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第22話 ✴︎ 「 暮らしと時間を制すれば」Byイーディ/InnocenceDefine✴︎2022✴︎

さて。なぜ22話なのかというと現在21話(11月のアーカイヴ記事)を書いている最中でして。先にそっちからあげればいいのだけど、今書きたいことはこれなのでこれを先に書くことにする。
このマガジンは「ひとかどアーカイヴ」というタイトルなので基本的にはアーカイヴものであるが、今回は「これから」について語りたい。そう、わたしは現在「時を制し」過去を追いかけなくて済む状態にいるのである。笑
それがどういう意味なのか語る前にまずは今月のマンスリーを掲載。

Design by Mayaooh

言葉の通り〈師走だけど走らず〉
合言葉は「暮らしの中に光を見つけてDecember」

そうここにすでに本タイトルの「暮らしと時間を制すれば」的なものが込められている。それに別の形でメンションした「がんこエッセイ」は今回デジタルも同時公開なのでこちらに貼っておこう。このデザインが上がってきた背景なんかについても触れています🌛

2022年のイーディイルミネーション💡

さて。先にリンクを貼り付けたエッセイでもわたしは「半径3メートルの暮らし」に焦点をあてている。これを今月のみならず2023年度12ヶ月ぐるりとかけて取り組んで行くことが現在の来年度への抱負である。
わたしは来年、暮らしの外には出ない。
半径3メートルの外に何かを見出そうともがいたり、パツパツのスケジュールをこなしたり、何かを削って努力したり、しない。

考えた。思えば長らく「運命の横パス」に翻弄されて体力を奪われ続けてきた。その結果いつも「まだ終わっていない」昨日や過去の残骸が目の前に山積みになり、昨日のことや一昨日のことをなんとかこなして、残った体力で今日を乗り切る。そんな人生を歩いてるからいつも目の前の横断歩道を青ギリギリで走って渡ってきた。

昨日ピアニストの上山くんと話す時間があったから上山くんにこう言った。
「スターってさ、横断歩道をギリギリで走って渡ってないよね」

上山くんは「何それ笑」ってわたしの発言に大笑いしていた。

考えたんだ。幼い頃からスターになりたいと思い、そのために習い事や勉強や部活に追われる十代を送って、スターになるにはひとかどの努力ではいけないわけなので全力で毎日キャパオーバーなスケジュールを詰め込んではヘロヘロになりながらこなす、ということをして、外へ外へチャンスをと飛び込んでいくような生き方をしてきたけど、それって「運命の横パス」に翻弄されているだけの状態で、真のスターとは、その横パスに動じることもせず自分自身の「暮らしと時間」を制してる人じゃないかって。

2022年11月30日「暮らしと時を制す旅」の始まり。

2022年12月8日現在、基本的に家を美しく保ったままの生活が1週間以上続けられている。人生初。家を美しく保ったまま、しくしくとnoteを更新して、店も開けてるしサッカーも大概観戦して、ドレスコーズのライヴにもりさこのバレエにも行った。信じられない。
わかったことは家を美しく保つためには「時間を制さ」なければならないということで、それに大きく貢献しているのが「大幅な減酒」ではある。
酒を控えることにより膨大な動ける時間が生まれた。自分はロングスリーパーなので10時間ぐらい平気で寝るけど、稼働率は上がったのでなんの問題もない。

たまたまお揃いカラーだったとある日のりさことモカコ。笑。

ところでなぜプライベートなエピソードをこの「ひとかどアーカイヴ」で語っているかというと、それはこの数ヶ月の凄まじい赤字の中で店が生き残るということに焦点を当て、生き残り=勝者、と考えると、
我々は勝たねばならないからである。
昨年8月に発売した中島桃果子10年ぶりの単行本「宵巴里」に関しても初版800部は赤字で構わないが、赤字で構わない、という先に「重版を目指しその折には初版分も合わせた全ての経費を回収する」という目標があり、ここでも生き残るためにわたしは勝たねばならない。
個人事業主規模の飲食店は黒字になったって大した黒字ではないので(皆はわからないがイーディはそう)、つまり「宵巴里」は文学が云々とか芸術としての評価云々とかいうよりも端的に最終形態が黒字にならないと「イーディ女主人兼小説家」というわたしの人生、つまり生活そのものが行き止まりを迎えてします。そう、わたしは来年、勝たねばならないのだ。

その「勝者」を考え「勝つとはなんぞや」を考えたとき、
わたしの中では「運命の横パスに翻弄されないこと」であり、
そのために何が必要かといえば「暮らしと時間を制す」ことなのであった。

2002年に主宰した芝居のFlyer

2002年の日韓W杯の時に学んだのは「世界の渦巻にあらがわない」ということだった。W杯の最中に本番へ向かっていったこの公演は苦難の連続で、なんていうのだろうか、もしエネルギーというものが砂鉄のように可視化できたなら、W杯という巨大な渦巻(磁石)に向かって自身の肉体の表面や内側にあるエネルギーがすべて飛んでいくような、そんな体感があった。髪の毛すらもハリネズミのようになってそちらへ引っ張られていくような。
朝起きて自身の内側にエネルギーを灯してもあっという間に「得体の知れない何か」に全てを持っていかれてパワーが、使う前に出涸らしになる。

この経験以来わたしはオリンピックやW杯などの際には、自身の大きな活動を控え、そちらの渦巻の中で吸収できることを吸収する、という風にベクトルを変えた。そしてそのスタンス変更はわたしの場合正しく、多くの学びがそれらから得られた。スポーツを見ることき、わたしは五感をそばだてて、エネルギーの行方を見ている。そこいらのスピリチュアル番組よりも、エネルギーが可視化されている分、試合はよっぽどスピリチュアルだと思う。

特にサッカーには並並ならぬ思いいれがあるので、
より他人事としては観られない。

よく「勝てるのに負けた試合」って言われるものがあるけど、
その試合で「時」と「風」を掌握していたのはやっぱり勝った方のチームだと思う。コスタリカ戦がまさにそのようにわたしは感じたし、
モロッコはもうハイライトでも凄まじいエナジーを感じる。

で、横パスなんであるが。
持たせている時の横パスと、翻弄されてる時の横パスは、
守る側からしたらやっぱり全然違うよね。

シンプルに言うとイニシアティヴの問題なんだけど、

そんなことわかってるよ!って感じだよね。
イニシアティヴは誰もが大事だってわかってるけど、
イニシアティヴを「持つ」「持てる」状況に自信を持ってくのが難しいんだよな。

チーズを腐らせて捨てている。一番原価の高い食材なのに。

これはまさに自分の店のイニシアティヴを自身が持てていないことを大きく可視化する現象だと思った。もう千円売り上げる前に、まずチーズを捨てるな。仕入れの千円を無駄にするな。捨てるくらいならもっと早くお通しとか、またワイン頼んだお客さんとかに出してやれよ。
みんな嬉しいから、そしたら。

チーズを腐らせないためにはどうすればいいかを真剣に考えた結果「暮らしと時を制す」「師走だけど走らず」に方向を固めた。

お気に入りリンゴツリーはイーディの本棚に。

横パスってつまりは、本当は21時に入ろうと思っていたのに古い友人が突然19時に店に来てることがわかる、とか、閉店しようと思った時に来店したお客様の対応とか、すっごくパツパツの週末に飛び込んでくる昼間の用事とか、あー売り上げないから12月だけも朝まで開けて深夜帯頑張るべきか?
と考えたり、いっそ休日返上して店に立とうか、とか、そういう一見「頑張りどころ」とか「努力」とか「やる気と根性」と背中合わせのような現象。

でもそれは「持たせている横パスじゃない」って気づいたんだ。

だから翻弄されクタクタになり、深夜片付けまでで精一杯、食材や備品のチェックなどができないまま帰宅し、チーズを腐らせて捨てる。
洗濯もやって干してで精一杯、取り込んだらネルのカゴに放り込んで数週間分の衣服をどこかオフの日にまとめて片付ける。やることが溜まってるから、溜まったことをこなすので精一杯、気づけば10月の日報を書けないまま12月になり10月に一度来店されたお客様の再来店にベストを尽くせない。
(日報を書いとくと座っていた席やその時誰がいたかが頭に入ってお客様も”すごい!そんなとこまで覚えていてくれてるんですね”ってなるのに)

持たせているのではなく、持たれてしまってる横パス。

新刊もそう。新刊を抱えて昼間あちこち出歩くべきか、否か。
思いつく限りの「チャンス」に向かって毎日一冊ずつ謹呈するべきか、
否か。それをもっと突き詰めて考えないといけない。

今のわたしの答えは「否」である。わたしは専業作家じゃない。
赤字にあえぐコロナ禍を生き残らねばならん店を持つ女主人でもある。
それはわたしの戦術じゃないしそれに。

今回のW杯の日本の戦い、あのドーハの悲劇からの30年の一つの集大成をクロアチア戦で観て。感じたんだよね。

新しい世界というのは、こっちから飛び込んで行こうとして、仲間に入れてもらおうとしてもがいて広がるものではなく、
自身の足元をしっかり見つめて暮らしと時を制した時、
どこかへ出かけていかなくても地続きにそこに拓けているもんなんだと。

日本はクロアチアにPKで負けたけど。
あの試合はすでに新しい景色だった。
地続きのそこに、もう、かつて見たことない試合(景色)の連続があった。

暮らしを制し始めたわたしは、作った冬カレーに
冷蔵庫の奥でひっそりと息をしていたピクルスを添える余裕もある。笑。
それはお客さんを少し嬉しくし、うっかり期限がきて捨てられるピクルスの救済でもある。

新しい景色を、見にいくのではなく目の前に拓けさせる。
そのために半径3メートルの暮らしの全ての底上げを。
全てをくまなくまずは1センチずつでいい、底上げする。

何か大きなイベントを年末だからと組んで、その準備に追われて日々を置き去りにするんでなく、日々を底上げする。賞味期限の迫っている食べものはないか。仕舞い込んだまま活躍していないアイテムはないか。
日曜にたまに売れ残る栞珈琲の極上プリン🍮を、それを求めて一瞬で売り切れる日もある「極上プリン」を、ただ女主人が食べて終わる翌週を終わらせて、火曜に売らなくてもいい、上山くんにあげてもいいから、
誰かしらに提供する。

とにかく丸テーブルの上を物置化するのを廃止。

そう、半径3メートルの暮らしに徹底的にこだわれば、時を制すことができる。そうすれば横断歩道で走ることもないし、すっぴんで店に立つこともない。税務作業ができないまま売り上げ封筒が積み上がっていくこともないし、日報が溜まることもない。
(現在まだ10月を書いていますが、おそらく数日で消化されるでしょう)

時を制すればスターになれる。スターになれるというかスターが拓ける。

じゃあスターとは何か?
それは他者に光をあて、その光の反射でさらに眩しく輝く存在。
全てのものに正しく出番をあたえ、自身も今ここで輝く。
光をあててもらいに外へ出ていくのではなく、
まず”ここで輝き”半径3メートルをくまなく照らすのだ。

サッポロビールのCMのキャッチは「丸くなるな星になれ」だが、
今自分には「星になるな、丸くなれ」と言いたい。

2003年(23歳)/初代ポストカード

今自分が43歳の自分に言いたいことは「そこに居ろ」ということ。

空に飛ぼうとかしてる時間が運命の横パスタイムだから。笑。
空に飛ばなくてもその場所で光ってれば、いつか誰かがそれに気づく。

スターは自分から空に飛ばない。
スターはどこにいても発光してて、人が見つけにくるものだ。

(23歳の自分はあれでいいです、賞に応募してなかったら作家人生もない)

時を制し、ネイルにゴッホを貼ることもできた!

師走だけど走らず。暮らしの中に光を見つけて。
時を制すれば。

きっと勝てるだろう。
自分にも、運命にも。


2022.12.8/第22話「暮らしと時を制すれば」by ひとかどアーカイヴ

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