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子どものメガネで、世界を見る_20190518_032

忘れている感覚がごまんとある。
子どもと過ごすことで、日々、強制終了さながら、強制的にゼロリセットされる瞬間がある。

世界を捉えるのは、言葉だけじゃ無い

そうだ、わたしには特技があった。
いや、それは私自身が特技と思っていただけで、社会の、大人の、誰もそうは思って、認めてくれなかったことだろう。そんな、大人の都合ではなんのメリットもないこと、それが特技。

野生の勘

美人で気立てがよくて、誰にでも好かれる。そんな母のもと生まれると、嬉しい反面、それはそれで悩みがあるものだ。
子どもの時、来客や人と接することの多かった私の母。代わる代わる色々な登場人物がいたけれど、その時に働く野生の勘、これが生きにくさを助長した。
まるで猫だか犬かのように、「ああ、この人は心根が良くなくて、近い将来母を困らせることになるだろう」そう気づかざるを得なかった。
そして、その野生の勘は、哀しきかな、ほぼ100%、私の感じた通りになってしまうのだった。

見えないものを感じる力について

先日子どもたちが、私が教えたスケジュールとタスク管理について語り合っていた。

ああ、算数は青だよね、社会は緑、うんうん、理科は黄色でしょ、それで国語は赤?それかピンクかな?

と、話し合っていて。自分たちが学んでいる科目について使う蛍光マーカーに関しての談義だったのだけれど、耳に会話が入ってきて思わず納得。だよね、だよね、とその裏付けを探りに行った。
子どもは頭じゃなくて、体感で、世界を捉えるもの。世界を頭で捉えることに慣れきってしまっている私だけれど、チャクラや色相環で捉える世界にあまりにリンクしていて、驚いたのさ。

子どものさらっさらの透明の眼差しは、影響受けやすく濁りやすい私に、毎日視点を原点帰りする機会を与えてくれるんだ。

連続更新ができない日もありますが、blog連続更新、今日で32日目、32/365となりました。いつも読んでいただきありがとうございます。コメントや質問もお気軽にお待ちしています!

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