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力を抜く

 揺られる長野電鉄、雑踏の中。福岡県の移動式書店を営む知人からのお薦めである、石井ゆかりさんの本『選んだ理由。』を読む。43ページの「力を抜く」というコトバが目に留まった。ナゼだろう。自分なりに噛み砕こうと自問自答し始めたら、ページを捲る手がピタッと止まる。この世界とは別の世界への旅に出ているかのようだ。この感覚は“読む”という行為では必然的に起こることであり、大切なことかもしれない。
 すっと読めてしまう本は読みやすいだろうが、印象深くないし、心に残ったり、魂を磨いたりする可能性は低い。それはすでにあなたを形作っているものであり、曖昧さがないがゆえに読みやすいのである。あなた自身を表しているともいえるから、受け入れやすい。そういう本を読むのも勿論いい。しかし、これからはたとえ小難しくても、真理を理会しようとすることが、あなたの肚を作っていくに違いない。それによって、これから見えてくる風景も変わるし、出会う人にも影響を与える。本を読むことは、一石を投じる行為であり、流れが変わり得る。
 当然、著者本人ではないから、事物すべてを理会することはできない。でも、それでいいのだ。著者が渾身の思いで紡いだ言葉をもとにして、自己対話することそのものに価値がある。決して正解があるわけではないし、納得できる答えなんて見つからなくていい。特段、見つける必要もない。若松英輔さん著『「生きがい」と出会うために』で、“同じ本を手にしていても、読む動機もそこから感じとる意味もまったく違う”と述べているように、個々に感性が違う。これこそまさに個性である。個性に善し悪しがあるわけではなく、みんな違って当たり前。個性というのは生まれ持ったものであり、敢えて見つけたり、作り上げしたりするのもおかしい話である。そもそもあるものだ。だからこそ、違うということを認識し、それらをあるがままに受け入れる心を持つことが大切だと思う。そこでは傾聴する力が欠かせない。これはコミュニケーション能力のひとつといえよう。
 今年7月から放送されて、楽しんで観ていた「TOKYO MER~走る緊急救命室~」の主題歌であるGReeeeNさんの『アカリ』を聴くとジンとくる。“難しいことも 楽しいこともあるさ もう諦めないで あなたはあなたでいていいんだからね”という歌詞に、生きていく勇気をもらうと同時に、もっと肩の力を抜くときがあっていいなと思う。最近、言葉を書くことが増え、楽しいのだが、息が上がっている。手を抜きたいわけではなく、心地よい形で書き続けたい。この歌を聴いて、そう思った。
 東京都国分寺市にある“クルミド珈琲”の店主影山さんは「ゆっくり、いそげ(ラテン語でFestina lente)」をモットーにしているが、“良い結果により早く至るためにはゆっくり行くのが良い”という意味だ。あれもこれもと欲張って手を出したくなるが、目の前にはすべてがある。それに目を向けよう。ないものはない。あるものはある。
 ともあれ。出動します! Everything’s gonna be alright, yeah!!

♬M.M. の「哲学対話P4S」コーナー♬

第5回<幸せ、不幸とは何か。そして、世の中の人が全員幸せになることはできるのか。世の中、不平等ではないか。>
 この問いを頂いてから、事あるごとに自己対話していました。素敵な問いをありがとうございます。この通信では、実は対話にまで発展していないのですが、流れが生み出せたらいいなと思っています。でも、来年度の「看護総論」では対話をどんどん取り入れようと思っていますから、よろしくね。
 2日の朝、動画で韓国グループIVEのデビュー曲『ELEVEN』を発見し(1日にアップされ600万回再生とは驚愕!)、陳腐な表現だが歌・ダンスにうっとりし、魅了され、歌詞を噛みしめていたら、やはりこのテーマを紡ぐべきだと思いました。
 流行語大賞にノミネートされた「ジェンダー平等」は、「男女平等」の深化でしょうか。ただ誰目線で述べている言葉かが分かりません。別に言葉そのものを否定しているわけではなく、そもそも“平等”とは何でしょう。何でもかんでもみんな同じになれば幸せでしょうか。勿論、平等というか平和であった方がいいなとは思います。しかし、そうなったとしても、人間の欲望は尽きないものです。次のことを思考し始めるでしょう。禅に「少欲知足(欲少なくして足るを知る)」という教えがあります。どうしてもない方に目が行きがちですが、自分はすでに満ちているのです。ようするに、事実をどう捉えるかは個々によって違うので、自分次第なのです。まさしく、アナ雪の“let it go!”の精神だと思います。そして、できることとできないことがあるはずですから、それを分かち合えたらいいですね。
 さて、一昔前では結婚する際にご両親への挨拶で「娘さんを僕にください。“幸せ”にします」「娘は物じゃないんだぞ!」みたいなやり取りが定番(?)でした。この言い回しに疑問符。幸せに「する」とはどういうことでしょう。私は、幸せとは「なる」ものではなく、「ある」もの(状態)だと捉えています。今の状態を自分自身が幸せだと「感じる」かどうかです。幸せと不幸せは、すべて心が作り出しているものなのです。お腹がすいているときに、美味しいものを食べたら、「幸せだな」と思います。寒い中、星が燦燦と輝く夜空を見上げて、「綺麗だな」と思います。そういう瞬間を増やせたらいいですよね。逆に、自分が持っていないもの、できないこと、人がやってくれないことばかりに目を向けていると、幸せは感じにくくなります。そういう意味では、おのおのが幸せを感じることができたら、世の中の人は誰しも幸せでいられそうです。それにしても、この問いそのものはナイチンゲール的発想だと思います。みんな幸せであってほしいなというふうに感性的に汲み取れます。まさに看護師向きです。
 神谷美恵子さんの『生きがいについて』には、「ひとは他人への愛ゆえに自らの自由を捨てて、ひとに仕えることもある。ほかの道をとることもできるのにこの道をえらぶとしたならば、これもやはり自由に不自由をえらぶといえる」と書かれています。確かにその通りで、本校でも話題になることですが、何をもって“自由”と捉えるかは難しいです。
 石川幹人さんの『生物学的に、しょうがない!』に書かれている“イライラが楽しければ良かったのに”という言葉に得心しました。古い脳が、新しい脳である前頭前野による「理性」を妨害するためイライラするらしいです。これと似ていますが、フランス哲学者のアラン氏の言葉に“寒さに対抗する方法はただ一つしかない。それは寒さをいいものだ、と考えることだ。”とあります。人間の構造は未知なるものばかり。美しいです。深すぎます。やはり、魅力的で、魅惑的です。

2021.12.3

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