見出し画像

わたしは母を産んだのかしらん

小さい頃、わたしと母と姉の三人で川の字になって寝ていた。右から母、姉、わたし。率先して端っこの布団を希望したのは、ひんやりした壁にくっついて眠るのが好きだったから。よく壁に頬や片方の足の裏だけをひっつけたりして、布団の中の熱を逃していた。ちなみに大人になった今でも変わらず同じようなことをして寝ている。

それから何年かして姉は結婚し、家を出て行った。あんなに喧嘩をしたけれど、いつでもわたしのニ、三歩前を歩いてくれていた姉がいなくなったことは、妹としてはかなり心細かった。遊びも、勉強も、メイクのやり方も、何もかも姉の一挙一動を盗み見て学んだ。だからか姉がいなくなってしばらくは、寂しさに負けてたまに泣いた。しかしそんな妹をよそ目に、姉は涙を一粒も見せなかった。自室にあったまだ使えそうな家具だけ選び、要らないものは実家に残し、ほなね!と嵐のように去っていった。母は姉のあっさりした旅立ちに言葉も出ないというような感じだったけれど、それもまた姉の強さだとわたしは笑った。そういう姉の自由さをわたしは少し尊敬している。

姉がいなくなった寝室は、わたしと母の二人になった。川の字から次は数字の11になって眠った。端っこと端っこ。母はいびき、わたしは歯軋りをする。睡眠中のオーケストラには程よい距離感が大切なのだ。

ある日珍しく母より先に起きたわたしは、布団の中でただゴロゴロとしていた。自分の温もりと眠気が混じりの布団でゴロゴロする気持ちよさは、言葉にならない。しばらくしてもぞもぞと母が動き出した。そして寝ぼけた声で、「ママ?」とわたしに言った。ママ?!誰が?!と驚いて後ろを振り返ると、「あ。間違えたわ、ごめん。ママがいる思た。なんでママって言うたんやろ…頭寝てるわ……」とぶつぶつ言ってまた眠りについた。母の子ども時代のことは今まで何度も聞いてきたけれど、わたしの脳内での解像度はかなり低かった。一人で留守番をした話、川に自転車のまま落ちて流された話、木登りをした話。どれも誰か知らない子どもの話にしか思えなかった。しかしあの日ママと呼んだ母の背中はいつもより頼りなさげで、小さな子どものようだった。その日からわたしは母にも子ども時代があったのだということを、ちゃんと信じるようになった。

それから何年か経ってわたしも結婚し、家を出た。かつて四人で暮らした家に、母は一人で暮らしている。実家の一室が母と働いている事務所なので毎日顔を合わすが、それでも帰り際わたしの帰りを少し嫌がる。あと5分だけおったら?、天気予報観てから帰りーさ、この部屋暖かいし、もうちょっと温まってから帰りーさ等。そんな声を切り捨てて帰路につくと、別に悪いことはしていないのに少しだけ罪悪感がある。でも家を出たわたしにはどうすることも出来ない。わたしも母を一人にしたいわけじゃないし、もう少しだけ気を抜いて一緒にいたい日だってあるのだ。そんなモヤモヤを少しだけ消化しやすくしてくれるのが、仕事終わりに毎日作る母への夕飯だ。初めはダイエットのためにとお願いされたような気がするけれど、ダイエットが成功した今でも続けて作っている。基本的にリクエストは無いので、簡単なもので簡単に作る。豚肉と白菜のミルフィーユ鍋、ささみとブロッコリーの胡麻サラダ、ブリの照り焼き等。作り終え、最後に食卓に並べて一息ついた頃、母がやって来る。するとたまに「あ!今日これ食べたいと思っててん!うっひょひょーい!」と言う。うっひょひょーい!まで、本当に言うのだ。う〜れしいな、うれしいな♪と歌い出す日もある。少し気恥ずかしいので、せやろ。くらいしか返せないがその言葉を聞くとホッとする。

それと同時に少し不思議な気持ちになる。料理を作り、相手にそれを食べさせる。するとどうしてか親のような気持ちになってくる。親になったことはないのでイメージでしかないのだけれど、たあんとお食べと言いながら見守りたくなるようなそんな気持ち。料理を作る相手には無条件でそう感じるのだろうかと思い返してみたけれど、毎日作っている夫には同じような気持ちは感じない。もしかしたら母にだけそう感じるのか。思い返すと一緒に買い物に行った時にも同じような気持ちになることが度々あった。母のことを、姪っ子に呼びかけるようになぜか名前で呼びたくなる自分がいるのだ。一緒にいる時間が長いからフランクに名前で呼びたくなるのかもしれないと思ったけれど、いざ意識してみるとその感覚は至る所で現れるようになった。つまりわたしはたまに母のことを、小さい子どもを見るような目で見てしまっていたのだ。それってありなのか?自問自答しながらも、日々は変わらず過ぎていった。

先日仕事で母と一緒に外に出た帰り、「あの人とは前世でも知り合いやったような気がするわ。○○さんとは、家族やったような気がする。そういう人っているよなぁ。」と母が話し出した。その時今までなんとなくモヤモヤ考えていたことがスッキリして、わたしの頭の上に電球がピッカーンと輝いた。そういうことか!パズルのピースが埋まった時のような気持ちよさを感じた。ドキドキしながら母にわたしの思いを話した。「それ言うなら、わたし母のこと産んだことあるような気がするんやけど。遠い前世とかで。」突然スピリチュアルな話をされてさすがに動揺するかと思ったが、間髪入れず母はこう言った。「わたしもそんな気がしてたんや。」受け入れ、早っ。

真偽は分からない。でももしもわたしは母を遠い昔に産んだとして、それはそれは手のかかる子で、わたしはいつも心配だった。名前を呼ばないとどこかにふらふらと行ってしまうような子だった。最期この子を置いていくのは心配だなぁ、まだ死にたくないのにと思って胸が張り裂けそうになった。そうして死んだ。でもその後生まれ変わったら、なんと立場が逆転していた。かなりふざけた話だと自分でも思う。でも2割くらいほんまかもと思って、夫にだけ話したら茶化さずに話を聞いてくれた。ほな俺とは前世どうやった?と聞かれたが、分からんと返した。

最近母の訴えが増えた。ペットボトルの蓋が開かへん、買っておいたバターがあらへん、階段の上り下りがしんどい等。あとたまに同じ話をすることもある。見た目ではあまり分からないし、気も若い方だと思うけれど、母は着実に歳を重ねているようだ。わたしも自然と手助けすることが増えた。そうやって考えると、もしかしたら母を子どもとして見ているというよりも、子どもを守るように母を助ける場面が増えたんじゃないかとも思うようになってきた。

ふと脳裏に高校か大学で受けた哲学の授業で、先生が言ったなぞなぞが浮かぶ。「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何でしょう?答えは人間で、一日を人の人生に例えているのです。朝は生まれてすぐのことで、生まれたばかりは四本足。昼は成長してニ本足で歩くようになり、最後の夕は年を取ると杖をついて歩くようになるから、三本足。」だと。いやもし杖がなかったらまた始まりの四本足に戻るやん、朝は四本足、昼は二本足、夕も四本足なんちゃうのと思ったことを思い出した。もしかしたら歳を重ねると人は死に近付いていくというよりも、生まれてすぐの元の姿に帰っていくのか。そう思うと、母の老いも以前より受け入れやすくなった。

仕事終わり、いつもと同じように母が声をかけてくる。「もう帰んのん?キャベツ持って帰るか?卵いるか?」少なくとも今世では、わたしはあなたの子どもだ。もしいつかあなたが子どもに戻る日が来ても、わたしがあなたを守りましょう。でもまだもう少し甘えさせてな。帰り道、母からもらったキャベツと卵を両手いっぱいに抱き抱えながら、そう願った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?