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月曜モカ子の私的モチーフvol.202「クオリティオブライフ」(2019.02.11 アーカイヴ)

今朝は朝からグラミー賞の授賞式があって、そのためにWOWOWに加入していると言ってもいい自分は毎年観ていて、ここ数年観てきた結果、吹き替え版の中継を見ながら(聴きながら)家のことやらをあれこれし、字幕版を録画して、気にいった部分を本格的に観るという二段階方式を取っている。

                          
グラミー賞を見ていると反射的に前々回で触れた大叔母のことを想う。反射的に今頃観てるかな? と思ってから、ああそうだった今は施設にいるからWOWOWは見られないのだったと「今」へ返ってくる。
元々は「過去」我が家はWOWOWに加入していなかったので、毎年大叔母にVHSに焼いてもらいそれを観ていた。当時は女優案件優先だったので、アカデミー賞がメインで、けれど音楽が好きな大叔母はグラミー賞を推すので、両方焼いてもらって実家で観ていた。
先週大叔母の施設に父のお古のiPadを届けたのでオンデマンド配信などで「見る」ことは可能なのだが、操作自体を大叔母ができるわけではないので施設の人の負担が増えるだろうと考えて、それにもう今日今中継しているものをどうともできないので、諦めることにした。

                          
大叔母に欠けているものはやはり音楽だった。


どこか認知症っぽく見え(認知症ではない無気力症候群)、ぼーっとしていた大叔母の部屋にiPadを届けスピーカーから音楽を流すと、最初は何が起こっているかわからなかったけれど、次第に理解し、次の瞬間には目に光が戻ってきた。外や空に浮かんでしまいがちだった魂がぴったりと大叔母の目の中に戻ってきた。「これ、イヴモンタン?」「そうやで」「コルトレーンもあるよ」音楽とともに彼女は自身をどんどん取り戻していく。
「枯葉はある?」「もちろん」「なんやっけこれ、曲名が思い出せない」「黒いオルフェ」「誰の?」「ちょっと待ってピアフかな」「シャンソンやなあ」「シャンソンもあるけど、マイルスデイビスとかもあるよ」「シャンソンてオペラみたいなもん?(by 母)」「全然違うな 笑」


                          
                          
その日から大叔母の部屋はかつて過ごした自宅と同じく音楽で溢れた。
「なんか介護士さんたちがびっくりしてはるみたい」
母が言っていた。あの叔母さんにこんな趣味あったんやなあ、という感じで。
そうやな、趣味っていう段階じゃなかったからな、叔母ちゃんがその気になれば音楽ライターとかになれるレベルの造詣の深さやかからな。
88歳でアデルとかサムスミスの良さわかる人あんまりいいひんと思うし、これを機に、うるさいただのわがまま叔母さん、じゃなくって、また別の接地点が、音楽好きの介護士さんとの間に生まれるかもね、わたしたちは話した。

                         
前々回から大叔母のことを書いて「なんか素敵な大叔母孝行ね」と思ってくださってる方もいるかもしれないが、ことはそんな簡単で単純じゃなかった、きっと高齢者を抱えるすべての人の暮らしがそうではないように。
大叔母は簡単に言うと銭ゲバで、笑、
幼い頃からわたしに買い物を頼むのに、牛乳一つ180円だとしたら時に150円しかくれない人だった。え? むしろ30円足りてないんやけど。てか普通人に買い物頼むならそこは200円やろ、むしろ500円でもいいんちゃうんか。

                          
そんな具合の大叔母なので姪にあたるわたしの母を、下僕のようにわがままにこき使う上、感謝の意を何の形にもせず「こんなことやった子どもの一人でも産んどけばよかったわ」とか言うので、わたしは怒っていたりもした。
(子どもは産んでそれで終わりじゃないからな!)
彼女はずっと独身できて、わたしたち四人姉妹の中でわたしだけが独身であるわけだから、わたしは逆にこの”銭ゲバ” から学ぼうと思った。わたしはこの人が母に対してしているようなこと、対価を与えぬ無自覚な「24時間とエネルギーの搾取」を絶対に未来永劫ベスフレにはしない、死んでも。するくらいなら、死ぬ。わたしは怒っていた、いつかくる自分の死に際について真剣に考え妹らに迷惑をかけぬよう今から遺言をまとめようかと思うほどに怒っていた。

                          
でも家族というのは不思議なもので、彼女があの美しく清潔だが音楽のない、施設で、気力を失い(もう死にたい)みたいになっている姿を見たら、頭の中にEmergencyランプが点灯して、細かいことがとりあえずどうでもよくなってしまった。とりあえずあの部屋に音楽を。
あんなに怒っていたのにわたしは衝動的に彼女を生かす方向に動いたのである、しかも肉体的じゃなく精神的に生かす方向に。彼女が彼女を取り戻す方向に。

                          
クオリティオブライフ。

                          
最近医療の現場でもよく耳にする新しい言葉である。
誰かの正義や、生命的な正義を優先するのではなく、
多様性を認め、その人にとっての「生きている目的は何か」それを優先する考えかた。例えばピアニストに手術を行い、手に麻痺が残ったらそれはもう、生きていても死と同じではないか、など、これはコードブルーの逸話の1つだが、こういった深刻なものから、些細だけど大事なものまで、QOLは存在する。
例えば90歳の祖母は給湯を46℃に設定していて、お湯と水を混ぜて使っている。なので祖母の家でシャワーを浴びると急に冷たくなったり急に熱くなったりして不便。43℃くらいにしてお湯だけで使ったらあかんのかい。
でもわたしはこう思う。
慣れ親しんだ動きやルーティーンもQOLの1つだと。

わたしはジョブスやイノベーションを信仰し、合理的な暮らしを優先する人間に思えるかもしれないけれど、でもイノベーション(技術革新)に最も必要なことは「生理的な」感覚だと思う。
便利かもしれない、でもなんか嫌。
そういう暮らしを無理に強いるのはよくないんだろうなあ、と。すごく難しいところ。
年をとれば頑固になるし、
おばあちゃんは先日正露丸を8錠も飲んでしまった。笑。
最初4錠と嘘をついていて、
そういえば5錠やったかなあと証言があやふやになり、
結局8錠飲んでいたことが判明した。
なのに同時に高齢者用の便秘薬を、足の薬と間違えて飲んでおり、もはや腸内カオス。笑。
                          
                          
ここで「正露丸」を禁止するって簡単。
でも、おばあちゃんとか、おじいちゃんて、
ビオフェルミンとか、正露丸とかをもう、健康になるおまじないのように飲んでいたりするから、その圧倒的な信頼の前に最新の下痢止めなど無力なときもある。日々サポートしている家族からすると、なんでよ! ってなったりしてイライラして、時に行動や要求を制限してしまうのだけど、でもやっぱりクオリティオブライフ。その人が「生きている」と感じられる日々の重心はどこにあるのか。大叔母は金と音楽であり、その姉は正露丸及びお湯&水のブレンド、なのである。その人のクオリティを他人が決定することはできない。そこは聖域なのであるから。
                          
先日大叔母の弟のひろし、厄介なひろし、パワハラと亭主関白と団塊の世代の権化のようなひろし(78歳)ーー彼についてはまた後日語りますーーがやってきて、大叔母が元気になったと喜んでいた。「なんか金の話、しとったわ。だいぶ取り戻してきよったな」「そやな金の話するくらい元気になったってことやな」大叔母は音楽とともに自身のもっとも大きなQOLを取り戻しつつある模様。笑。


<イラスト=Miho Kingo>

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※銭ゲバ、とか多少過激な表現がありますが、少子高齢化社会において介護をしていくってことは美談だけじゃないんだってことを等身大に書いておきたい、美談にまとめてしまうことで今介護に苦しんでいる人たちが(わたしの心の成長が足りないのか)などとさらに自分を責めて欲しくもないので、なるべくリアルに書くことにしています。罵ったっていいと思ってます、その人が相手のために動いているのなら。何もしないでかわいそうとか素敵な言葉をかけている人にはわからない現場の大変さが、あるのだから。

(⤴︎昔の淡い恋の話を振り返る祖母 笑)

☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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