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メンタルが強いって?

ニュースを観ていたら、有名俳優さんが小学生の頃に強迫性障がいを発症し、未だに苦しんでいるという事を自身のSNSで告白した、というトピックを報じていました。

誰もが一度はTVやCM、映画等で観たことがあるような方、個性派俳優として、バイプレイヤーとしての存在感抜群で私も好きな俳優さんの一人です。
この俳優さんが強迫性障がいだった、という事も意外でしたがかなり長い間苦しまれていたことを想うと、そのつらさは想像が付きません。

昨今このように芸能人の方がココロの病に罹り、それを発表して活動休止するケースが増えている、と感じています。
有名人や影響力があるの方がこのようなことを発表することで、誰もがココロの病に罹る可能性があるといった周知がなされるのは良いことだと思っています。

以前はうつ病を始めとする「ココロの病」はココロが弱い人がなるもの、精神的におかしい人がなるものというイメージが強く、何か特別な病気として認識されていたり、罹っていてもそれを公に話す事が憚られるなど、マイナスイメージが強かったわけですけど、まだこういった風潮は令和の今でも残っていると感じることもある中、このように世間が知ることで「自分もこれかも」を気付かれる方が出て来るだけでも、公表して下さることにはその勇気に敬意を表したいと思います。

ココロの病はメンタルの弱い人がなるもの、と書きましたが私はこういう物言いが嫌いなんです。
メンタルが弱いって何?
じゃあ、メンタルが強いって?

この俳優さんの場合、自身のSNSで自身の言葉で自分の病気を公表しました。
こんなことってメンタル弱かったら出来ないのではないかな、と思ってしまいます。
むしろ今の自分のつらさをしっかりと自覚し、それを公表することでその病気と向き合う決意みたいなものが感じされて、むしろそれはメンタルの強さになるのではないでしょうか?

つまりメンタルが強いとか弱いって表現は、あまりアテに出来ないと思った方が良い、と考えられるのではないか、と思うんです。
むしろ「メンタルが強い」という表現は言いたい放題とか、やりたい放題とかわがままとか、傲慢というイメージを私は持っています。

言い換えるならこれらは自己肯定とか自己信頼と同義として使われているのかな、と考えます。
そうするとそれらは「バランス」が大切で、自己肯定だけでもダメだし自己否定だけでもダメ、という事になりますし、自己信頼が出来てなければ、これは「自信が無い」というコトバに現れますが、他者を信頼することも出来ず、その人間関係不全、コミュニケーション不全で抱える生きづらさのストレスからココロの病になる、という風に言えると思います。

メンタルが強いとか弱いという事はなく、そこに「自分」という存在を自分がどう見るか、出来る自分も出来ない自分もすべて「自分」として受け入れられるか、大切なのはそこにあると考えます。


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