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生活という名の退屈

退屈な時間というものを私はあまり感じたことがないのだけれど、生活というものは客観的に見て退屈なものなのではないかと思う。

朝、起きていつもと同じ風景。暗い部屋。襲ってくる虚無感。いつになっても終わらない工事の音。散らかったまとまりのない部屋。お茶の入ったやかん。何もない冷蔵庫の中。朝いつも感じるのはこのようなことで、こんな中でどうやって他の人たちは「生きる」「生活」するということにモチベーションを保てているのだろうと10代のころからいつも考えているし、今でもそれは変わらない。

毎日イベントがあるわけでもないし毎日驚くようなことが起こるわけでもない。そんなことはわかっているのだけど、日々生活が意味もなく退屈に感じられてしまって私はとても苦しかったりする。そんな自分に最近気づいたのだ。何かを毎日に期待してしまっていて、それは何かを自分に毎日期待してしまっているということとも同じ意味でもあって。そんな心もちがわたしを苦しめているのである。

「生活」というものはそんなものだとみんな割り切っているのだろうか。わたしが期待しすぎているだけなのだろう。「生活」するということがただずっと続いている。ただそれだけの事実をわたしは受け止められないでいる。「生活」なんてそんなものなのだ。朝目覚めて、冷蔵庫に何もなくて、生ぬるいお茶を飲んで始まる毎日がわたしにとっての「生活」なのだ。それをどう面白がれるんだろう。別に面白がらなくてもいいのかもしれない。ただそれだけのことを真顔で淡々と過ごすだけでも合格なのかもしれない。ただそれだけの「生活」でいいのかもしれない。

今日も朝は暗くて、慌ただしく家から人が出て行く。自分の身体が重くて着ているものさえもだらしなくて嫌になってくる。そもそも「生活」というものはそんなものなのだろう。ずっとずっと続いていく。それは絶望でも希望でもなく、ただそこにあるものなのだ。それだけなのだ。

#エッセイ #生活 #cakesコンテスト #退屈





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