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きっと、支えられるほうがむずかしい

夫が仕事を辞める。
サラリーマンをやめて、職人になる。
わたしはそれを後押ししてきたつもりだ。
仕事をやめる選択。わたしはうれしい。

子どものいない夫婦ふたりなら、もっと縛られず、社会的な"正しい"にのみこまれず、好きなことをする姿を見たい。
ひとりだと職を失ったときのセーフティネットが少ないのでリスクが大きい。
でも、夫には、一応20万程度を稼ぐことができる妻がいるのだ。
好きなことをえらべるおもしろさを、少しでも増やしてあげられるならば、それはわたしの存在価値のような気がした。

それに、私が夫にとっての経済的なセーフティネットになれたことが嬉しかった。
もしも、私が彼との結婚をセーフティネットと捉えていたら。
もしも、結婚して、自立することを疎かにしていたとしたら。
私は彼にとってのセーフティネットになれなかっただろう。
仕事をしてきて、無駄じゃなかった。
結婚したことで、意図せずとも「養わなければいけない」を背負ってしまっていた夫に結婚して良かったと思って欲しい。
きっと、他にも何か背負っているのだろう。

わたしは背負われるより、すこしでもじぶんも背負っていたい。

さいきん、Twitterで
"愛情は注ぐよりも受け止めるほうがむずかしい"というツイートをみた。
ほんとうに、そう思う。
わたしは今、夫を支えられるじぶんに安心している。
すこしずつ、受け止める練習もしたいと思っているけれど、いまはまだ、支えられることがわたしの安心だ。







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