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逆にしてみる

松浦弥太郎さんの文章が心地よくて、最近気に入っている。
少し前に読んだ弥太郎さんの新刊「眠れないあなたに」で、弥太郎さんが仕事上のストレスから不眠になり、それがきっかけで走り出したということを書かれていたのだけど、図書館で弥太郎さんの著作が並ぶ中にこの本を見つけて、これは読まなければと手に取ったのが「それからの僕にはマラソンがあった」。

こちらは単行本、文庫本も出てるみたいです

ランニング系のエッセイは村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」以来の2冊目。走ることについて〜を読んでいたらもう無性に走りたくなったことをよく覚えているので、きっと松浦弥太郎さんのこの本もランニングへのモチベーションが上がるに違いないという期待で読み始めたのだけれど、ランニングへのモチベーションが上がったのはもちろんのこと、今後ランニングに取り組む上での道標を記してもらえたような気がする。
私はランニングでフルマラソンを走ることを目標にしているわけでも、タイムを上げることに努力しているわけでもないタイプのゆるランナーなので、村上春樹氏の著書の方(世界のマラソン大会にエントリーしたりとにかく距離も速さもガチオブガチという感じ)は大画面で映画を観る感覚で読み終えた。一方弥太郎さんの方は、不眠が原因である日突然走り出して、最初は数百メートルがやっとだったのが、少しずつ3km、5kmと距離が伸びていき、すっかりハマって毎日闇雲に走った結果脚を痛めてしまったり、という走ることの始まりが私と全く同じだったので親近感を抱かないわけがなかったし、フルマラソンがーとか、レースがー、といった話がほぼ出てこないのも私にはちょうど良く、目の前でお話を聞いたかのような読後感だった。
途中、EKIDEN NEWS主催の西本武司氏との対談が挟んであり、オタクたちが推し(マラソン)を語るみたいな雰囲気でなんだかこちらも楽しくなる。この対談の中で「いつものコースを逆に走ってみる」という話があった。日々のランニングコースに少し飽きてきていた私にはものすごく良いアイデアで、その週末に早速これを試してみた。

現在私は6km走ることにしているのだけど、2〜3kmくらいが一番キツくタイムも下がりがちで、最後の5〜6kmは楽しくタイムも上がる、という傾向だ。
いつもは家を出て左に行くのだがこの日は右へ。コースが逆になると信号の位置も変わるので中断する場所が変わる。いつものコースでは後半で信号による中断がほとんどなく一気に気持ちよく走れる道が、走り出したばかりで少し呼吸が上がってきた時に中断するところがないので調子が違う。しかしいつも一番苦しい時間帯で現れる憎き上り坂が、最後の5〜6km地点になっていることでスピードを上げて颯爽と駆け上ることができた。
いつも同じルートで走っていると、「ここはキツイところ」「ここは気持ちのいいところ」と決まっているポイントがいくつかある。コースを逆に走ることでランニングコースの印象が変わるのは本の中でもお二人が話していたしまぁ考えれば当たり前なのだが、頭の中で想像するのと実際に走って感じるのとではまるで意味が違う。
いつも同じ方向からしか見なかったり体験しなかったりすると、固定観念が生まれる。それを逆にすることで別の視点、別の体感が起こり、固定観念が揺らいだり壊され新しい発見があるという学びを得た上に、この日のタイムはなかなか良かった。

そしてこの「逆にしてみる」っていうのは意外と深く、ランニング以外のあらゆること…あらゆるほぼすべての場面で応用できる。
勉強をしない子供にキツく注意をした後に、子供の立場になってもし同じことを言われたらと考えてみる。
朝食に手間をかけて夕食は簡単に済ませてみる。
苦手な作家の本を読んでみる(私の場合は某オーバーザサンの人)。
「いつもの逆」の例を挙げてみるだけでもなかなか気づくことがあるのだけど、そのうちに「なるほどこの世はすべてが二面性だ」なんてことを思い、最終的に「この世とあの世という二面、この世では楽して生きても、あの世では苦労してきた人が報われるのかも」などという壮大な例にまで辿り着いてしまった。
(ここで念の為一度確認しておきますと、この記事は松浦弥太郎さんのマラソン本を読んだ感想を書いています)

「逆にしてみる」、二方向からの視点を持つことでバランスが取れていく。
なんだか飽きたな、なんだか違うな、なんだかうまくいかないな、とバランスが取れていない時は逆を意識してみると良いのかもしれない。
走ることで得られることって、長く、速く走れるようになること以外にもたくさんあって、だから私は走っているんだと思う。
きっと弥太郎さんもそうですよね。



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