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顔がいつも死んでいる夫に退職を勧めてみた

”転職”

夫にとってはあり得ない考えだったらしい。


平日も土日も、毎日毎日、職場に行く。

帰りは基本的に19時を過ぎる。

持ち帰りの仕事がある。


もしかしたら、これよりも多忙な労働環境に身を置いている方もいるかもしれない。

わたし自身、上に書いたような状況でも結婚を決めたのだし、多忙であること自体を否定するつもりはない。


ただ、夫の場合、


毎日顔が死んでいる。

朝めちゃくちゃ行きたくない。

頻繁にやめたいと思っている。

いつかこころ病むかもなどと言う。


これらのことが、大きかった。


短絡的かもしれないが、私の中に浮かんだ疑問は、

「なんでやめないの?」「なんで病むまでやらなきゃいけないの?」だった。

言うまでもないが、誰にでも、そんな言葉をぶつけることはおすすめしない。
夫が物事をとても熟考するタイプで、
「じゃあやめるわ」とは、ならない人だからこそ、言えたのだとは思う。


夫の答えは、

両親の期待。やめることに対する後ろめたさ。結婚しているから。というものだった。


結婚しているからと言われることは、私にとって不本意だった。

そんな理由になるために結婚した訳じゃない!と思った。

世間的には、結婚して身を固めたら安定しなければいけないのかもしれない。
ただ、あいにく、私にとっては安定した職業についていることは結婚相手の条件ではなかった。まいにち死んだ顔を見るくらいなら、よけいに要らないと思った。

個人的な見解だが、夫は、見事に学校教育が成功した例だと思う。

ちなみに、私は成功していない例だと思っている。

学校教育では、

「あきらめずに最後までやり遂げること」

「できなくても努力すること」

「困難に耐え抜くこと」

「他人のために奉仕すること」

「一つのことを長く続けること」

「根気」などがうたわれているのを目にする。

夫はすごい。全部できている。恩師からも褒められることばかりだ。

それなのに、どうしてこんなに苦しそうなんだろう。

そこで気がついたのは、逃げ方を教えてもらっていないのではないか?ということだ。

義務教育は、もちろん大切だ。
ただ、精神的な面については、こころが元気なひとがさらに上をめざすものにおもえる。
こころが元気でないときに、義務教育の教えを守ると、病む気がする。
わたし自身、義務教育の教えが染みついていたら、もっと自己嫌悪しているところだ。
「元気でいてくれることが一番だよ」
「ちゃんとできなくても大丈夫だよ」
自分にそう言ってあげることは到底できないけれど、他人にはよく言っている。
自分に言えないことを他人に言うのは、ずるいかもしれない。
そう思うと少し後ろめたいけれど、それでも伝えたい気持ちがあって、よく言っている。


自分の経験や巷にあふれている脱出経験談を見ると、自分を消耗させるくらいなら、死なない程度に逃げても良いと思う。

結果的に、夫は転職を選んだ。
不安はあるけれど、うれしいし、ワクワクしている。
わたしよりもはるかに情緒的に安定している夫なのに、逃げることについては、わたしの方が秀でているなんて、皮肉だけれど、今回は役立ったようだ。


このnoteでは、自立や苦しい環境から逃げること、生きづらさについても書きたいと考えている。
夫だけでなく、いま身を置いている状況に苦しんでいる人に、そこから離れることを考えられる一端になればいいと思う。


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