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ニューヨークフェロー月報<2> なんでこんなところにいるんだろう?

8月はヒップホップ誕生50周年ということもあり、ヒップホップとパンクの類似性について思いを馳せたり(両方とも1970年代前半のインフラが壊滅したニューヨークで生まれた)、

インビジブルドッグ・アートセンターでThierry のワークショップを受講したり、 https://note.com/mnzk/n/n47a56b3e0016

バッテリーダンスフェスティバルのワークショップ(なんと$1!)を受けたりしていた。 

https://note.com/mnzk/n/n36c875196773

毎日どこかに行き、何かを見て、いずれかを考える濃密な日々なので、8月初旬に行ったバンクーバーのスラム街で行われる日系人のフェスティバル「パウルストリートフェスティバル」に参加したのも、もうはるか昔のことのように思えてくる。

さて。

ニューヨークでの暮らしは早くも2ヶ月が過ぎた。だんだんと、どこに行けば何があるのかも理解できるようになってきて、この街が身体に馴染んできたことを実感する。けれども一方で、8月は、ストレスを抱えながら鬱々としており、あまつさえ日本ではこれまで罹らなかったコロナにも感染した。

あまりにも物事がうまくいなかくて、蚤の市のおばちゃんから魔除けのネックレスを購入してしまうほど、そしてそのネックレスは自分としてはかなり効果があるんじゃないかと思い、いまだに毎日身に着けているほど、いったいなぜこんなにもストレスを貯めていたのだろうか? 振り返ってみると、きっと、少しずつ馴染んできたこの街で「観光客」から脱したいと望み、少しばかりの市民権を求めようとしていたのではないか。ところが、いくら移民に寛容なNYとはいえ、そうはホールセールが卸さない。住所の証明やIDの申請もままならず、客を客とも思わない態度に辟易とする。当初ならば「ニューヨークにはこんな理不尽があるんだねえ」と楽しめていた諸々のトラブルも、今となっては、単なる不快なイベントでしかなくなっている。度重なる不快さに精神は絶不調を極め、いつしかこんな疑問が湧き上がってくる。「いったいこの街で、俺は何をしているんだろうか?」

論語に「海外で活動することは己の見聞を広める」と書かれていたことは有名な話だし、旧約聖書にも、バビロニアの逸話として、海外に赴くことによって視野を広げた兄弟の話が描かれている※。古来から、人間は、海外で活動することを是としてきた。

※嘘です。

でも、はたして本当にそうなのだろうか? 

自分自身を振り返ると、およそ2ヶ月間にわたって毎日のようにイベントやワークショップに参加したり、美術館に行ったり、人と会ったりしている。そうこうしているうちに、自然とマインドセットは変わってくる。「アーティストです」と名乗ることに照れなくなったり、あるいは「お前らが何をしてようが俺には1ミリも関係ない」と不遜な態度になったり「おもしろいかつまらないかの前に俺がやりたいんだから勝手にさせろ」と尊大になったり。つまり横柄になってきているのだ。

もちろん、日本とは比べ物にならない格差社会や、フレンドリーに見せかけて一定以上は心を閉ざすコミュニケーションのあり方など、自分の想像を遥かに超える出来事にも日々直面している。当たり前のようにあふれかえるネズミを見ても驚かなくなったり、巨乳の女性を見ても以前ほどの喜びがなくなった。外国での長期滞在は初めてなので、刺激的といえばこれ以上ない刺激的な日々を謳歌している。


それらはポジティブな効果だと思う一方で、我が家から10000kmも離れた場所で何をしているんだろう? という疑問が拭い去れないのは、7月末に祖母が亡くなり、死に目はおろか葬式にも出られなかったからだ。親の死に目に会えないことを覚悟しなければできないパフォーミングアート業界とはいえ、いざその現実に直面すると、やはり、これ以上の不孝はない。

海外に行けば刺激を受けて見聞が広まり、これまでにはない発想を得られる。きっとそうだろう。でも、母国に住み、母語に囲まれて生きていたって、見聞を広めたり、これまでにない発想をすることはできる。むしろ、言葉の障壁がないだけ、刺激的なものに出会いやすいし、細部まで理解できるのは、文化的なコンテクストを共有しているからだ。

結局、海外なんて行かなくてもいいのではないか。

日本にいるか、海外にいるか。場所を変えることによって変わるのは、私のモードだけでしかない。世界はいままでもこれからも刺激に満ちていて、国外での暮らしはその感受性を高める環境であるか否かの話でしかない。現地の情報ならいくらでも簡単に手に入るし、上演されている舞台作品のクオリティも、実はそんなに変わらない。アーティストやドラマトゥルクなどが話しているトピックも、ケアとかマザーフッド、グローバルサウスにマイグレーションと、日本でもおなじみのオプションがならなんでいる。本質的に、そこまで変わることはない。

そもそも、わたしたちは、理解できるものしか理解できない。海外でとびきり新しいものに出会うなんてきっと幻想でしかなく、日本に暮らしながら徐々に徐々に拡張してきた私の理解の範囲に収まるものしか回収することはできない。無知な人間が海外に行っても何にもならないし、無能な人間は国外でも無能でしかない。


ここからが本題である。

10000km離れた都市で暮らしながら、自分の容量を超えることができないという事実に絶望を覚える。カードが全取っ替えされることはなく、手のうちには相変わらずの貧相なカードしか残されていない。どうやら、このカードをやりくりしながら、やっていくしかないようだ。

それを別の言葉で言うならば、国外で暮らし、活動をするときに出会うのは、無限の可能性ではなく、自分の有限性だ。特に、石を投げればアーティストに当たるようなNYCにいればなおさらである。有限性のなかで、自分がやるべきこと、やれること、やりたいことがうっすらと見えてくる。

いつだって人は自分のことをちゃんと観ることができない。いつも、そこには過大評価か過小評価が入り交じる。そうして、自らの有限性から目を背けようとする。自分にとって国外で暮らす経験は、いまのところ、その評価を適切なものに近づける作業といえるだろう。自分はアジア人でアーティストで、公共をテーマにしながら作品をつくり、しかしカンパニーがなければ何も証明するものはなく……。

自分のプロポーションを知る。自分にとって、その作業は、居心地のいい日本に暮らしているとなかなか難しく、また、気持ちのいい作業ではない。慣れてきたとはいえ、居心地が悪くあまり好きになれないニューヨークの不快な空気を吸いながら、そんなことを考えている。


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