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マイノリティが怖い人

ここ数ヶ月のマイブームの始まりを羅列してみた。


8月  古典、地理、郷土史
6-7月 発達障害
3-5月 セクシャルマイノリティ
4月  グリーフケア
-3月 哲学カフェ


1度関わったテーマは
それ以降パッタリと途切れるわけではなく、
そこで出来た友人とは薄く広く繋がったりして
世界を広げ続けていく
わたしの中はいつも何線か並走稼働している。


結果、深くて多様なテーマが並んでしまったが
駅から駅へと同じ線路の上にあるから辿りついた。
どれもこれも自分の線路の上の話だった。


自分を映す鏡を覗く旅である。
当事者と呼ばれる枠の中に入り
とにかく人と会い、話し、聞きに参加した。


自己理解というモチベーションは
その線路を躊躇なく歩ませた。
どれもこれも初めて辿り着いた駅だった。

眠れないほどショックを受けることもあれば
震えるほど目が覚めることもあった。
ひと月で5キロ体重が落ちたりもした。


そんな経過を近況として話したところ、

「マイノリティが沢山いるところ怖くないの?」

という言葉を何人もからもらった。


それはトウジシャの響きと同じくらい
母国語なのに意味がわからない言葉だった。

レアな枠の中に飛び込むことが怖くないのか?
という意味だったのか。


枠が怖いという感情は
枠の中だからこそ起きた。

怖くないこともない。
だって何も無いと思って生きてきた身体に
突然無数のタグが浮いて見えるわけだから
知っていた人が実は人殺しだったくらいの
衝撃が自分の身の上に起きた。

それとも、彼らは怖い人ではないのか?という
意味だったのか。


どちらもあまりに自分から遠い感情で理解し難いが
みんな普通の一般的な社会人や学生であるから、
知識を得て自己分析し、自分に必要だとおもい
電車に乗ってそこまで来る。

その普通の人に会うことが怖いなんておもわない。
なんなら個人事業主の異業種交流会の方が
よっぽどわたしには怖かった。


「世の中に同じ人はいない
 だからみんな違っていい」

そんな言葉ももらった。


その言葉も、わたしには違和感だった。
わたしは自分と全く同じ人なんて、
これまで会ったことがない。人と違うなんて当然だ。

だけど、みんな違ったら
ほんとにわかり合うことなんてできない


属性という括りで切られる
グループというものが人の中には存在している。


そのグループの中には固有の哀しみが漂う。
大きなグループに合流できる前
みな、どこにも寄り掛かり先を見出せず
長いこと漂流してきたコウモリだった。


グループの中には友人を救う熱き友情
鉄槌という杭を打たんとする正義
被差別のいじめに苦しんできた憎しみから
無理解な社会を変えるべく、動く働きもある。

その働きは どれほどの苦行であるだろうか。


哀しみに立ち向かったという英雄譚
哀しみがある前提の苦労の物語だ。

哀しまざるを得ないという、世の中の前提の通り
哀しみにひれ伏したことがあったけど、
なんとか立ち上がっていくストーリー。

結局、そこにいる人はみんな哀しい。
哀しかったことがあった。


哀しみを他人のせいにする という言葉が
わたしにはけっこう、しっくりくる。

他人がいるせいで こんなに哀しい。
 あなたが違うグループだから こんなに辛い。

その言葉の裏に、
どうしようもない人恋しさ
他人からの愛を欲する純情
人の人らしい可愛らしさ美しさ
愚かにも実直で 素直な 心の声が 見て取れないかと わたしはあの人に聞き返せばよかった。


「あなたの中にも同じ気持ちはあるでしょ? 」


当事者という言葉でカバーをかけてしまうと
途端に見えなくなる筋の話なのだ。これは。

結局、ぜんぶ、そこで落ち着く話なんだと
本当の本当はそうなんだと思っている。


枠の居心地の良さは時間と共に消える。
哀しみの香りだけを嗅いで生きていられない
そんな足掻く自分の変わりようと共に
枠の小ささに収まりきれなくなっていく。

自分らしさを枠で切り刻むなんて不可能だ。


あの人に言えばよかった。


なんならいますぐ、スマホの画面越しでも
友達にキスしてみたらどうか、と。


友達に、キスしてなにがいけない。

もうそんなのいくらでも曲解してくれていい。
そんなこと話してるわけじゃない。
友達だから同性だから躊躇するその一線を、
どのように越えたらいいのか、知って欲しい。

あの人に知って欲しい。
自分の中の恋と人をおもう心の境界線
どれほどグラつくものかを。


おもってもなかったグラつきを
誰かに聞いてほしいとき、
抱きしめて認められてそれでもいいよと
言って欲しいのに、素直に甘えられるだろうか。

それこそが哀しみの正体だ。とおもう。


抱きしめられる温かさで
簡単に解けてしまうほど
脆くて繊細なのに
あまりに厄介で とてもじゃないけど
言い出せないのは じぶんなんだ。


どんな風に躊躇するのか物怖じするのか
知らないフリなんて みんなしなけりゃいい。


怖くて人に言えないことの1つや2つや3つや4つ
なんなら両手に余る程
誰しも持っているのに、ないフリを装っている。


とか当事者とかいう言葉で
自分からその怖さを切り放すだけなのだ。



世界は 自分1人と その他大勢で

構成されている。



みんなが自分と違う。
だから同じものを持っていることが
こんなに大切なんじゃないかとおもう。

そう、言いたかったのに 言葉にならなかった。


またそんな話をだれかとして、
言わなくてよかったんじゃない?ってなるんだろう。

言われてわかる筋のことじゃないのだろう。
やってみないとわからない言葉というものが
この世界にはあって
暗号を頼りにみなが手探りだ。わたしだって。


鼻を効かせて足を運び
目を見開いて触り尽くせば、体の中で味がした。

枠は無味の炭酸水だった。
大して美味しくないのに
のどで弾ける気泡は無視できないのだ。