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26歳、格差とか結婚とか


地方で育ちました。
地方都市でもなく、電車もないような、ほんとに「地方」です。

働く女の人が周りにいなかったことや、母親が若くに結婚し出産したこともあって、幼稚園くらいまでは、大きくなったら女の子はみんな子供を産んで、お母さんになるんだ、お母さんという仕事をするんだと思っていました。

でも、ある時、あ、そういえば、幼稚園の先生もピアノの先生も女だと気が付きました。女の人は「先生」っていうお仕事はできるんだなあと思いました。

運が良く、学校生活がずっと楽しく、学校が平和で、友達が大好きで、先生にも本当に本当に良くしてもらって、そんなこんなで、中学生の頃まで、夢は「先生」でした。

幼稚園、小中、ピアノの先生、誰を対象に、何を教えるかはコロコロ変わっていたような気がしますが、とにかく先生に憧れがありました。

地元には、進学校はありませんでした。

定員の3割だけだったら、隣の県から入学してもいいよ、という協定のある高校を受験して、3割の中に入りました。出身の県が違うだけなのに、3割の中に入るために、その高校の示す偏差値より5くらい偏差値が高くないと入れませんでした。

同じ中学校から受験したうちの半分以上は落ちて、その高校へはいけませんでした。

行けなかった人は、地元の高校にとどまりました。偏差値60の高校に入りたかった人が、偏差値38の高校に行くことになる、そんな世界です。

進学した高校には成績上位の「選抜クラス」というところがありました。負けず嫌いでプライドの高いわたしが選抜クラスにいたら、競争心が掻き立てられ、勉強を頑張るのは当たり前でした。

家から通える予備校はありません。家から通えるそれなりの大学もありません。

みんな、大学って何か、ということは全然わかりませんが、とにかく国公立に行けと言われ、私大は悪だと言われ、推薦は悪だと言われ、とにかく勉強しました。

でも、進路はとても悩みました。

別にわたしはいわゆる”優秀な大人”になりたいとか、社会で活躍したいとかは思ったことがありませんでした。

大学には行った方が良いんだろうなとか、せっかく行くならいい大学に行った方が良いのだろうなとは思っていたし、何より負けず嫌いなため、勉強はめちゃくちゃ頑張っていました。

だけど、そもそも、地元の高校へ進んだ友達は大学に行きません。わたしの地元の大学進学率は17%です。大学へ行くことは、確実にマイノリティです。それに両親も、別に大学へ行くことに対して強いこだわりはありませんでした。

教師いいかもとか音楽の仕事いいかもとか考えるものの、それが強いこだわりや夢や目標となり、頑張る原動力となり…とはならず、夢をしっかりと描けないのであれば、教育学部とか音大とか、そういう専門性の高い大学、将来の選択肢がやや狭まってしまうところには、行かない方が良いと判断しました。

それで、専門性の低い学部、なんでもできるところ、そしてなるべくたくさんの人に出会いたいから総合大学で、共学で、いい人が集まるところがいいからなるべく(世間的に)学歴が高いと言われている大学に行く、という、非常に消極的な姿勢で進路を決めました。

大学へ行くことがマイノリティということは、大学へ行く人は、何かどうしても行かなかればならない理由があるということです。教員免許が必要とか、医師免許が必要とか。

そんな中で、親に大金を払ってもらいながら、大した資格も取れない学部に行くことは、自分はわがままで甘えていて、あまりいい進路選択ではないのだろう、と自分に自信は持てませんでした。

しかし、大学に入ったら、世界が変わりました。

全国から集まる友達も、東京という場も楽しかった。それから社会学という学問は本当に楽しかったです。授業は8割がたサボっていましたが、それでも本当に楽しかった。

わたしの中の「普通」がどんどん崩れていきました。

受験は点数によって合否が決まるから平等だと思っていたけど生まれた瞬間から平等ではなかったということも、国公立大学信仰で私大は悪という空気は地方特有のものだったんだということも、これまでに自分が受けてきたキャリア教育はなんだったんだろうという絶望も。

都市部の高校生は、大した意欲がなくても簡単に大学生になるということも、むしろ、消極的な大学進学が歓迎されるということも。同じ高校に進めなかった地元の友達たちは、都内に生まれていたら、大学生になっていたかもしれないのに、という憤りも。

わたしは地元が好きなのに、地元で関わってきた人や、通っていた学校や先生、家族が、大好きなのに

それなのに、色々な人に出会って勉強すればするほど、これまでの息苦しさから解放される感覚を、何度も味わう瞬間があるのです。

結局、ゼミでは教育格差の勉強をして、書いた論文が大学の優秀論文となりました。消極的な進路選択が、積極的な学びに変わることもあるんだよ、と自分に少し自信が持てました。そして、勉強したことが活きる場所だな、と就職先を大学に決めて、今に至ります。

地方の大学進学率が都市部に比べて低いのは、都市部よりも地方の方が経済的に貧しいからでしょうか。学費が払えないからでしょうか。

本当に経済的な理由だけなのでしょうか。じゃあ、奨学金をたくさん地方に分配すれば、地方の高校生は大学に進学するのでしょうか。

多分違うでしょう。

地方の大学進学率が都市部に比べて低いのは、大学へ進学するというマイノリティを貫く意欲が、簡単にくじかれる環境だからです。

大学へ行くことが正義ではないし、高卒が悪いだなんて思っていない。だけど、わたしたちの生きている社会は、大学に進学するかどうかが将来のライフチャンスに強い影響をおよぼしているでしょう。その重要な選択が、個人の努力ではどうにもできない、生まれつきの条件によって決まってしまっているというのは、格差です。

これは、ある人にとってはどうでもよく、ある人にとっては非常に興味深く、問題意識をもてる深刻な話。

わたしはすごく深刻だなと思うし、これを考え続けたいと思っている。


就職した先には、結婚して子育てをしながら時短で働く人、結婚して子供はいるけど時短せずバリバリ働く人、結婚したけど子供は持たない人、結婚しない人、離婚した人、と、少し思い浮かべるだけでもたくさんの女の生き方がある。

「こんなふうに歳を重ねたい」のパターンを何種類も観察できる、東京のど真ん中のこの組織の中で働いていることが、わたしは嬉しい。

だけど、父はいつも、家族ぐるみで関わりのある人たちとの飲み会などで、酔った勢いにまかせて「うちの子はもう東京の嫌な女になったからね、まだまだ遊んでるよ」と言う。

母親はまだ40代だけど、孫がいる友人の方が多くなってきたと言う。うちも孫ができたらわたしが使っていたおもちゃで遊ばせようねと平気で言う。

祖母は「ももちゃんはね〜東京の高給とりだから〜」と言う。

わたしはまだ、今、自分の生き方を自分で観察しているところだから、例え、今すぐに結婚してくれ、つまり田舎のマジョリティ側になってくれ、と言われてもそれは無理。

そう、大学へ進学すると決めた時と同じように、今、わたしはマイノリテイの立場でいることにくじけずに、自分の意志を貫くための戦略を練ることを求められている。

あの頃は、わたしがわたしなりに勉強を頑張っていたことを両親が近くで見ていてくれていたから、「そんなに頑張るならまあ大学行かせてあげるか」という気持ちに誘導させることが簡単だった。

けれど、今難しいのは、東京でのわたしの暮らしを、両親は、わたしのSNSやたまに帰省した時の会話くらいでしか知り得ないということ。上京後のわたしの変化を両親は近くでは見てくれていない。

「結婚してないけど、なんかあの子めちゃくちゃ楽しそうよ」「ならいっか」というふうに思ってもらうためには、ちゃんと言葉で説明しなければならない。

そこが難しいなと。


26歳になって考えていることをただ書きたかったのに、最近ゼミの先生に再会したりしたこともあって、なんだか大層な文章になってしまいました。勢いに任せて書いたし校正もせず投稿しよ

言っておくと、わたしは家族が大好きだし、「大学なんて行かせない」という家庭方針で大学進学を諦める友人が多い中で、奨学金もなしに私大に進学させてくれた、田舎ではかなりリベラルで優秀な親だし、結婚の件も、まだ本気でプレッシャーをかけられたことはないです。笑

「ももは本当にいつも充実してるよね、うらやましいよ!」「あなたはどこに出しても心配ない」とよく言ってくれます。

ありがとう。
地元戻らなくてごめんね!楽しくやってますのでご心配なく!

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