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オリエント・中東史① ~メソポタミア文明~

「オリエント・中東史」の連載を始めます。この地域の歴史は複雑で、40年以上前の大学受験の際にも非常に苦労した思い出があるのですが、今だからこそ改めてアプローチする意義があると思っています。
イスラエルのガザ侵攻から半年、ジェノサイド(大量虐殺)としか言いようのない惨劇が日々繰り広げられています。シリアの内戦、クルド民族への迫害、イランと諸国の確執などなど、中東をめぐる状況には未だ改善の兆しが見えません。何故こんな惨状になってしまったのか、歴史をひもときながら考えていきたいと思います。よろしくお付き合いください。
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「オリエント」とは「太陽の昇るところ」を意味し、古代ローマから見て東方の地域すなわち現在のトルコ・エジプト・東地中海沿岸・アラビア半島・イランを含む広大な地域を指す。一方、「中東」も「オリエント」とほぼ同じ地域を指すが、こちらは近代以降の英国の帝国主義政策の中で英国から見てどの辺りに位置するかで名付けられた呼称である。いずれにせよ外の世界から見た名称であり、それを快く思わない人々も少なからずいると思うが、それに代わる適切な呼称がなかなか決め辛いということが、この地域の歴史の複雑さを表しているともいえる。世界史の中でも最も早く文明が発達し、現代では多くの紛争の舞台となっているこの地域の歴史を概観してみたい。

ティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミア(現在のイラク)からシリア・パレスチナにまたがる三日月形の地域は、北部の山岳地帯と南部の砂漠地帯に挟まれた温暖湿潤な地域で、多様な植物の生育に適し、紀元前7000年頃には既に農耕・牧畜が行われていたという形跡がある。「肥沃な三日月地帯」と名付けられたこの地域が、人類最古の文明といわれるメソポタミア文明発祥の地となった。

前4000年紀の初め頃、メソポタミアに初期の都市文明が形成された。ユーフラテス川下流のウルク(ワルカ)の遺跡からは楔形文字を記した粘土板が大量に発見されており、この時代に既に文字が使用されていたことがわかる。それらの多くは穀物の量や家畜の数、土地の面積などの行政・経済生活の記録であるが、同時代の世界の多くの地域が狩猟採集で日々の糧をつなぐ旧石器時代であったことを考えると、この文明の発展段階は驚異的である。農耕生活への移行が一種の革命であったと言われるゆえんであろう。

沖積平野での定期的な洪水を利用した灌漑農業、文字や青銅器の使用、都市への人口集住、六十進法や太陰暦の使用など、高度な古代都市文明を発達させたのは、民族系統不明のシュメール人である。前3000年紀のシュメール初期王朝時代には、ウルクをはじめウル、ラガシュなどの都市国家が多数成立した。ウルの遺跡からは王墓やジッグラド(聖塔)と呼ばれる巨大な神殿が発掘されている。また、人類最古の神話といわれる「ギルガメシュ叙事詩」が粘土板に刻まれた形で残っており、楔形文字の解読により、そこに旧約聖書の大洪水(ノアの箱舟)の原型となるエピソードが含まれていることが判明した。正解最古の法律とされ、後のハンムラビ法典の原型となったとされるシュメール法典も粘土板上に残されている。一般にエジプト・メソポタミア・インダス・黄河の四地域の古代文明を総称して四大文明というが、その中でもメソポタミア文明は最も古い歴史を持つ、紀元前の世界では最先端の文明だったのだ。

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