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他人の目、自分の心。美意識とは。

梅雨時期とはいえ、初夏と呼びたいような暑さも続く中、衣が薄くなり、脱毛について考える方も結構いらっしゃるんじゃないかなあ、と最近感じます。

実際、わたしもNZから帰ってきて本格的な日本の夏はこれが初めて。昨年も約1ヶ月半夏に日本でいましたが、働いていませんし、友人に会ったりビザの申請に行ったり、あとは家で読み書きしたりしていただけでした。なので、今年初めて「毛のある肌で日本の夏を過ごす」をしようとしています。


実際どうかというと、電車で横の席に座った高校生とか、隣のデスクの方とかの視線、正直なところ気になります。特にわたしは日焼け防止や冷え対策にと、長袖やアームカバーをしているわけではなく、普通に半袖を着ているので。絶対、この人毛の処理してない…って思われてるんだろうな〜と。でも、別にそれを言われたわけではないんです。自分で勝手に思い込んで、被害妄想してしまっているところも大きい。だって数年前までは、わたしもそれが普通だったから。

でも、NZで色んな人種・世代の生えっぱなしの無駄毛を見て、え、いいんだ。
じゃあわたしもしなくていいや。と思ったのは、心の奥底では自分はしたくないと思ってたんですよねきっと。特にわたしは医療脱毛をしたことがあるので、地毛よりは目立たない。日本でだって、もうしなくてもいいんでは?誰の目を気にしてたんだろう。と思うようになりました。(※NZでも脱毛している人はいます)
ただ、やっぱり自分の美意識的な部分はあって、ムラで目立つ毛が嫌で(医療脱毛でもムラがあります)、そういうものは抜いてしまっています。


映画やドラマで見るフェミニズムのかっこいい女性たちは、脇毛ボーボーだったりするけど、実際今それを日本で自分ができるのか…って言ったら、いきなりは難しいですよね。わかります。わたしもあそこへ辿り着くのは遠い。
で、実際どんな感じ?を見たい方って結構いるんじゃないかなと思って、実物をお見せするために、今日写真を撮りました。無加工です、どうぞ。

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1枚目だとあんまりわからないですが、2枚目だと見えますよね。今のわたしは、こんな感じです。産毛より濃いし、ないわけではない。あるのは見ればわかる。でも遠くから見てもわかるほどではない。そういう程度の毛です。

NZで外遊びしすぎて、日焼けが治らない+シミも出来てます。
ただ、逆にこのおかげで目眩しになってる部分もあります。シミそばかすができやすい体質ですし、皮膚ガンは怖いので日焼け止めは毎日塗ります。最近あまりにも日がきついので日除のために日傘は持つようになりました。でも、時々街で見かけるような、日傘+帽子+サングラス+日避けスカーフ+長袖もしくはアームカバー(手袋)の人(しかも今は、それにマスク!)を見ると、いくら日焼けしてない綺麗な肌でも、その見た目は美意識的にどうなの、と思ってしまいます。

シミひとつない美しい肌というのは魅力的な部分でもありますが、ただ肌が綺麗なだけよりも、キャンプや山登り、海で焼けた肌ーそしてそれで出来たシミそばかすは、わたしはその人の魅力の一部では感じます。日常生活を送っているだけでも出来ますし、歳を取ることによる「味」の一部ではないでしょうか。
もちろん、ケアしなくていいというわけではなく、日焼け後に保湿などして手入れをすることは大事ですが、あんまり見た目だけに捉われなくていい社会になってほしいのです。

日本は(いや他の国もかも)ルッキズムに囚われすぎている。
もっと自由に生きるために、他人の目より、自分の心に耳を傾けたい。
それから、自分の美意識を持ちたい。他人の作った美意識のルールに縛られず、自分は何を美しく、何を大事だと感じるのか考えるべき時に、わたしたちは生きているように思います。



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蛇足ですが、日本では海のような「バカンス」的な場所でない限り、サングラスをかけづらい風潮があります。でもサングラスは太陽光、紫外線から目を守ってくれる大事なアイテムのひとつ!南半球の紫外線は日本の比ではないので、これはファッションアイテムではなく生活必需品でした。サングラスをかけるだけで視界の何と楽なことか!あちらでは、皮膚ガンは結構深刻な問題なんですよね。そのため今も通勤時に使っていますが、やはり道ゆく人々の視線が突き刺さる。でも、知らんぷりして颯爽と歩きます。
自分に大事なものは、自分で決める!これは流されて消えてしまわないようにしたいことのひとつです。





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