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いらないラベルは全部剥がしちゃえばいいんだよ_20190621_42

陽極まり陰に転ず、1年でもっとも太陽が照り昼間の長くなる夏至は明日。
今週は堰を切ったように片付けスイッチがはいっていて、
数年間放置していた歯科治療とか(痛みがないからつい…)、
数年間もったいぶって押し入れにしまってあった不用品の整理とか(誰かにあげられるかなとか、オークションで売れるかなとかついつい)、
不要なものを処分、整理することに精を出していました。

処理するポイントは
◉1年間つかったか否か
◉心が踊るか、否か

基本的にはこの2点。

今日はプリント、書類、衣類など、結局気づいたらゴミ袋2袋分も不用品がでる始末。以前に比べるとこの数年服も殆ど買わなくなったし、あまり買い物をしているつもりはなくても、いきているといろんなチリや想念がつもるものですね。
今朝、タイムリーに恩師が
「人に、物に、霊が宿る。物持ちは霊持ち。その殆どが未浄化霊か動物霊。」
と書いていて、「見えない」領域でもお掃除が必要ね、としみじみ痛感したのでした。

いらないラベル(ブランディング)は捨ててしまえ

実は私はとても共感力が高い。
呼吸法と瞑想を継続実践するようになったのと、自分のその素質=共感力、気配り力の高さを理解するようになるまで、その共感力によって不要に疲れたり、いつも自分は足りていないのに、人のために頑張ろうとしてしまったり。自己価値を最大限に低めて自分を犠牲にしてみたり。

忘れられないエピソードがある。
大学2年から卒業までとある学習塾でバイトをしていた。当時最低時給800円で働き始めた私、途中から後輩の教育やバイトのシフトをつくったりと、所謂マネージメント的なことまでやるように…。
上長にはすごく評価されていて、いつも褒められて、いつも頼りにされていて、バイトであるにも関わらず社員に任せるような仕事まで託されていた。ところが、3年勤めたその職場で私の時給は1円もあがらなかった…。ずっとそのことを疑問、そして不満というか、寂しく感じながらも、卒業までついぞ言い出すことはできなかった。その時のエピソードが、私の人生の課題の一つのわかりやすい象徴だなと、今はとても思っている。


2019年、そんな私をやめることに決めました

そんな自分を、いよいよやめたくなってきた。もう、飽きたんだと思う。
犠牲は美しくない。我慢のエネルギーは誰も幸せにしない。一人一人が素直で自分らしくあれるように、まずは私はしっかり自分を満たしてから。社会へ、世界へ貢献していきたい。
会社員を退職して自分らしく、自分の納得いくことを、自分を通して世界へ貢献していく。ここに到るまでにものすごい時間がかかったけれど、人生はとことん、自分のためだけにあればいいのだ。
「気が利くね」
「やさしいね」(いや、口は悪いですが、笑)
「責任感が強いね」
「しっかりものだね」
「期待の120%でこたえる私」
人生の半ばまで勲章のように掲げていただろう自分ブランディング。私、本当はいらないの。いらないラベルは全部剥がさせてもらいます。


そんなわけで、この数ヶ月間、外出は最低限、インターネット、SNS、情報も選んだものを最小限、自分にとって本当に光り輝く真の光をみつめるために、あえて闇(引きこもり)を選ぶ覚悟をしていました。
そうしたらやっと、いらないラベルを剥がす覚悟が決まって、楽になった。

愛と感謝と歓びとともに、
私は私の生きたい人生を豊かに生きる。

ラベルの剥がし方がわからない方は6月26日か、7月5日に、お会いしましょう。

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