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月曜モカ子の私的モチーフ vol. 172「北月山荘」

どうしてあの時、そうしたのかわからないけれど、そうした。そしてそれが、とても良かった。そういう理由なき出来事ってある。
なんとなく吸い込まれるように入った蕎麦屋とか、なんとなくいつもと違う道を入って見つけた小さな出会い。そもそもこの出羽三山の旅がそれであったのだけれど、その中でもこの「北月山荘」に宿泊したということは、この旅における大きな「錨(いかり)」の部分であった。そこでカネコさんと出会い、碧ちゃんと出会った、そういったこと。

(Photo by MihoKingo)

湯殿山に行くのに、大部屋に泊まる方式の湯殿山の麓の参籠所を予約しなかったのは、その日深夜にサッカーの日本戦(対ベルギー)があったからで、月の沢温泉を予約してみたのは、ちょうど羽黒山と月山の間、だったからだ。ネットでは満室になっていた。でも電話をしてみたらガラガラだということだった。(あら、じゃあこの楽天のネット予約のシステム、営業妨害じゃない?)わたしはそんなことを思って、勝手に北月山荘の経営の心配なんてしていた。羽黒山のてっぺんまで迎えにきてくれたカネコさんが、本来月曜日は宿泊客を取らない旨を教えてくれるまでは。
                           
羽黒山の頂上で、静か〜に、わたしたちを待っていてくれたのが、北月山荘のオーナーのカネコさんだった。(今日の絵はカネコさんです。ピンクのポロシャツ、70年代風サングラスのおしゃれシニアカネコさん。口数は少ないけれど優しく、歩く1歩は小さいカネコさん。)

                          
「普段は取らないんだけど・・・でもね、せっかく電話くれたし・・・泊まるとこなかったらと思って・・・」カネコさんは静かに微笑んで「貸し切りだったからここまで迎えに来れたよ」と笑った。
カネコさんはずっと東京で暮らしていたそうだ。けれどある時点でこの故郷の良さを継承したいと思い、この庄内に帰ってきて、月の沢温泉を始めた。

                           
北月山荘にはラグジュアリーなものは何もない。
布団も自分で敷かなくてはならないし、部屋には冷蔵庫もトイレもない。
食堂はシンプル、湯殿もシンプル、温泉は大きな湯の隣の右側の小さな褐色の湯殿。
けれどもそこに、お金をいくら払っても得られない「過ごす時間の贅沢」があった。隅々まで綺麗に掃除が行き届いた床。カネコさんが庭の筍を採ってきてその場で焼いてくれる贅沢。羽黒山まで迎えに来てくれる贅沢(なんとそこから北月山荘までは車で1時間もあった!)
画伯は寝たい、わたしはサッカー見たい、だったら空いている部屋で見て大声で応援していいよと言ってくれる贅沢。温泉独り占めの贅沢。水がおいしい贅沢。
そして翌日、湯殿山に行きたいわたし達、けれどなんと行き帰りのバスが平日はないことを知ってしまったわたしたちに、たまたま碧ちゃんを紹介してくれるという大贅沢。そこにあったのはお金に換えられないものばかりだった。

                           
月モカの挿絵を描いてくれている画伯の旦那様は、地域おこし協力隊としてこの春から越後湯沢に移った。そして画伯も神奈川の家を売り、移住するタイミングがちょうど今で、出羽三山には、越後湯沢から合流した。
カネコさんが紹介してくれた登山好きの碧ちゃんも、この月山に魅せられ、地元京都から、地域おこし協力隊として数ヶ月前にこの庄内にやってきた女の子だった。ひょんな出会いから碧ちゃんが次の日、わたしたちと一緒に湯殿山を回ってくれることになる。

                           
今の時代に田舎で暮らすということ。不便ではあるだろう、大変なこともあるだろう。けれどカネコさんや碧ちゃんには、たおやかな時間が流れているような気配があった。羽黒山を山頂まで登る? おお、じゃあちょっとそこまで迎えに行ってあげるよ、と自然に言葉にしてくれるような。

東京で生きていると、まずは一定量の家賃――田舎からすると信じられない金額の家賃――が出て行くので、その支出のための収入の時間で、月のスケジュールの大半が埋まってしまう。
だからきっと、本来宿泊客を取らない日に誰かを泊めたりしたら皆連勤が続いてすごいストレスになっちゃう。
北月山荘では、おそらくいつもと同じように人がその日を過ごしていた。
こう、なんというか突然接客モードにチェンジ! というわけではなく、普段彼らがその場所で過ごしているところに、2人女子が加わったような具合。だから宿泊客を取らない日にわたしたちが泊まりに来たことは、北月山荘の方々にはさして影響はなさそうな感じだった。もちろんわたしたちは宿泊料を払い、北月山荘は泣けるほど美味しい山菜料理を出してくれたのだが、こう、皆がごくごく自然体に過ごしていて「お客様がいらっしゃいましたよ!」みたいなピリピリしたものがなく、そしてそう扱ってもらえたことに商売を超えたものを感じてわたしたちは心底安らいだ。

                           
もちろん田舎には田舎の深刻な問題があるのは重々承知なのだが、それでもその飄々とした、人の「在り様」には、こう「幸せに生きるとは一体何なのか」ということを改めて考えるきっかけをもらった。
そして、至極当たり前なのだが、それは「おのおのによって個体差がある」のだ。
画伯は越後湯沢が肌に合っていて、そこで生活をしていくことはすごい喜びだと言っていた。わたしは田舎の生活の数倍もする家賃を払い続けていても、
街が好きだから、田舎には移住できない。(免許も失効してるし。汗)

                           
けれどなんというか、もうすこし、時をゆるめても、いいのではないか。
急ぎ足で日々を闊歩せず、カネコさんのように、小さいけれど、確かな歩幅で、大地を慈しむように、歩いても良いのではないか。
そんなことを考えた。

                           
神聖なる出羽三山の“生まれ変わり”の旅は、魂の生まれ変わりと言われているが、北月山荘での出会いがもたらしてくれたものは、これからじぶんは「どう生きてゆくのか」という、生きかたとしての生まれ変わりの旅でもあったような気がしている。
カネコさんが焼いてくれたイワナは、悶絶するほど美味しくて、わたしはこのまま、おとぎ話のように龍になってしまいそうだった。
     
                 <モチーフvol.172「北月山荘」/イラスト&写真=MihoKingo>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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