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残してくれたものと永遠に失われたもの



今更ながら、母親の葬祭費なるものが振り込まれるという。
母親を失ってもうすぐ5カ月になるというのに。
母親という僕にとっては「最愛」の人がこの世界から消えて、残されたものは、少ないお金と沢山の洋服、沢山の思い出と永遠の苦味と痛みだった。
「いつまで引きずってんだよ!」と誰かは言う。
でもこれは立ち直るとか前向きとかそんな問題じゃない。
彼女の生きた証は他人の記憶からどんどん消えていく。
まるで、最初から居なかった様に。
僕の中でも、時という無慈悲なものが少しずつ記憶と思い出を削りとっていく。
歴史に於いても時間に於いても、とるに足らない存在でしかない命。でも僕にとっては「最大公約数」で「最重要課題」の一つなんだ。
僕という冴えない形の意味合いの曖昧な存在をこの世界に産み出してくれた光なんだ。
彼女の生きた証は僕がこの時代の片隅に刻みつけてやらねばならない。
これは維持なのかも知れないし、義務感なのかも知れないし、答えが自分でもよくわからないが、そうするべきだと直感で思った事。
ただ生きて死ぬ何千何万何億の生命のほんの一握りの魂。
「生きてく意味」なんて仰々しい事は言いたくもないけど、確かに「こんな人間がいたんだよ」ってことくらいたまに思い出して懐かしんでほしい。
いずれくる自分の死も、今のところ「語られる人」は誰一人いない。
僕はそれでいい。
でも母親の証は、子供である僕が永遠に忘れないようにしなくちゃならない。
だからこの拙い文章をデジタルで残そうと思ったのかもしれない。


ありがとうございます!

残されたものは特別なものでもないけど、大事に使わせてもらうよ。
相変わらず、この世界は無慈悲な事件事故が毎日毎晩繰り返されてる。
なんとか生きてる僕らサバイバル。
この旅はまだまだ終わりじゃないらしい。
沢山の思い出ばなしをお土産にしていつか貴方に逢いに行くから。
それまでしばしさようなら。
あの花咲き乱れるいつかの春に花びら舞い散る春に会いましょう。


おどけてる最愛の人、いつかの春に会いましょう。

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