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北村早樹子のたのしい喫茶店 第16回「阿佐ヶ谷 gion」

文◎北村早樹子

 ずっと片想いしていた人がいて、彼はわたしよりふたまわり年上の人で、柄にもなく告白という儀式までして、振られたわけではないのだけど、男女の関係はないまま、よく飲みに行ったり、ずっと仲良しではある、という謎の関係を、もう何年も続けていた。
 わたしたちの間にはセックスだけがなかった。最初はやっぱり、恋人ではないんだな~ということが悲しかったけれど、でも別に、セックスだけが男女を繋ぐものではないし、会えば楽しいし、このままでもいいかな、と思いながら、離れるでもなく、適度な距離を保ったままでお付き合いしていた。
 彼はご結婚されているわけではないから、別に後ろめたい関係でもないし、わたしももう30歳を超えていて、彼も50代後半で、大人にはこう、はっきり白黒つかない関係というものも、あってもいいんではないかな、なんて自分を慰めていた。
 性欲というものが、お互いないのも問題だったのかもしれない。カマトトぶるわけではないが、わたしはなきゃないでも全然大丈夫なタイプで、それよりふたりの時間が楽しければええやん、といつも思っていて、そしてわたしがうんと年上の人を好きになるのは、そういうギラついた性欲が見えないからというのもあったのかもしれない。だから、これはうんと年上の人を好きになるわたしのせいなので、そもそもこんな年の離れた女に欲情しないでしょ、というのもわかるにはわかるので、たぶん彼は別に悪くない。
 そんな、少し靄のかかった恋愛を長年していた。ふたりで会うのはだいたい阿佐ヶ谷で、彼の仕事が終わるのを待っていたのが、この阿佐ヶ谷の喫茶店、gionだ。
 阿佐ヶ谷駅から徒歩1分。横断歩道を渡ってたこ焼き屋さんを過ぎれば、すぐに森のような木とお花に包まれた扉が現れる。看板にはネオンで『gion』という文字が緑色に光っていて、夜に見るとキラキラしていてとっても綺麗。ブランコの席があることで有名なこの喫茶店だが、わたしのお気に入りは右奥の窓際のふたり用席。何故なら、窓辺にとっても可愛いメルヘンな世界が広がっているからだ。
 窓辺を覗くと、色とりどりの造花がお花畑のように並んでいて、そこに猫ちゃんや小鳥など、小さな動物のお人形がひょっこり顔を出すように飾ってある。こんな、窓の外まで可愛い喫茶店、日本中探してもここしかない。マスターのキュートな遊び心に胸がときめく。

 テーブルにはそれぞれとっても素敵なステンドグラスのライトが置いてあって、コーヒーやお食事をあたたかい明かりで照らしてくれる。そして花瓶には美しい季節の生花がいつも生けてある。わたしの中で、生花が生けてある喫茶店に駄目な喫茶店はない。

 gionのメニューのまず何が好きって、わたしは最初から甘いアイスコーヒーが大好き。大阪ではレイコーと呼ぶアイスコーヒーは、だいたい最初からガムシロップがしっかり入っていて甘くて、おくちが子どものわたしでもおいしくてごくごく飲めちゃう。ちなみにgionでホットコーヒーを頼むと、生クリームかエバミルクかブラックかをウエイトレスさんに聞かれる。わたしのオススメはもちろん生クリーム。寒い日に、凍えながら入店して、ほんのり甘い生クリームがたっぷり乗ったウインナーコーヒーを啜れば、身も心もぽっとあたたまること間違いなしだ。

 他にも飲み物はとても種類が豊富で、イチゴジュースやバナナジュースはその場で一杯ずつミキサーにかけて作ってくれるのでフレッシュでとてもおいしいし、人気のクリームソーダ(gionではソーダ水のアイスクリーム乗せと頼みましょう)はスカイブルーとグリーンから選べて、アイスクリームはたっぷりふた玉、まあるく盛ってくれる。
 そして忘れちゃいけないのがナポリタン。gion特製のオリジナルナポリタンソースでしっかり味付けされ、中華鍋でこんがりと炒められたスパゲッティ。大きなハムが一枚、そのままドーンとお布団のように乗っかっているナポリタンは、結構スパイシーでやみつきになるおいしさ。お皿にはたっぷりのグリーンサラダと玉子サラダがついていて。これがまたおいしい! ちょっとお行儀の悪い食べ方だが、最後は玉子サラダをナポリタンに絡めて食べるとめちゃくちゃおいしいのでオススメだ。

 内装、ライト、トイレの中まで、何から何までキュートなgionだが、紙ナプキンもオリジナルの影絵がプリントされていて、おくちを拭くのが勿体なくなる可愛さ。わたしはこっそり畳んで本に挟んで持って帰ったこともある。
 ひとりのときは、実はカウンター席もオススメ。襟元にgionの刺繍が入った素敵な制服を着こなして、てきぱきと働く可愛いウエイトレスさんと、カウンターに座る常連さんたちの会話を楽しむのもまた一興。友人に元gionのウエイトレスさんがいるのだが、gionはマスターの教育理念で、一般的な接客マニュアルなどは敢えて用いず、みんなそれぞれ自分の気持ちを大切にし、自分の言葉で、思い思いの接客をしているそうで、仲良しの常連さんにはバイバーイと両手を振ってお見送りするし、仕事中ウエイトレスさん同士で私語もする。でもそのおしゃべりを聞くのも楽しいので、全然嫌な気はしない。寧ろずっと聞いていたくなっちゃう。わたしは読書するつもりで入店したのに、おしゃべりを聞くのが楽しすぎて、結局本はおなじページで止まったまま、なんてことも多々あった。
 定型文の接客が欲しければ、チェーンのカフェに行けばいい。わたしが好んで喫茶店に足を運ぶのは、人間のあたたかみを感じたいから。先日、某ファミレスに行ったら、猫の顔がついたロボットが料理を運んできた。ただ料理を運ぶだけでいいなら、ロボットで問題ない。これからどんどんそんな世の中になって行くのかな。でも喫茶店だけは、いつまでも、人間が作るあたたかい場所であって欲しいと、心から思うのだ。そう、gionの窓辺のような。

今回のお店「阿佐ヶ谷 gion」

■住所:東京都杉並区阿佐谷北1―3―3川染ビル1階 
■電話:03―3338―4381
■営業時間:9時~22時   
■定休日:なし

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。


■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

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