見出し画像

「メガネ」がちがうから

勉強会に参加して最初の回に学んだこと。

人はみんなそれぞれ固有の「メガネ」をかけているのだと。

「メガネ」とは「ものの見方」のたとえ。

みんなそれぞれ育った環境はちがうし
経験した出来事もちがえば
出会った人もちがう
ちがった本を読み
ちがったテレビ番組の影響を受けて
ちがう仕事について…

だから、かけている「メガネ」もみんなそれぞれちがうよね、と。

私の母は
「朝食や夕食は、家族みんなが食卓について、出来立ての料理を食べる」
ことに強いこだわりがあります。

父の帰宅時間は午後7時から午後8時くらいだったので、
夕食時に家族が揃うことがそれほど難しくない環境でした。

父は割と自由な人で
もう夕飯時だぞ、というタイミングで、趣味の道具の手入れを始めたり、
何かしらの作業を始めたり…を平気でする人。

母が「ごはんよ」と声を掛けても、
手を休めることなく、食卓にも寄ってきません。

そして、母がブチギレる。
うちの実家の日常ですが、まあ、気持ちのいいものではありません。

そんな家庭で育った私は
「食事は家族みんなで揃って、出来立てを食べるもんだ」
と思っていましたが、夫はちがいました。

夫の実家は飲食店をやっているので、
夫が小さい頃から、夕飯時に両親は仕事で不在。
仕事の終わり時間もまちまちなので、
食事をとるタイミングはそれぞれ。
夜遅くまで仕事する義母は子どもたちが登校してから起床。
だから、子どもたちは自分で朝食の準備をする。
それが夫の日常。

結婚した当初は、夫が夕食をとれるタイミングまで、
私も食べずに待つことが多かったです。
私にとっては、それが当たり前だったから。

でも、夫に言われました。
「なんで待つの?」「先に食べればいいのに。」

最初はちょっとイラっとしました。
『せっかく待ってあげたのに』

でも、夫は私に一度も待ってほしいなんてお願いしたことはないし。
待つと決めたのは、私自身。
夫を責めるのはおかしな話。

気づきました。
「みんな揃ってが当たり前」が当たり前じゃないのだと。
そりゃそうか。

私と夫は、かけている「メガネ」がちがう。

じゃあ、同じ「メガネ」をかけるべきなのか?

これはそれぞれ考え方が分かれるところだと思います。

私は上のエピソードから
「あ、別に同じじゃなくていっか。」
と思い、今日に至っています。

その結果、
食事のときに食卓に家族が揃うか否かで揉めることはありません。
それぞれがそれぞれのタイミングで食事するので
変なストレスを抱えながら食事することはありません。

「家族だんらんは?」「出来立てのご飯がいいでしょ!」
という意見もあるかもしれません。

家族がコミュニケーションをとる時間は食事の機会に限りません。

我が子は、帰宅したら、基本しゃべりっぱなし。
そのどこかで、家族が全員居合わせることもあるので、
そのタイミングは自ずと家族だんらんになるわけで。

出来立てのご飯が美味しいと感じるかどうかはその人次第。
ありがたいことに、
夫も子どもも、ご飯ができたタイミングに関係なく、
美味しいものは美味しい
そう感じる人たち。
だから、我が家の場合は、出来立てかどうかを重要視しない。

それでも幸せを感じることは十分できると実感しています。

相手と「ものの見方」「考え方」がちがうこと
それは当然のこと(自分と相手はちがうのだから)
まずはそれを認める。

相手の「メガネ」を変えさせることはできない。
(自分と相手は別個の人間で、自分は相手ではないから)
相手を変えようとする→相手を支配しようとする
相手を支配したいのか??

相手を支配したいと思っているわけではない。
でも、
自分の考え方と相手の考え方がちがうということが
なんだかスッキリしない
できれば、同じ考え方でいたい
と思うなら…

変えられるのは自分の「メガネ」だけ。
そして、変えようと思うのか、変えずにいようと思うのか、
それを決めるのは自分。

相手との考え方のちがいに
自分自身の新たな考えを見出し、
自分の考えを相手の考えに近づけるのも1つの方法。

相手の考えと同じようには考えられない。
自分には自分の考え方がある。
そう思うのであれば、
『相手はこう思っている、そして、私はこう思っている』と割り切る。
そういう考え方もあるのだな、と。
相手の考えも、自分の考えも、正しいとか間違っているとかではなく、
ちがった考え方がある、と認めると、あまりイライラはしないかも。

長文失礼しました。
読んでいただきありがとうございます<(_ _)>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?