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なくなったら悲しいマスタード【ショートショート】

ビール!
ザワークラウト!
大きなソーセージ!

 この組み合わせ間違いない。ビールはできれば苦味が強くてアルコール度数ちょっと高めがいい。噛むと肉汁滴るソーセージにぴったりだ。このつまみと合わせるなら軽い飲み口のものではなく、重めで硬派なビールがいい。それと、忘れてはいけないのが添えられる粒マスタードだ!
 マスタードは本来はメインのソーセージの薬味扱いなんだろう。しかし、ぷつぷつとした食感、酸味が混在した辛みは単体でも存在感のある食材である。そしてこれがビールとも合う。ソーセージでお腹が膨れてきたところで、今度はマスタードを舐めるように、ぷつぷつ噛みながら、ビールを飲む。この独特な食材は強めのビールと相対しても負けたりしない。鼻から抜ける特徴的な香り、舌に残る軽快な刺激のおかげでビールがすすむすすむすすむすすむすすむすすむ。しかもほんのちょっとのマスタードで、ビールが飲めるので、胃もたれすることもなくビールを長く味わえるのだ。ビールを引き立たせるということではこれ以上最適なつまみはない。メインのソーセージとザワークラウトが無くなったって、マスタードがある。むしろマスタードと直に対面するチャンスが生まれるので、ソーセージが早くなくなることを心待ちにしている自分がいる。マスタードが影の主役なのだ。マスタードは本当になくてはならない存在なのだ

「だから何でお皿持っていっちゃったのーーー!!!残ったマスタードをつまみにビールあと2杯くらいいこうとしてたのに…」

 金髪ツーブロックの髪型の女が隣で悲痛な声をあげてテーブルに突っ伏した。
 会社帰りに寄ったクラフトビール専門店。今は20時半。もう2時間くらい俺は飲んでいる。一人で穏やかに飲もうと思ったのに隣がさっきから騒がしい。
 どうやら彼女が席を外した時に、つまみが残っている皿を店員が引き上げたようなのだ。しかしそれはメインのソーセージは食べ終えてしまった、一見すると空にしか見えない皿だったようなのだが。

「…なんで、美味しいものなのに、持っていっちゃうの。焼き鳥の味噌ダレとか…アヒージョの残ったオリーブオイルとか…全然あれで酒飲めるのに…食材も余らせなくてエスティーローザなのに…」

 多分最後はSDGと言いたかったんだろう。金髪の女は呪いの呪文のようにブツブツ独り言を呟いている。

「さげないで!って言っておかなかった私も悪いのよおおおおおおお」

 かと思えば突然金切り声をあげて喚きはじめる。俺に絡んだりするわけではない。しかし、本当に真隣、目の前でずっとこれは流石に鬱陶しいし、正直怖い。何とかしたい。謎の焦燥感に駆られて俺は、温くなったビールを一息に飲み干すと、意を決して彼女に話しかけた。

「お姉さん、俺もソーセージの盛り合わせ頼んでて、マスタード余っちゃったんだ。俺の食いさしで良ければどうですか?」

 女がこちらに向けた顔は酔いと悲しみに塗れてぐずぐずしている。

「違うの!あくまでソーセージとザワークラウトとマスタードの三位一体がなせる技なの。ソーセージとザワークラウトでお腹膨れてからのマスタードちびちび飲みがあるの!人からマスタードもらうなんて…調和を乱してしまう…意味が違うの、解釈違いなのよ!」

と言ってまたテーブルに突っ伏して泣き始める。うわーめっちゃ目いってた…怖っ。でも顔結構可愛い。こんな厳つい髪型でコレならシンプルな格好にしたらすごい綺麗なんじゃ?まあ、ファッションは本人の自由か…。彼女の迫力に俺があっけに取られていると、水がたぷたぷに入ったビールジョッキが目の前にどんと置かれた。

「はい、お冷。うるさくてごめんねー。この人いつもこーなの。毎回酔って同じこと言うんですよ。最初はマスタード残ってるなら下げないでおきますねー、ってこっちも気利かせてたら、いつまでも下げてもらえない私可哀想とか言いはじめてやっぱり泣くんですよ。もう面倒なんで、普通に下げちゃってます。他のお客さんに絡むなら問題ですけど、それは無いから出禁にするほどでもないし。遠巻きに見てる分には面白いし常連さん達も慣れちゃってね。面倒な愛されキャラみたいな。いなくなったらなったでなんか寂しくなるからそのままにしてるんです」

 そう言って店員のおばちゃんがキッチンに引っ込んでいった。そうか。何か周りのおっちゃん達、ニコニコしながらビール飲んでると思ったけど。まあ、確かに見た目は強そうだけど美人さんだしなあ。綺麗どころいた方が酒も美味しく飲めるか。
 先ほどの咆哮を最後に金髪美女は大分疲れたらしい。声を顰め、眠そうな目つきになってきている。ぼんやりした表情も綺麗だ…よく見たらまばらに茶色のメッシュも入れてる?ほんと癖強!見た目本当に厳つい女だなー。
 俺もあとつまみ無しで3杯はいけると踏んでおかわりを注文した。

(了)


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