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【連載】負けない 第6話

 それから、一年の歳月がたった平成十二年 春のある日、悦子のもとに、一通の手紙が届いた。

 差出しは弘からだった。
 内容も読まずごみ箱に捨てた。一年ほど前の時のことが思い出され、悦子は不愉快になった。
 なぜ今頃になって手紙を.…、まだ私に未練があるのだろうか。本当に嫌な奴だ。
 悦子は兄にそのことを伝えようかとも思ったが思いとどめた。
 今更未練たらしく手紙を出す弘の行為に腹が立った。
 しかし、その後二週間ほど経ったある日、弘からまた悦子宛てに手紙が来た。その手紙を開封することなくまたごみ箱にポイ。
 その後、三回、四回と、間を置いて手紙が来た。
 今のこの時代、手紙を書いて投函するとはあきれたやつだ。しかし悦子は弘が、なぜか愛おしくなってきた。

 五通目の手紙が来たとき、初めて開封して手紙を読んだ。
 この手紙が弘に対する今までの感情が一変する悦子であった。

《前略、悦子さん如何お過ごしでしょうか。春から夏に向かう季節の中で、貴方はさぞや多忙な毎日を過ごしているでしょう。僕がそう感じるのは、今まで何回も手紙を出しましたが、ご返事がないので、心配しています。
 その後、毅君に悦子さんのことを訊ねましたが、元気だよと言うだけです。
 僕のパートナーはやはり悦子さんしかいないことがハッキリしました。これからの世の中で、結婚して時を経て、お互い切磋琢磨し合いながら、家庭を守っていくことができ得るかどうかと、考えたことがありました。一生独身で生き抜くことが、僕にはできるのかも考えました。
 結局、結論は出ませんでした。当たり前ですよね。まだ結婚もしていないのですから。
 僕は、ただ単に貴方に結婚を申し入れているわけではありません。そのような浅はかな考えではないことをご理解ください。
 このような大事なことは、お会いしてお話することが本来のかたちだと思いますが、悦子さんから一向にご返事がないことですので仕方ありません。
 あなたからご返事がない中で、僕なりにじっくり考える時間が出来ました。 そのうえで、一度お会いしたい。ご返事をお待ちします。草々》

                
 悦子は、弘からの手紙を読み、感動するどころか正反対の感情が湧いてきた。

 なんなのこの手紙は! 私の気持ちをちっとも考えていない。一方的だ。
 この世の中、自分中心で回っていると思ったら大間違いだ。
 向こうが会いたいと言ってきているなら、会ってやろうじゃないか。そして、とことんやっつけてやろうじゃないかと、悦子の心に火が付いた。
 ふざけるんじゃないよ! そう感じるのと同時に、抑えようもないある感情が蠢きだしたのである。
 その感情とは、弘に対するある種の友情的な身近な感情だった。

 二日後、悦子は弘の携帯に電話した。
「読んでくれた?」
 弘の声だ。久しぶりの間の抜けた声だった。
「読んだわよ」
「悦子さん、来週の土曜日に会ってくれる」
「構わないけど」
 電話の向こうで嬉しそうな様子が伝わってくる。
「午後三時に新宿で」
「多少遅れるかもしれないけど行くわ」
「それじゃ」と弘が言い、電話は切れた。

 それから一週間後の土曜日の午後、新宿の人ごみの中、待ち合わせをした。
 喫茶店に入りお茶して、食事をした。
 悦子は会ったら、やっつけようと思っていたのだが何故か無口だった。
 お互い話すことは山ほどあったが、しかし何か理解し合う二人だった。
 二人でこうしているだけでいいのだ。

 半年ほどデートを重ねたある日、兄の毅に、悦子から弘とのことを話したのである。
 毅は薄々二人のことは分かっていたが、改めて妹から告げられると、多少の驚きと、何とも言えぬ喜びに慕った。

「幸せになってくれ」と言った。

 一年後、弘と悦子は結婚した。
 最初は、都内の安アパートからのスタートだった。
 二人は幸せだった。

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