合わせ、涙を流しながら何かを語りかけていた。しばらくするとこちらにやってきた。こんな美女が父といったいどんな関係だったのか、という私の考えを察したように、
 「お父様には、私が山で怪我をした時に助けていただいたんです。」
と話し出した。
 そういえば、父は定年したあと山登りサークルに入っていた。足をくじいて困っている彼女を、父が助けてくれわざわざ家まで送ってくれたのだと聞き、元教師の父らしいなと思った。
 「わたくし、こういう仕事をおります。」
と差し出された名刺にはこう書かれていた。

『デスティノ・ヴェスティティ オーナーデザイナー 有川古都美』

 「自分でデザインしたお洋服を、自分のお店で販売しております。それで、紫藤さんにその時のお礼にベストをプレゼントさせていただいたんです。それから、たまに相談に乗っていただくようになってというか、一方的にわたしの話を聞いていただいていただけなんですが、あ、男女の関係ではありませんのでご安心ください。」
 その人は、長いまつげをぱちぱちさせて小さな女の子のように勢いよくしゃべった。
 思い出した、父がやけにオシャレなベストを持っていたことを。前身ごろはからし色、後ろ見ごろはモノトーンのストライプ柄、胸の中央に並んだ黒いボタンは、縫い糸がからし色で合わせてあり、一見派手なのに上品で、何より父によく似合っていた。
 「それで、かおるさんに、お父様からのプレゼントを預かっているんです。お渡ししたいので、私のお店に来ていただきたいのです。」

 二週間後、私は南青山にある『デスティノ・ヴェスティティ』にいた。
表参道の駅から徒歩十分くらいにある骨董通り沿いの路面店で、ひとめ見た瞬間に異次元だと思った。ヨーロッパのホテルを思わせる入り口、女性の顔をしたスフィンクスとうさぎの顔をしたスフィンクスの石像が、神社の狛犬のように左右にすまして座っていた。ガラス戸のドア枠は目が覚めるようなコバルトブルー、ゴールドのずっしりした取っ手を押して中に入ると、床は白黒の市松模様のタイル、天井から吊られたスワロフスキー製のシャンデリア、壁の絵画や家具はバロック調だ。マネキンが、「アモルとプシュケ」柄のジャケットを着ていた(誰がいつ着るんだろう)、でも、ラインが凄く綺麗だった。

 店内に圧倒されていると、奥から有川さんが出てきた。白地にブルーの大きな薔薇の花柄のスーツがあでやかで、さらにキラキラ度が増していた。
 「かおるさん、ようこそ! 楽しみにしていました。どうぞ、こちらの椅子に。飲み物は何がよろしいですか? コーヒー、紅茶、ハーブティー、ペリエがあります。」
と、店内のソファに案内された。
「あ、ではコーヒーをお願いします。」
そう答えながら、場違いなところにきてしまった時のそわそわ感、と同時にワクワしている自分に気がついた。
出されたコーヒー(美味しくて驚き!その辺のカフェのよりよっぽど)を飲んでいると、有川さんが話を始めた。
 「『デスティノ・ヴェスティティ』という名前は、イタリア語で『運命の洋服』という意味なんです。私は、お洋服はその人のフィールドを拡げ、運命を切り開いていくものだと信じているんです。デスティノのお洋服をお召しになることで、ご自身に自信が生まれ、自分らしく美しい人生を歩まれることをイメージして、デザイン、生地選び、計算された縫製、ディテールまでこだわり、何度も試作を作成して仕上げているんです。」
 なるほど、だからあんなにラインが綺麗で、有川さん自身もキラキラしているのか。私には、さすがに敷居が高いけれど、もし着こなせたら自分の低い自己肯定感も高くなるかもなあと考えていると
「あれ、持ってきて。」 
と有川さんがスタッフに指示をして、大きな萌黄色の箱を持ってこさせた。

 箱を開け、白い薄紙をはらっとめくると、上品な薄紫色のスーツが入っていた。
 「お父様が、かおるさんにオーダーされたスーツです。この藤色の生地、探しました。フランスにありました。そこに、ジャケットの裾と袖と襟の一部、さらにスカートの裾にも淡いアイボリーのクラシックレースをあしらいました。デザインのメッセージは『ワンドロップ ―一滴の― 』、魔法の一滴が魂を蘇らさせます。サイズを調整しますので、着てみてください。」
と、興奮気味の有川さんにフィッティングルームに促された。
 こんなに女らしくて綺麗な色のスーツは今まで着たことがない、父兄参観に張り切ってきた母親みたいにならないかと心配しながら袖を通したら、ちょっと驚いた。ものすごく着心地がいい、あ、ストレッチ素材なんだ。それに軽い、持った時より着た時の方が軽く感じるのは仕立てがいい証拠だ。

 フィッティングルームのドアを開けてフロアに出ると、
 「うわあ、凄くお似合いです、思った以上だわあ。」
 「まあ、素敵です!」
と有川さんとスタッフが一気に歓声をあげた。
 鏡の前に立って自分を見たら、確かに似合っているのに驚愕した。今まで見たことのない自分だった、自分で言うのもなにだけど、本当に綺麗だった。着るだけで自然に背筋が伸びる、藤色が肌の色をワントーン上げてくれる、軽くて動きやすいのでストレスがない、なによりあの綺麗なラインがスタイルをよくしている。私が着てもゴールデンラインになるんだ!と、すっかり夢み心地になった。

 その時だった。とつぜん目の前に、映画のように昔の映像が現れた。
 子供の頃、父と母と三人で藤棚を見に行った時だ。満開の藤の花の下のベンチに座ると、小さな花たちが滝のように上から降り注ぎ、甘く爽やかな香りに抱きしめられるように包まれた。ずっと忘れていた記憶だ。
「どうして、花見が桜じゃなくて藤なの?」と聞いた私に、父が言った。
「うちの苗字は紫藤って言うでしょ、むらさきのふじって書く、だから藤は縁があるお花。藤の花は、日本古来の伝統花で海外でも人気なんだ。女性らしさや優しさを象徴していて、紫色は昔から高貴な色とされてきた。『かおる』という名前は、藤の香りという意味なんだよ。誰からも愛される優しく凛とした藤の花のような女性になって欲しい、という思いを込めて、父さんがつけたんだ。」
  母がさらに付け足した。
「もう一つね、藤の花言葉に、決して離れないという意味もあるのよ。藤の香りを感じた時に、かおるにはお父さんとお母さんがいつも応援していることを思い出してねという思いもあるのよね。」
 急に胸がいっぱいになった、鼻に熱いものが集まってきた。ああ、私はこんなにも愛されていたんだ……。お母さんだけでなく、お父さんからもこんなにも愛されていたんだ、そして今も……と思ったら、涙が止まらなくなった。堰をきったように号泣した。どうして、今まで忘れていたんだろう。

 しばらくして落ち着き、鏡に写った自分を見ると、スーツを着ていることがまったく違和感がなく、いや、むしろこちらの方が自然体でいられる、と思ったらこころがぽっと温かくなった。いつのまにか奥の部屋に移動していた有川さんがやって来て
 「サイズもピッタリですね。お直し要らないみたいです。」
と言った。
 「すいません、突然泣き出してしまって、急にこどもの頃を思い出して。」
と謝ると、有川さんはやさしく何度も頷きながらこう言った。
 「お父様は、ご自分の病気がわかった時に、娘にスーツをオーダーしたいと、お店にいらっしゃいました。そして、かおるさんのお名前の由来をお話してくださったんです。私は、それをイメージしてデザインさせて頂きました。お洋服を着ると、お父様の思いが『魔法の一滴 ―ワンドロップ― 』となり魂に届くようと、祈りを込めて。よかった、ちゃんと無事お届けできたみたいですね。」
 そんなことってあるのか、そんなことできるのかと思ったが、体験してしまったので信じるしかない。
「いやあ、本当に驚きました。お洋服って凄い力を持っているんですね。」と告げると、
「今度はご自分にために買いにいらしてくださいね。」
と、有川さんは天使のようにいたずらそうな笑顔をして
「これは私からのプレゼントです」
そう言って『デスティノ・ヴェスティティ』と書かれたのハートの形のチョコレートをくれた。

 お店を出ると、抜けるような青空、下の方は夕刻がはじまっていた。左の空にあるひこうき雲がハートの形に見えた。世界が急にやさしくなったような気がした。地下鉄の駅に急ぐと、どこからか焼きたてクロワッサンのバターの匂いがする、母が焼くパンを父は好きだったな……と思い出した。
 実家に帰ろうかな、トンネルもすっかり抜けたみたいだし、そして来年は藤を見に行こう。


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