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体験と内観が好きすぎる私はもう不幸になれない

昨日、「気付いたら猛者になっていました」というメッセージをいただきました。

猛者とは何か?

というと、こちらの10,000字を越える記事を最後まで読んだ方を猛者と呼ばせていただいているのです(笑)

DMをいただいて、久しぶりに自分でも読み返してみました。

あのね、なかなか面白かったよ?
自分で言っちゃうけども。笑

2023年8月の時点でこの記事を書けていたのかぁと2024年1月の私は思うわけです。

なぜなら、その後の4ヶ月で怒涛の体験を日々重ねてゆくからね。


そしてね、自分史を改めて読みながら、ここ数ヶ月も振り返りながら思ったわけです。

私は体験するために生きているのだと。

これはもう、私だけではなくて、人類皆同じなのかもしれませんね。

中でも、私は体験がしたくてしたくてたまらないやつなんだなぁと実感したんですよね。

さらに、体験を語りたくなっちゃう性分なのだと。


金銭が発生せずとも、誰かが求めずとも、自発的に私は私の体験記を発表し続けているのだから、よっぽど好きなのです。(もはや変態的な領域で楽しめてしまうだとも思うのです。笑)

加えて、そんな私の体験記を見聞きし、共感したり、興味を持ってくれたりする方達と出逢えた時の喜びもすでに知ってるもんだから、「発信する一択」なんですよね。


もうここまで来ると、どんな体験も私にとってはネタや物語の一部になるわけです。

ネタというと体験の内容を軽んじているように捉えられてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。

体験した瞬間には、深く感動したり傷つくこともあります。それは自分ごとであっても、他人事であってもです。

それでも、時間の経過とともに、体験した私を俯瞰して見る私が現れ、内観が始まるんです。

俯瞰する私が現れるのか、体験した過去の私が現れるのか、今の私には上手く説明できませんが、どちらにせよ分離して客観的に見れる状態になる感覚です。

体験から感じたこと、気付いたこと、学んだこと、人に伝えたくなることを探すこと、言語化すること、文章化することが楽しくて仕方ないんですよね。

もう少し変態的な側面を露呈すると、さらにね、体験を通して知らなかった領域に一歩踏み入れた時とか、一見関係のないAの体験とB体験に関連性を見出して繋がりを感じた時とか、それが私にとって興奮することでもあるのです。心揺さぶるほどにね。


この、趣味と特技と性分とフェチが混在しているような体験マニアの私は、これからも様々な体験を通して内観していくのだろうと思います。

体験マニアで内観オタクな私に訪れる体験は何があるんでしょうね。

ここまでくると、もはや不幸なんて概念は消えてしまうんです。だってもう、何が起きても体験のひとつとなり、大好きな内観の題材になるのですから。


それでもね、悲しかったり、悔しかったり、怒ったり、辛い経験をされた時にはすぐには前向きに捉えられないのも私も分かります。

誰かに聞いて欲しいと感じることもあると思います。


どんな状態の時でもかまいません。

私のnoteを読んだ上でお話したいと感じてくださった方はぜひお話しましょう!

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