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【連載短編】『白狐』11

 八尾君が現れたのは、同窓会がまもなく始まろうという時だった。
 司会の幹事が会場に呼びかけ、教員代表のあいさつと乾杯を促したとき、会場の後ろの派手な扉がひらりと動いた。
 細身の体にぴったりと合ったスーツを着て、短く揃えた髪をグリースで整えた八尾君の姿が現れた。遠目から見ても分かるくらい白髪が混じっているが、身体は50間近の男にしてはかなりほっそりとしていて、顔も若々しかった。
 歓談の時間になると、八尾君の周りには色んな人が集まった。約30年ぶりの再会という人もいるのだから、無理もない。
「お前、なんで顔出さんかったんや?」
「結婚したらしいな。嫁さん見してみい」
「仕事は何してるん?」
「ええ! 八尾君、覚えてないん? あの時さ…」
 八尾君は群がる男女からの怒涛の質問に答えたり、照れたりしていた。
 私は、川村郁美を含む女友達数人と喋っていた。途中で、女友達数人が先生に挨拶してくると言い残して、行ってしまった。その場に、私と郁美だけが残された。
「やっぱり、気になる?」
 郁美が声を少し弱めて聞いた。
「何が?」
「八尾君」
 その声には、学生時代の茶化すようなニュアンスはなかった。どちらかと言えば、保健室に行く友達を心配するような感じに近かった。だから私は「大丈夫」と答えた。心配する友達に一言かけるように。
 八尾君は相変わらず、色んな人に囲まれて、話しかけられ、たまに誰かから呼ばれている。高校卒業以来の長い時間が経った。その時間分、みんな彼と話したいみたいだ。
「でも、よく来たよね。八尾君」
「そうね」
「あの年齢になって初めて来るって、どんな感じなんかな?」
「さあ、聞いてきたら?」
「やだ、真奈美が聞いてきてよ。元カレなんやから」
 元カレ。これだけ時間が経つと、昔の恋人にそんな言葉をあてがうのが恥ずかしい気もした。事実を覚えているだけの私にとっては、特にそうだ。
「ねえ、息子さんは最近どうなの? 章斗君だっけ?」
「もう高校2年生よ。今日は彼女とどっか行くとか、帰りが遅くなるとか言ってたけど」
「ええ。もう彼女とかいるの?」
「生意気でしょ?」
「いや、そんなことないよ。さすが真奈美の子どもって感じ」
「どういうこと?」
 郁美はそれには答えなかった。
 会も中盤に差し掛かって、私はこの人混みから離れたくなった。
 ここにいるのは、さっきまで明らかに距離のあった人間たちだ。普段、会うことも連絡をとることもない、思い出すことさえなくなった人達。そんな人同士が、急に出会って、今では遠い過去になったたった3年間だけを頼りに思い思いの話に耽ることができる。その中で自分も同じように振舞っている。そう考えると、自分が今とても奇妙な場所で奇妙なことをしているような気分になる。
「ちょっと。すぐ戻るから」
 郁美にそう言い残して、私は会場の外に向かった。
 なぜか、さっきまでいた八尾君がいなくなっていた。

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