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月モカ!!vol.269「歯の根の話と、K192」

写真は敬愛する志磨さん(ドレスコーズ)のライヴにて。

<2023年のドレスコーズ>

もう火曜ですが昨日夜の7時に起きてしまったわたしにとっては今はまだ月曜なのだ。本当は今日の「月モカ」では歯の治療のことを書きたかった。
歯の治療とはまさに「邪気取り」なんだなという話。
手短に記すが(どうも歯ぐきが腫れているわ)と気づいたのがいつかな?
今年の春とかだと思うが、神楽坂から根津に引っ越してきてから歯医者が見つからず色々放置していた。
しかしあまりに歯が気になって常連の”エコ氏がみえもん”にオススメ歯医者を紹介してもらって歯の治療を始めたのが10月頃かなぁ?
それで腫れていた歯ぐきは「歯の根」の炎症のせいだとわかり「根管治療」という治療を2 か月かけて行った。これがもう、ちょうど10月31日の志磨さんライヴの前日くらいに一番山の治療があって10月末から11月は痛くて痛くて寝れないくらいだった。親知らず抜いた時より痛い。
それでなんというか色々思ったよ。
(この奥歯で噛み締め続けた”負の遺産”が歯の根にずっと溜まってたんだな)って。そしてそこに”邪”なものは吸い寄せられてさらに”負”が蓄積していたんだなって。

2002年、22歳頃に書き始めた「誰June」のスケッチ。

不思議なもので、この治療を行なっている間、ふっと大昔の記憶が浮かんでは走馬灯のように消えていくっていう感じの現象があって、なんていうんだろう、多分この歯を前に治療していたのって渋谷の円山町に住んで、この写真↑のフレイズや「JUNE」を書いていたころ、その頃わたしは23歳とか24歳とかで、銀座のディスコの黒服だった。なんだかその頃の”何か”が奥歯の底に閉じ込められ澱み汚れて、治療のたびに解き放たれる。
そんな感じがあってわたしは「歯医者って邪気払いの場所なんだな」と思った。そんなわけで「過去を断捨離」すべく、しくしくと歯医者に通うこと2ヶ月、年末最後の治療でようやく歯の根を綺麗にし終わり土台を立てるところまでいけて、あとは年明けに白いセラミックを被せて終わりということで、わたしの「痛みを伴う膿み出し」が終了した。
つまり2024年の中島桃果子って無敵!?

それで今日の「月モカ」ではそれを膨らませて語りたかったのだが、
今夜、夜の7時まで寝ていただけあって、年内に「K/192」や「がんこエッセイ」や「栞珈琲」を届けたいと思っていた人全てへのお手紙や梱包や発送をあらかた終えられたので(じゃあここでも一部抜粋を公開できるやん)てことになったので、年内最後の月モカは、中島桃果子の15年の集大成となるトリプルアクセル「K192」からお気に入りのシーンを抜粋しようかと思う。

              ∋ ∋ ∋
 
 ベドウィンの人たちが生まれたリワ砂漠のそばのホテルで、朝、コンセントに挿していた変圧器がボン、と一瞬の火花を散らして煤けた次の瞬間に肉体に入ってきた『生き死ぬるもの双方に光を与えよ』
この“ことば”にはそのとき音も響きも文字もなかった。なのに“ことば”は輪郭をすりぬけ肉体に入ってきた。わたしの中で何かを鳴らすように“ことば”は入ってきたけどことばの音がしたわけじゃない。だから、初めての体験だったにも関わらずそれが啓示エピファニーだとわたしにはわかった。音も文字も形もたないことば、葉に乗せる必要のないことば。それを発することができる存在がいるとするならそれは「世界」だろう。初めて聞いた「死ぬる」ということば。
死ぬる、とはどういう状態のことなんだろう。死にゆく、という意味なのか、死んでしまっている、という意味なのか。さっきまでただの朝食だった目の前のプレートすら一つの伝言に見えてくる。これから食べようとしている洋梨と、わたしに中身を貪り取られぐたりとしたバナナの皮が、砂漠のそばで朝陽に照らされながらわたしのことを見つめていた。フォークは寝返りを打ち、銀色のナイフは剥いた果物の果汁を纏い、白く光っている。
 あれから八年が経つけれど、今もまだ「死ぬる」の意味はわからない。じぶんのようなちっぽけな存在がそれら「双方に光を」与えることができるのかすらも、わからない。

 ただはっきり言えることはアラビヤであの“ことば”を傍受したことが、わたしの人生を変えたということだけだ。筆を持つ自分がどのようにすれば“それ”を成し遂げられるのか、考えながら自身の内側に深く深く降りてゆくうちに、売れる、という目標や、直木賞、であるとか、自身にとってとても眩しかったはずのものたちがどんどん半透明になり、見えにくくなっていった。小説家としてはゆるやかに下降していった。けれどこう、なんていえばいいんだろうか、下降し沈んで行ってるのだけど、もしその瞬間に世界を逆さまにすることができたら、逆さまの視点で見ることができるとするなら、わたしはわたしの中の真実の光にむかって、すこしづつ上昇していた。人魚が陸に憧れ、キラキラ光る水面に向かって顔を上げ泳いでいくように。
逆側の世界でわたしは絶筆していたけれど、こちらの世界ではとても多作だった。わたしは毎週新しい戯曲を書き、それを親友と小さいけれどモダンなジャズ喫茶で上演していたし、双方に光を与えるためのラララ記事も毎日書いていた。アラビヤから戻ってすぐに自身の小説家FBで始めた月曜エッセイもそこから四年はほとんど休むことなく毎週更新し、去年二百回を超えた。

 2015年から2018年までの間、わたしは過去最高に多作だった。けれど、逆の世界からみたわたしの活動は止まっている。
 わかっていることがある。メッセージには抗えない。“ことば”は絶対で、森羅万象にそれを見たら、わたしはわたしの思うその“ことば”の指し示す場所へ向かわなければならない。時にそれが、逆の世界から見ると怠惰に映る。傲慢にみえ、おごっているように見える。その献身が狂気にみえ、振る舞いを理解しがたく人は思う。

『Be witH』
 あの“ことば”の意味はなんだろう。ある日突然、店の二階の納戸の扉に銀色の色鉛筆で書かれていた。おそらくだけど、以前はなかった。誰からのメッセージだろう。納戸の扉を開けるとそこにトンガリ帽子の小人がスノーマンと一緒に座っていた。ひゃ。驚いたけれど、本物の小人ではない。この子たちは、クリスマスのオーナメントの名残り。けれど二人並んでこっちを眺めるその様、わたしに驚かれて、驚かれたことに驚いているその姿は、愛読していた「地下室からの不思議な旅」を思い出させた。扉の向こうに別の世界が続いており、そこから契約書を持って錬金術師とその子分がやってくる。なるほど、つまりは君たち、ヒポクラテスとピポか。じゃあ味方だな。
  味方からのメッセージだということはわかったけれど、ことばの意味はわからない。もちろん置いたのは自分だった。クリスマスが終わってすぐに箱に仕舞うのも君たち勿体無いね、もっと活躍してもいいよね、でも店の装飾というものはすぐに切り替えて今度は年越しに向かわなくてはいけないから、じゃあわかった、もうしばらくは扉の奥で過ごしていなよ。
そうして置いたものであったけど、いま自分はそれを忘れて君たちに不意打ちをくらった。ということはこれは君たちの意思。『Be witH』は地下室の向こうから。

〈そばにいる〉〈一緒にいる〉
どういう意味? 
その時わたしは「どんなことがあってもこの箱といなさい」という意味かなと思った。でもあれから三ヶ月が経って、数字はどんどん落ちてゆくし、まるで箱から「いちどここから離れなさい、その方がいいから」って言われてるような気すらする。どうして「その方がいい」のだろう?
 冷蔵庫からレッドグレープフルーツを取り出し、流しに立つ。小さなまな板を置いてザクザクザク、果物ナイフで小さな三日月を作ってはそれに齧り付いて果肉と果汁を吸い取る行為を、房の分だけくり返した。肺には柑橘が効くらしい。わかる。からだが主張している。今これを欲していると。
 そうだ自分はいま、肺炎なのだ。そしてこの肺炎は四年前の肺炎にとても似ている。そんなような気がした。自身が予想している明日とは百八十度違う明日が始まる前の、準備の肺炎。変態の肺炎。長く長く、深く深く眠らされ、その間に肉体と魂は次元上昇する。iPhoneのOSが寝ている間にアップデートされるように。前回は突然店が始まった。今回は一体何が始まるんだろうか。

 思えば大神島を訪れてから、まだ十日ほどしか経っていないのだった。けれどこの十日の間に自分は三年くらい生きたような気がする。3月20日、大神島、3月21日、宇宙元旦、22日、おひつじ座新月、この日に大谷が吠え、その夜大叔母が逝去した。
十四年ぶりの王座奪還の余韻に浸る間もなく新幹線に飛び乗り、ピアフを流して通夜を終えた23日から冥王星水瓶座時代の到来、そして肺炎。
 大神島を訪れるのは七年来の望みで、思えば「あの島へ行かなくては」と思ったのはアラビヤから帰ってきてほどなくしてのことだった。けれどもなかなか機会に恵まれず、この度、母が企画した宮古島ファミリー旅行のおかげで実現した。
 何もない島、いまの島民たちがその人生を終えたらゆるやかに閉島してゆく島。なぜこんなにも惹かれるのかはわからない。だから行ったら、わかると思っていた。きっとリワ砂漠のあの朝のように、歴然とした“ことば”が貰えると。
 予想に反して大神島は何も語ってくれなかった。
 けれど今、この流し台に立ち、グレープフルーツの果汁を啜りながら思う。何もないあの島に、なにもかもが多分、あった、と。
 
 目の前がなにも見えなくなるほどの土砂降り、空は靄がかって、空と海の境目もわからない。びしょ濡れになりながら、こんな豪雨では誰も登らない見晴らし台の上にひとり立った。最後までひとりきりだった。何も見晴らせなかったけれど、あの場所で出会った巨石と巨木は、わたしに何かを渡してくれた。渡して、は正確な表現ではないかもしれない。“ことば”とか“おと”とか“ひかり”に頼らず、森羅万象の中に生き、五里霧中でも、そこに何かを“自身で見る”ように、巨石と巨木は、いざなってくれた。
 つまりなんというか、人生初の待ち望んだ来島に島民が驚くような稀有な豪雨が衝突し、島を散策するどころか船着場にある待合の屋根の下で島の滞在のほとんどの時間を過ごしたとしても、自身が見ようと思えばそこに”せかい”を見ることができる。
 大神島を訪れたら必ず見るべき巨石群を見ることができなくても、
 わたしは島から“ことば”ではない何かを貰った。
 たしかにもらった。それはいま、このきゅうきゅうと音を立てる胸の中に、ちゃんと入っている。たくさん咳をしても、コロン、と飛び出してきたりしない、胸の奥の、深いところへ、それはいま納ろうとしている。
 あの島に、また行きたい。

 そうか、この炎症はそれか。肉体におさまりきらないような大きなものを、いま、小さな胸の中に迎え入れようとしている。“いま”を胸の中に大きく迎えいれることで石灰のような澱となった“過去”が心の内側、胸の内側で剥がれ、咳と一緒に体の外へ出て行く。砕かれた過去の小石が気管の中で「出ていかない」と抗い、留まろうとする。
 ああ多分、これは憎しみと怒りと悲しみだ。
 あの島で体内に吸い込んだ「とりとめのない何か」がそれを揺さぶり、わたしにそれを吐かせている。憎しみと怒りだから、熱をともなって、器官を焼いて、外に出てゆく。
 こんなことが少し前、あの箱、わたしのヴィンセントの中でも起きていたような気がする。その時わたしは、箱にとっての大神島だった。
ああ、もうすこしで何かがわかりそうな気がする。もうすこしこの感覚に、輪郭をもたせたい。
ふと電話のことを思った。電話のことも、この焼けるような新陳代謝の後に、この胸にストンと収まってくれるのだろうか。
わからない。あの電話のことがあるから、わたしと彼は、こう在れているのかもしれないし。処方された咳止めと抗生物質を口に投げ込み、コップの水で胃に流し込む。
この炎症を、止めないほうが五次元的にはよいのだろうけど、それをするのは三次元に帰属する肉体にとって「適切」な行動ではないから。
 

「K・ブランシェット192」より抜粋

                                  <2023/大神島にて>

引用中に写真が挿せなかったので文章のみになりましたが、そもそも小説というものはかくあるものだから、よいか。

全体はもっとPOPで文体も3種類くらい使っているので、全体を読むとまた全然違う印象だと思うけれど、クリスマス引きずってまだ”HOLY”なテンションなのでここを抜粋してみた。
傑作だと思うんだよな。
今回は他の版元から出したい(店が潰れないためには)。

Merry Xmas!!🎉🎄✨

それでは皆様、本年度もお世話になりました。
来年は「月モカ」を完全復活したいと考えております。
あと嬉しいお知らせもあるので、今しばし楽しみにお待ちください。

「K・ブランシェット192」が2024年に出版できたらアツイ。
(頑張る。総合的に)

それでは「歯の根の話と、K192」終わります(笑)
よいお年を!

(「#宵っぱりのモカ」もよろしくどうぞ!)

<月モカvol.269「歯の根の話と、K192」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


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