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【連載短編】『白狐』4

 放課後のホームルームで、教師がもうすぐ始まる冬休みについての話をしている。
 年末年始はダラダラ過ごさないこと。家の手伝いもやること。勉強を怠らないこと。大体この時期に言われることは代わり映えのしないものだ。中学、いや、もしかしたら小学校からずっと、似たようなことを忠告される。
 俺の今の席は窓側で、外の校庭を眺めやすい。気に入っている席だが、外に近い分この季節は教室の中では寒い席になる。俺は洟をすすりながら、外の方をボーっと眺めていた。晴れ間がのぞいているが、冬の分厚い鉛色の雲が景色の奥の方に浮かんでいる。遠くの方へ羽ばたいていく身体の大きい鳥が2羽、強い寒風に体勢を崩されそうになっていた。
 ふと、白狐の噂について考えていた。検討すると言ったが、気がかりなことがいくつかあった。
 まず、清水がこの話に乗るかどうかが分からない。彼女はこの話を知っているのだろか。彼女もこの学校に入学して8か月程経っている。この話をどこかで聞いていてもおかしくない。しかし、俺も桐田から初めてその話を聞いたわけだから、知らない可能性もある。俺から提案するのは、彼女が怪訝に思いはしないか。
 二つ目。夜遅くに女の子を外に連れ出すのはいかがなものか。ここは確かに絵に描いたような長閑な田舎町だ。ここ1年、不審者情報など聞いたことがない。こんな町までわざわざ悪さしに来るようなやつなんて滅多にいないし、この町の住民にそんなことを企てるやつがいれば、瞬く間に話は広がる。
 しかし、いくら安全とは言え、女の子を夜中にあんな人気のないところに連れ出すのは気が引ける。俺も彼女のことは好きだから、彼女に変な気を起こしたと思われるのは御免だ。
 俺は窓の外をずっと眺めていた。さっきまで見えていた2羽の鳥は、もう俺には見えない。ずっと見ていたはずなのに、どこに消えていったのか判然としない。先生の話は、それについて造詣の深くない者にとってはどうとでも解釈できてしまいそうなクラシック音楽のようだった。
 そもそも——と俺は思う。永遠に結ばれる。永遠。それは少なくとも、今の俺には手に余るもののように感じる。桐田の言ったことが本当だとして、白狐を二人で見ることができたとしよう。でも、俺たち二人に、その永遠に続く何ものかを背負うことは、まるで現実味がない。仮に、将来俺が大人になれば、その永遠に結ばれるような関係性が現実味を帯びるようになるであろうという一般的な予測をもってしてもだ。
「……。な?神谷?」
 急に俺の名前が呼ばれた。俺は、その前になんの話をしていたのかはおろか、誰に呼ばれたのかすら認識できなくて、拍子抜けの返事をしてしまった。
「神谷。俺が何の話しよったか、聞いとったか?」
 クラス中の視線が俺に集まった。俺がずっと窓の外を眺めていたことに、先生は気付いていたようだった。
「まあええわ。後で俺がどんな話しよったか。誰かに聞いとけよ」
 クラスの内の何人かは、俺の方を見て冷やかすように笑った。俺は、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「はい」とだけ応えた。
 ホームルームが終わるとすぐ、俺は桐田のところに行った。
「お前、どうしたんよ? ぼんやりして。ま、いつものことやけど」
 桐田の質問は適当にあしらって、俺は話を切り出した。
「なあ、さっきの話やけどさ」
「ん? ああ、冬休みの学習計画は」
「ああ、いや。それじゃなくて」
 桐田は話を遮られ、俺の真意の汲みかねるといった表情をした。
「白狐のこと。ちょっと考えとって」
 それを聞くと桐田はどこか確信めいたような口調になった。
「なに、やっぱり気になりよるやん」
「いや、別にそういうわけちゃうけど?」
 桐田は表情を崩さず、俺の話の続きを待った。
「白狐見てさ、結婚した人とかっておるんかなって、思ってさ」
「やっぱり気になっとるやん」
「だから…」
 これ以上否定するのはやめた。確かに、気になってはいるのだ。からかわれるのが面倒なのは確かだが、俺も清水のことは好きだし、彼女のとの間に永遠の愛(自分で言っておいてこっ恥ずかしいけど)が実現すれば、それはそれで魅力的な未来だと思う。わざわざこいつの前で白状するつもりもないが、認めることにした。
「で、どうなん?お前はそういうの知っとる?」
「俺も噂程度にしか聞いてへんけど、何組かおるらしいよ。白狐を見て、結婚までいったカップル」
「そうか。白狐を見たのに別れたとかはないん?」
「俺は聞いとらんけど。まあでも、そういう人がいてもおかしくはないよな」
 俺はこれで話を切り上げようと思っていた。他の友達の何人かが俺たちに声をかけて教室から出ていく。俺たちもそれに応じた。今教室の残っているのは全体の3分の1くらいで。今日の日直が残りの仕事を片付けていたり、いつも下校時間ギリギリまで教室にたむろする連中が残っていた。
「やっぱり、行くん?沙雪ちゃんと」
 桐田がしつこく聞いてくる。
「うるせえよ」
 軽く桐田の頭を小突いて、教室の外に向かう。桐田も後に続いた。

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