見出し画像

子持ちの外国人がフランスで大学院に通うということ

【閲覧注意!】
途中かなりネガティブモードになりますが、最後持ち直しますので途中ご辛抱を。

私は現在フランスのとある大学で修士課程二年目に在籍しています。学んでいるのはざっくりいうとマーケティング。もう少し詳しく言うと、SNSを利用したプロモーション方法や、ウェブコンテンツの作成方法、インターネット上の法規、マーケティング効果の分析方法などなどを学んでいます。

■内容がハード■
大学院に進学が決まり、すぐに気づきました。「甘かった」と。欧米の大学の勉強が日本のそれに比べると厳しいということはなんとなく知ってはいました。でも、『修士』の勉強だし、研究主体で時間の融通は利くものだろうと楽観視して入ったところ、大間違い。週五日(うちのマスターは実際に企業で働いている人を講師としても招いているので、グラフィックの授業などは土曜もありました)みっちり。ひどい日は朝8時から夜8時まで全部授業、なんて曜日もありました。とにかく出席必須のコマ数が多い。そしてそれぞれの科目で容赦なく課題が出る。テストも多い。テストには口頭のプレゼンテーションも多くあります。それぞれにとにかく重たい準備が必要。日本の学生のようにアルバイトをしてる子がほとんど居なくて不思議に思っていましたが、その理由はする暇がないからだと分かりました。

■環境もハード(学内編)■
初日行ってみてびっくり。え、外人私だけ…(実はコロンビア人の子が一人居たけど見た目では分からず…)。そしてみんな私より一回り若い。もちろん子持ちなんて居ない。なかなか打ち解けられない。ていうか、打ち解けようにも話していることが分からない。だってこんな早口の若者言葉に免疫ない。先生が言っていることはクラスメイトの話し方よりは聞き取れる。でも、マーケティング用語、ネット用語、日本語でも知らないのにフランス語でなんて分からない。でも誰にも聞けない。だって友達居ない。
反対にうちのマスターの姉妹課程は外国人とフランス人が半々で、私と同世代も居て、たまに合同授業で一緒になるととても雰囲気が良くて、心から羨ましく思ったものです。。そんな状況が長いこと続いて、とても孤独で、自分だけ分からないことがすごく情けなくて、毎日朝になると絶望的な気持ちで目を覚ましました。

■環境もハード(自宅編)■
そんなわけで、フランス人のクラスメイトよりも遥かに多くの時間をかけなければ、ちゃんと理解することも準備することも出来ない私でしたが、夫はかなり忙しく働いてくれているので、基本的に家事育児は私です。もちろん頼れる家族は居ない。朝早い日は子どもたちを朝の学童に預けて、大学の授業が終わるとともに、夜の学童にお迎え。その後は夕飯を作り、子どもたちをお風呂に入れ、諸々家事をし、やっとすべて片付いた…という時間にはすでに体力は限界。でも寝るわけには行かないので、そこからなんとかして大学の課題に取り組みます。『本当の学生』であるクラスメイトは、授業が終わったら学校の図書館に残って課題に取り組むことも出来るし、家に帰れば自分の時間。その人達より理解できてない自分が、その人達より少ない時間でどうやって同じ授業についていけばいいんだろうと途方に暮れたものです。

■追い打ちをかける修士1年目論文■
一年目の終わりには論文を書かなければなりませんでした。でも、それだけに専念できるわけではなく、いろんな科目の課題、プレゼンテーションがずっと並走している状態です。その論文の締切が迫る頃は、まさにこれまでの人生で最もハードな期間でした。日中はずっと動悸と頭痛、夜は不安と焦りで寝付けない日々が続きました。睡眠を取らなければ行けないと分かっていても、こなさなければならないことが多すぎて、「やらずに寝る」という選択肢は選べませんでした。というのも、学生ビザでフランスに居る私にとって、成績は今後の滞在に影響してくる重要ファクター。でも、そんな日々が続くと、最終的にはパソコンに向かうと吐き気とめまいで作業を続けられなくなりました。そうやってどんどん生産性が落ちて、ある科目では、プレゼン当日にも関わらず、全くスライドが仕上がっていないという事態に陥りました。一刻も早く仕上げなきゃいけないプレゼン資料を前に作業が続けられず、結局先生に連絡して、その授業が終わるほんの数分前に滑り込んで、最後にプレゼンをさせてもらったこともありました。もちろん穴があったらすぐさま飛び込みたくなるほどのひどい出来でした。そんな中のある日、朝からいつにも増してひどい頭痛だったんですが、運転中にきちんと信号が認識出来ていないことに気づきました。その時に、「もうこんなのやめよう」と思いました。

■挫折による解放■
「もう無理だ。やめよう」と思ったら少し状況が俯瞰できました。身体が悲鳴を上げていて、子どもたちの「ママー」という呼びかけが重荷にしか感じられなくなり、ふと俯瞰してみると、何が大事なんだ?と。そして論文の担当教官に相談。うちの大学では論文提出には2つの期限があり、殆ど全員が第一次締切で提出します。なぜなら、その方が成績に有利(進級しやすくなります)だし、提出した途端に夏休み。第二次締め切りは言ってみれば『落ちこぼれデッドライン』。でも、私は論文提出を第二次締め切りにさせてもらいました。結果的にはとても良かったです。並行して走っていたテストやプレゼンが全て終わってから、少し休養して、論文に集中することが出来ました。結果的に周りの子達より1ヶ月以上も遅い夏休み入りになったし、自分だけ第二次締め切りでの提出ということに劣等感も感じましたが…おかげで身体を壊さず、笑って進級できました。

そんな感じで修士一年目は終わっていきました。現在二年目。同じ科に一緒にプロジェクトに励む友人も出来、フランス語版早口若者言葉にもかなり慣れました。

1年目、自分が望んだ環境に身を置いて、望んだ勉強が出来ていることを忘れて苦しんでいる期間が結構ありました。クラスメイトにあるネイティブの語学力(当たり前)、自由な時間(当たり前)を羨ましく思うばかりで、自分の立場と環境でどうやって戦っていくのかを考えられていませんでした。母親でありながら、外国で勉強することを選んだ以上、他の人と同じように出来るわけはないんだなということを認識してからスタート出来た二年目は、まだまだ足りないところだらけではあるものの、少し去年より見える範囲が増えたかなという印象です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?