見出し画像

SNSという霧に包まれたら



他人と自分を比べて劣等感。

他人のSNSを覗いていて、感じることや思い浮かぶことがある。

その時、それに批判や否定があるとそれは自分に対する学びとなる。

Aという物事を、Xという切り口で伝えていることに対して、Xが嫌だ、うざいと感じたら、XではなくてYという切り口が自分が好きなんだなと分かる。

また、相手に対するものの聞き方ひとつとっても、「その言い方失礼じゃないの?」って感じたら、自分は礼儀正しく人に接したいということなのだなと。

他人と直接的に、もしくはこの時代は特に間接的に関われば、考えずにはいられないのではないか?

考えること、感じることを自分で自己消化できていればいいのだが、最近は自己消化不足。


悔しさが自己消化できない。

他人と勝負したいわけではないが、
他人はAであるのに、私はAになれないという劣等感。

張り合ったって何にも変わらないのに、ぷんぷんしてしまう感情と折り合いがつかない。


ふと思った。ぷんぷんしたけど、私は問うた。
「本当になりたい者は何者なのか?」と。

本当にAになりたいのか?
— AではなくてBになりたい。


Bに近づけるようにすればいい。
Bに近づく時間が割けていなかったと。反省。
そうぷんぷんする必要など無し。


—————

たまに他人に気が散って、本来の自分が霧で見えなくなる。一旦他人と離して霧を薄めてあげよう。

全くSNSは霧を濃くしがちで困ってしまう。

SNSオフの時間を意図的に作ってあげよう。

また霧に包まれないようにしよう。
包まれてしまったら解こう。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?