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衝撃のカミングアウト


お久しぶりです。
このマガジンに最後の記事を投稿してからひと月が経過しました。

皆様いかがお過ごしですか。

自粛待ったなしのエンタメ業界に身を置いる私はなんと2月末からずーーーーーっと自宅に引きこもる日々を過ごしております。ナチコの方も緊急事態宣言が出た直後に1週間ほど自宅待機となりましたが、ゴールデンウィークが明けてからは通常通りの社会人生活を送っております。

ぶっちゃけさみしいです。

ナチコがいないこと、というより誰とも会話せず家にひとりでいることが。彼女の仕事が再開してから気付いたのですが、よくよく考えてみれば学生時代でもあんなに長い時間をふたりきりで過ごしたことはありませんでした。喧嘩してないで仲良くすべきだったなと反省しています(はい、何度か喧嘩しました)



さてさて、少し間が空いたので前回までの記事をざっとおさらいしておきます。


共通の知人が主催したオフ会で出会い、さくっと飲みに行くも一旦疎遠になった私とナチコ。2年後に再会を果たしたふたりは「母になる」という大きな目標にむけて交際をスタートしました。

•スケジュール計画&収支予想
•公正証書作成
•両親へのカミングアウト
•会社への事前報告

と、こんな具合にやることリストを作成。情緒不安定になりつつなんとかスケジュール&収支予想を書き出した矢先、いよいよ公正証書!と準備を進めていたところで謎多きウィルスが大流行。泣く泣く計画をストップすることになりました。


これが前回までのお話。


今回は新しく進展があったので、こうしてまた小さな画面にちまちま文字を打ち込んでおります。


と言いますのもね


なんとワタクシ、ナチコの実家へご挨拶に行ってまいりました。

2週間ほど前のことです。ナチコのご両親+私+ナチコという夢のような…いや夢であってほしいような組み合わせの四者面談が実現してしまいました。

何故そんな局面に突入したのか、何故私が直接恋人のご両親にカミングアウトしに行ったのか。
緊急カミングアウトレポートです(ヤケクソ) 



ことの発端は4月末某日、ナチコの弾丸帰省が全ての始まりでした。と言ってもうちから実家は電車で40分ちょっとの距離。寝癖のついた髪を帽子で隠し、通販で買った黒い布マスクを装着したナチコはお昼過ぎに出かけて行きました。

公正証書の雛形が入ったトートバックを携えて。


そう。彼女はその日、両親へのカミングアウトを決行したのです。

雛形データをプリントアウトしたのも、それをクリアファイルに入れたのも私です。用途はわかっていましたが、ナチコの緊張感の無さを見ていると現実味がなく、笑顔で手を振る彼女を私は微妙な気持ちで見送りました。


帰宅したのは22時。


待てど暮らせど連絡もないので相当重い空気になっているのかと思いきや、出ていくときと同じテンションで帰ってきました。

いやぁ、なかなか言えなくてさ
帰る直前に公正証書出したらびっくりしてたよ

なんだって?!そりゃびっくりするだろ!と発狂した後よくよく話をきけば、なんとこの人、8時間近く実家に滞在したくせに帰るギリギリのところで「本題です」と宣言し、いきなりファイルを渡したそうな。当然、ご両親は大混乱。全力で引き留められたナチコは自分のセクシャリティや私との関係、子どもを持ちたい意志などを話し(なんと所要時間はたったの30分)状況が飲み込み切れないお父様の運転で家まで送り届けてもらったそうです。気の毒すぎる。


このマイペースは真ん中っ子の特徴なのでしょうか?それとも彼女が人より自由なだけ?
ゴーイングマイウェイの精神が屈強過ぎやしないかい?


ここからどうして私がご挨拶に伺うことになったのかと言いますと単純な話、衝撃的なカミングアウトに夜も眠れなくなったご両親から(そりゃそうだ)私にお呼びがかかったのです。

恋人とはいえなんで人のカミングアウトの世話役をせねばならんのだ!と思う反面、子づくり計画の話までぶっちゃけてしまったのだから仕方がない。


そんなわけで5月某日、ドキドキの四者面談が実現したのです。

前日の夜はなかなか寝付けませんでした。気を紛らわせようとSNSを開いては閉じ、開いては閉じ。3時を過ぎたあたりからウトウトするも、長めの瞬きをくり返しているうちに朝を迎えてしまいました。



15時前、実家到着。


マイペースの女王(ナチコ)は部屋着に着替えるため自室へ消えてしまい、待たされる3人はしばし気まずい沈黙。じっとしているのがいたたまれない私、出されたケーキをほとんど丸呑み。胃は痛いし口の中はカラカラだしお父さんめっちゃ見てるし…ナチコ、早く戻ってきて!って言うかこの状況でひとりにするなよ!と心の中で大激怒。


ナチコが戻ってきたところで、早速話し合いが始まりました。


固唾をのんで座り直す私と、呑気にケーキをつつくナチコ(もはや誰もとがめません)。


切り出したのは義母でした。
序盤の質問は

お互い女性と付き合うのは初めてなのか
関係が始まったのはいつなのか
なぜ公正証書が必要なのか

などなど、これまで誰かしらに尋ねられたことがあるような内容ばかりでした。ひとつひとつ慎重に答えながら何より心の支えになったのがこのnoteです。これまでの経験や気持ちを言語化していたことに心の底から感謝しました。あんたの暇つぶしが役に立ったよ!ありがとう過去の私!

ちなみにナチコはほとんど言葉を発していません。隣でわんこたちと遊んでいました。普段から自発的な発言が少ない人ですが、どうやら両親の前ではさらに口数が減るようです。あなたもこの話の当事者なんですけど?!と思いつつ、だから私が呼ばれたのだと納得したら力が抜けて、少し緊張が緩みました。


話し合いの中でひとつ意外だったのが、義父の反応です。


元気いっぱいおしゃべりな義母とは対照的に、一歩引いてそれを静かに見守る寡黙な義父。既に何度かお会いしていて言葉を交わすこともありましたが、自分から会話を持ちかけてくださったことはほとんどありません。常に「きいていますよ」という姿勢が基本スタンスな義父ですが、この日は「どういうこと?」「それはどうして?」とたくさん私に問いかけるのです。話し合うために呼ばれたので当然だとは思うのですが、私は困るような嬉しいような複雑な心境でした。


理解はできないけど、娘の大切な人なら知りたい


それが率直な気持ちだと義父は言いました。

私が同性愛者であることを打ち明けた時、うちの父も同じような反応でした。賛成だとか反対だとかは一切口にせず、ただ私が大事に思う人なら自分も大事にしたいと。そんなところを含め、私たちの父はどこか似ているのかもしれません。自分の中で考えがまとまっていない曖昧な事は決して口にしない人です。
ナチコのカミングアウトを受け、彼女の父もまた、自分の気持ちと葛藤されたのだと思います。

義母はと言うと、同性愛に戸惑う気持ちvs娘が誰かと愛し合っていることへの喜びという複雑な葛藤を含め、結論の出ていない気持ちまで感じたことの全てを伝えてくださいました。


まずなにより"娘のパートナーを知りたい"というのがナチコの両親の思いでした。言葉につまって考え込んでしまうシーンも少なくありませんでしたが、それでも話し続けることができたのは常にその思いを強く感じたからです。


その結果、私たちが生活を共にすることや公正証書を作成することに対しては「あなたたち2人のことだから」と見守る意思を示してくださいました。


しかしその上で「子どもについては反対」というのがふたりの考え。覚悟はしていましたが、面と向かって言われると落ち込みます。さすがのナチコも神妙な面持ちでした(相変わらずわんこ抱いてますが)


両親が同性というだけで、子どもは人と違う境遇に立たされてしまう。周りと違うことに苦しんだり、周りから不当な扱いを受けるかもしれない。そうなる可能性がわかっていて子どもを作ろうというのは、身勝手ではないか。

というのがふたりの意見です。正論すぎて、内臓が口に向かって迫り上がってきている気分でした。

子どもに関してはどんな質問が飛んでくるやら見当もつきません。今になって冷静に思い返してみると、意識的に頭の中を空っぽにしていたような気がします。問われるであろう内容を冷静に考えたとき、そのほとんど全てが『私が恐れている現実』だったからです。やっと振り切った不安を再び自分に突きつけて自信を失うのはぶっちゃけ勘弁…というのが本音でした。それに親になったことがない以上、私の返答は想像の域を出られません。説得力も信憑性もない"仮定の話"でしかないのです。

それでも約2年間、頭を抱え続けてやっと前向きになれたことを思うと黙って俯くわけにはいきませんでした。それはナチコの両親を説得したいという反抗的な気持ちではなく、私自身が自尊心を守るための意地でした。

以前にも書いたことですが、私は血縁と家族の絆とは切り離された関係だと思っています。夫婦が元は他人であるように、愛情と努力を惜しまなければ血の通わない人とも家族になれるはずです。私たちはまだ存在すらしていない命を既に愛していて、その幸せを誰よりも強く願っています。その子のために想像できる悪いことはすべて頭に留めておきたいし、その子が苦しむときは全力で守りたいと思っています。

私とナチコが話し合ってきたそれらのことを、行きつ戻りつ全て伝えました。ずいぶんドラマチックな表現もありましたし、支離滅裂で、話しているうちに自分が言い訳を並べる思春期の女の子に思えてきて情けない気持ちになりました。

話し終えた頃の私は、引き出しの中身をひっくり返すように一気に言葉を吐き出したせいで背骨を鉛直に保っているのすら苦しく、座っているのに軽い目眩すらありました。それほど必死だったのです。

気持ちを落ち着けようと焦る私に、義母は

よくわかった。

と言いました。それを聞いた私は「伝わった」と、そう思いました。

私の頭がお気楽なお花畑でなければ、あの「わかった」は本当の意味で理解した人の言葉だと言い切れます。反対する気持ちは変わっていなくとも、とにかく私たちの考えが伝わったという確信がありました。


長い話し合いは4時間を超え、内容を整理するのに1週間近くかかりました。公正証書については難なく承認をもらえましたが、子を持つことに対しては反対の色が強いままです。ご両親が納得のいかない部分もたくさんあると思いますし、私たちも改めて考え直すべきことが見つかりました。

やることが増えたなぁ。

と残念に思う反面、しかしこれでいいのだと楽観的に捉えている私もいます。まず一歩、また一歩、なので。それに私は石橋を叩きまくって渡るヘタレ(by銀座の占い師)なので、今回すんなり受け入れられていたとしても、どこかでまたグダグダ悩んでいたはずです。


そんなこんなで、またひとつタスクを消化することができました。今回はほとんどナチコが登場しませんでしたね。ずっと隣にいたんですよ、一応(未だにちょっと怒っています)



そうそう、最後にひとつ感動した話。

私たちを車で送り届けてくださったご両親を見送るとき、助手席の窓から顔を出したお母さんにそっと耳打ちされました。

ナチコを好いてくれてありがとう、よろしくね。

泣いちゃうからやめて〜!あと笑顔がナチコそっくり〜!!と心の中で叫びつつ、目頭押さえて頭を下げることしかできませんでした。




今回はどえらい長編になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

また進展あり次第、更新します。



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