止めたくないもの止めていいもの
少し前になるが、「カメラを止めるな!」観てきた。
普段以上に、事前情報はいっさい入れないように注意しつつも、笑いあり涙ありと聞いていたが、まさか泣きそうになるなんて。
監督(劇中も実際も)の映画への愛が溢れすぎていたのは、もちろん、映画好きとしては最高の見どころだった。メイキング映像大好きな私にとってはそりゃあもうたまらん作品。
ただもうひとつグッときたのが、主人公の日暮隆之(監督)があのとんでもない企画を受けた理由が、「娘の好きな俳優が出るから」。
なんでしょう、この気持ち。下手な家族愛ものはすごく苦手なのだが、これはそんな陳腐なものとはまた違って、リアルだ。
父親の、娘へのただの愛ではなく、ある種の承認欲求のようなもの。
この娘役の真魚さんがまたいい味を出していて…
その承認欲求も、娘との共同作業も経て一つの作品を作り上げた、作り切ったときに満たされるわけだが、ではこのあとの父娘関係が変わるかといえば、目に見える変化はないわけだ。(おそらく)
きっとこれからも、洗濯物は一緒に洗わないでとかいうだろう。
何かを製作することにおいて、〆切だの費用だの、世間体だの、制約は数えきれないほどあって、製作者と管理者の間でのギャップは計り知れないとおもう。
そういうことを、メーカーで働きはじめて毎日感じているし、これから先何度もぶつかることになるだろう。
誰もが少なからず、止めたくないものと止めなくちゃならないものの狭間で揺れている。中には、止めていいもの、止めるべきものもある。
映画とか、音楽とか、浪費して生きていく中で、
私は最近になって、自分のミーハーさとか、結局のところ俗物的なものが好きなところに気がついて、でもそれでもいいじゃんっておもい始めていたんだよね。
学生の頃は、みんなと同じがカッコ悪いけれど、みんなと同じものも欲しいなあ、とずーっと感じていた。
けれどその感情自体がみんなと同じだということにもちゃんと気がついていて、
そういう葛藤がずっと続くとおもってた。
それが、大人になるどころか学生が終わった瞬間には案外どうでもよくなった。少しぽっかりした気持ち。
なんだかそういう一連の感情を、
ぐっと掴まれたような、貶されたような、赦されたような感覚になって、
ずっと込み上げてくるものをおさえながら見ていた。
たった90分、300万でここまで人の感情を引きずり出せる作品はある意味おそろしいが、だからこそ成せるものだったようにおもう。
現実的な話をすると、今回の収入ありで、次は上田監督がどんな作品を創り出すのか、気になるところだ。
今度、この映画の感想をただただ語るだけの飲み会をするけれど、どこまで本音で話せるかな。笑
あなたの止めたくないもの、聞かせてください。
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