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二人三脚で背負う荷物

仕事やプライベートで波風がたって心が揺さぶられ、どうにもならないくらい不安がこみ上げてくることがある。
そんな時は、誰に対しても何についてもネガティブなことばかり、最悪の結末ばかり浮かんでくる。それも次から次へと。
そして、口調も激しくなる。ついこの前までは、褒めそやしていた人についても、きつい語り口で厳しく一刀両断してしまう。
不安発作が起きた時はいつもこうだ。

妻はそんなわたしを見限ることなく、寄り添ってくれている。
わたしの話が途切れるまで聞いてくれ、否定はしない。そして、わたしの心を揺らした出来事について、「こうも考えられるけど、どう思う?」と問いかけてくる。
妻の声をきいているうちに、ぶれた自分の軸が整ってくる。次第に心の海に凪が戻ってきた。
ここまで来ると、自分が思っていたことが自分の「不安フィルター」を通してみた虚像に過ぎないことに気づける。

「こんなわたしのそばにいるのしんどくない?嫌にならない?」と聞く度に妻は言う。

「何もできないけど、少しでも生きやすくなればいいな、と思ってる」

そう、もっと楽に生きたい。ずっとそう思いながら生きてきた。

重い荷物

わたしの父は、わたしが2歳の時に過労死で亡くなった。4歳、2歳、5ヶ月の三人の男の子を残して。
母は、それから再婚することなく一人で男の子三人を育て上げた。

振り返って見ると、父親がいないことで寂しさを感じたことはあまりなかった。それはひとえに母と周りのみんなの気配りが行き届いていたからだろう。母はわたしが小学校高学年になるまでは仕事に就かなかった。仕事を始めてからも、わたしが学校から帰宅する時にはいつも母が鍵を開けて迎え入れてくれた。

そんな温かい雰囲気が家にあるとはいえ、片親家庭であることには変わりない。一人で二役をこなす母、子供が成長するにつれ負担は大きくなっていく。中学校に上がる頃には、夕食後に寝込んでしまう母の姿を度々目にするようになった。

「お母さんに心配をかけたくない…」

この思いがどんどん膨らんでいく。いつしかわたしは学校でいじめを受けていること、思春期特有の悩み、日々感じることを母にだけでなく誰にも話さなくなっていった。

「自分のことは自分でしよう、面倒はかけたくない。人に話しても分かってもらえないし…」

言葉を飲み込み続けて、負い始めた背中の荷物は、社会人となりいろいろな悩みを経験するようになってからは増えていき、一つ一つも大きくなっていく。

背負ったままでも前に進みたい、そんな強い思いがあったから自分を守るために自分でできることはした。
いろいろな勉強や仕事から得た知識で理論武装し、経験によって上塗りし保護膜を厚くしてしていく。重い荷物を背負えるように。

20代の頃はこれで良かった。

でも、自分は自分自身が思っているほど強くない。

ある時から、背中の荷物が体に食い込んでくるようになった。そして、それは心にまで達するように。
頻繁におきるめまい、不眠、刺激に対する過敏な反応から始まり、いつしか絶え間ない不安感と緊張が自分を覆い尽くしていった。
そして、真夜中のパニック発作。
もう限界…なにかが壊れた瞬間だった。

荷物の重さに押しつぶされてしまったわたしだが、それでも立ち上がることはできた。
ゆっくりだけど歩き続けていた時、横にいて一緒に歩いてくれる人と出会うことができた。
彼女は、荷物を背負うわたしを哀れむように見て走り去るのではなく、差し出したわたしの右手を握り返し、腕を組んで歩いてくれた。

歩きやすくするために

二人三脚で歩く人生、その道は平坦ではなかった。二人で手を取り合って歩くのは楽しいことだけではない。どちらか一人の動きはもう一人にも大きく影響する。それを実感した時、わたしはそれまでとは違う歩き方になった。
その時のことは鮮明に覚えている。

不安障害で一番しんどく感じるのは、不安発作が体の症状として出てくること。体の節々が締め付けられるように痛くなる。喉の奥が詰まって息をするのがしんどい。ひどくなると悪寒が走って手は震え、手のひらにじっとり汗をかく。
体が感じる緊張感は、学生時代のいじめ体験へとリンクして、トラウマとなっている出来事の記憶と結びついてしまう。記憶が体の痛みとして蘇ってくる…

結婚する前に、このことは妻にも話していた。そして、二人でうまく対処できていたけど、いろんなことでストレスが大きくなると、あいつはまたしょっちゅうやってくるようになった…

その頃には結婚して三年が経っていた。
自分を支えてくれる妻を大切に思えば思うほど、こう思うようになっていく。
「妻に心配をかけたくない…自分でなんとかできる」

結婚記念日が近づいた春のある日の早朝、わたしは悪夢を見てうなされ、体の症状に苦しんでいた。

隣で横になっていた妻が聞いてくる。様子がおかしいことに気づいたのだろう。
「どうした?しんどい?」

言葉を飲み込もうとしたその時、
「でも、これって…前の自分と同じことしてるだけだ‥」
そのことに気がついた。

「自分のしんどさを伝えないと…でも、話して何になる…」

その時、わたしの手を握る妻の顔が目に入った。
「こんなしんどい時にも側にいてくれるこの人を信じてみよう」

わたしの話を聞いた妻は目に涙を浮かべてわたしに詰め寄り、諭すように叫んだ。

「なんで話してくれなかったの?夫婦でしょ…」

何も言えないまま、ずっと天井を見ていた。そんなわたしを真っ直ぐに見つめる妻。視線を感じて横を向いたわたしの耳に聞こえてきた言葉。

「そういうしんどい問題も、結婚した以上二人の問題だよ。こういう時のための夫婦なんじゃない?独りで抱えないでほしい。」

あの時、妻からこう言われて気がついた。
夫婦で二人三脚で共に歩くということは、それぞれが背負う荷物を二人で一緒に運びながら歩くということ。いつの間にかわたしは背負う荷物を自分で重くしてよろよろ歩くようになり、二人三脚で歩く妻への負担を増やしていた。
「妻に心配をかけたくない」、それが自分だけでなく妻にも我慢を強いることになる。

このことに気がついた時から、わたしと妻の二人三脚の歩みが変わってきた。
荷物の重さに負けそうになる時、少し立ち止まるようになった。不安がこみ上げてくる時、うまく言葉にできなくても、妻には自分の思いを話す。それはまるで荷物を足元に置いて、整理していくようなもの。
妻が話を聞いてくれているうちに、何が自分にとって重すぎたのか分かってくる。こうして、捨てても良いもの、自分のものとして持っておきたいものが分けられていく。整理された荷物は、少し軽くなっている。そして、わたしの心も軽くなる。
それから、自分の荷物をまた持ち上げて、妻と手を繋いで再び歩き始める。

今の自分はこれを繰り返しながら生きている。

これまでの人生で経験したことから感じるしんどさ、今生きていることで負う必要のある責任は何も変わっていない。

だけど、ずいぶん歩きやすくなった。時々ふらつくことは変わらないけど、一緒に歩いてくれている妻の笑顔を見ることが多くなった。

自分の思いを押し込めてしまうことが、自分のデフォルトになってしまい、不安障害になったわたし。

そんなわたしが選んだのは、そばにいてくれる大切な人を信じること。
人を信じることは時に難しい。自分だけを信じることのほうが簡単だ。
でも、わたしの右手を握る手を握り返し、ずっと歩いていく。
自分のしんどさをそのままにしないことが大切な人を幸せにすることに気づけたから。



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