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親父、逝く。

9月21日 13時50分。父親、肝臓癌のため死去。
享年87歳。
先月の8月15日に、かかりつけ医に行きたがらない親父を無理矢理連れて診察。
血液検査の結果、かなり肝臓の数値が良くないという事で、大きな病院を紹介して貰いその日にそのまま直行し検査、拳大の肝臓癌が見つかりそのまま即入院。
その時点でステージ4。
歳の為手術等癌に対する積極的治療は出来ないという事で、本人に告知。
「年は越せない」「癌治療は出来ない」
なので、緩和ケアで、「痛みを取る治療」を主に運を天に任せ最後まで面倒見てもらう様にお願いした。

まぁ入院して約1ヶ月と少し。本人も覚悟はしてたと思う。
息子2人は覚悟出来ていたので最後の瞬間は泣く事も悲しむ事もなく迎える事が出来
た。

最後まで親父はガキのまんまだった。
我儘ばっかり言ってた。

先々週迄は立ち上がりよく笑いよく食べて我儘ばっかり言ってた。
それが先週に入り急激に病状が悪化して立ち上がる事や食事を摂る事が出来なくなってきた。喋る事もあまり出来ず、痛みも多少出てきた様で痛み止めと睡眠薬で寝ている事が多くなり辛そうではあった。

実は昨日「そろそろ覚悟して置いて欲しい」と病院から連絡が入り会いに行っていた。
親父は久しぶりに起きてよく喋ってた。
「家に帰りたい!帰る!」と言って駄々を捏ねて宥めるのに一苦労した。
最後は「また来るから」と握手した。
弱々しくほとんど握り返す事のない痩せた手。自分の腕を見て「こんなに痩せちまった」と俺に見せてきた腕。こんな時でも安物の腕時計を付けてた。
そして俺の帰りゆく姿を名残り惜しそうに見ていた。

今日の午前中迄は昨日の様に元気だったようだったが、お昼を過ぎた辺りから急激に病状が悪化して呼吸が少しずつ弱くなってきたらしい。
たまたま兄貴も休みだったので午前中自分らの行きつけの病院に行って帰ってきた矢先親父の病院から電話が入り病室に向かった。
その時は血圧もかなり低く呼吸も段々と弱くなっていた。
そして苦しむ事もなく静かに逝った。
それが今日の13時50分。

まぁ大往生だったと思う。
最後まで自分勝手に誰かのお世話になりながら、我儘ばっかり言ってカッコつけていた。
思えばあの親父とは「ケンカ」ばかりでソリが合う事は一度も無かった。
多分病院でもデイケアでもご迷惑をかけていたんだと思う。
でも憎めないとこもあり外面はかなりいい男だったから「仕方ないな」と思われていたのかも知れない。
好きか嫌いかで言ったら今でも「嫌い」な人。
でも俺が生まれたきっかけの一つにはアイツの存在がある訳で、良いか悪いかは別にして「ありがとうございました」の言葉は捧げても良いかなという気にもなってはいる。

これで俺の両親2人共にこの世から居なくなった。
まだ実感はわかない。
でももう居ない。それが事実。

15日に病気が発見され、お彼岸シーズンに逝った親父。
これは俺の母親が連れって逝ったのだろうと思う。
15日は母親の月命日。
生前母親は親父の事を「嫌い嫌い」と言って「あんた達にあの人を残すのが申し訳ない」だの「仲良くやってよ」だの親父と息子達の未来を危惧していた。
だから連れて逝ったのだと思う。
心配症な人だったから。
でもそそっかしく天然でもあった母親。
「タイミング!」とツッコミを入れたくなる。
流石に毎年毎年両親の葬式しなきゃならない息子達の事考えてくれ!
あんたの一周忌も12月にやらなあかんのよ!
で、俺あんたらの為に介護主夫になったから収入がほぼないのよ!
行きますよ!ノーマネーでフィニッシュdeath!よー!
本当に。やべえのよ。

と、ツッコミつつ、何はともあれ

「2人には色々ありましたが、産んでくれてありがとうございました。」

「これからは相変わらず先の見えない不安の中にいますし、心配かけまくると思いますが、まぁなんとかかんとかやっていきますから見ていて下さい。そしてしばしお待ちください。また春に会いましょう。」

さぁ明日は葬式の打ち合わせ。

しかし葬儀屋に聴くと亡くなってる方々が沢山居るみたいですぐに出来るか分からんらしい。
なんとも世紀末。
葬儀屋が儲かってる世界線なんて「世も末ですなあ」

続く。

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