悔しくて泣いて、でも私は私で在ることを選びたいと決めた日。

昨日、私は身近な人を亡くした。父の双子の弟を、脳出血で。

込み上げてくる感情に抗わない一日を過ごした今日。苦しくて悔しくて、私は涙を幾度も流し、また零れ落ちていった。

身近とは言えども、私はその人とは対面したことが無く、こちらが一方的に、存じ上げていた程度。父の弟は、長らく引きこもり状態にあって、最近、ようやくそれについて、父らが動き出した矢先の出来事だった。

話を聞く限り、父方は、父の弟がそのような状態で亡くなったことを、周囲に知られたくないようだ。「引きこもり」と言う状態を、恥とでも思っているのだろうか。真偽は分からないけれど。

私はその部分に対して、悔しさを強く、滲ませているんだと思う。他人事だとは、どうしても思えないから。一歩違えば、私だってそうなっていたかもしれない。

そう思うとどうしても、それを恥だとされている(かもしれない)ことが、私にとってはたまらなく辛いし、悔しいと思っているのだと思う。


今日は終始、目が虚ろで、地に足が着いていないような感覚だった。両親は葬儀社さんとの話し合いで外出、弟は通学。

一人で家に居るとぼーっとしてしまう。だからこんな時こそいつも通りを心がけた。時に涙を流しながら、家事に精を出した。洗濯物を干して、料理をして、皿洗いをした。どうにかこなせた、と思う。

それと、アマプラでドラマを一気見した。いつもだったら集中力が無くてできないけど、今日は謎の集中力が発揮されて、見てしまった。「沈黙の艦隊」と言うドラマ。原作は漫画。映画や、アマプラでドラマに映像化された。私自身は、父親の影響でハマった。

「正義とは、自由とは何か?」と言った、大きな問いを投げかけられる作品。それぞれが持つ正義は、時に衝突し、平和を脅かす。


見入ったなんて言えば、聞こえはいいが、本音は、何かしていないと、気が狂いそうだったから。他のことをして、何とか気を紛らわしていただけ。

まあでも、まだドラマを見て、興味深いの意で「面白い」と感じたり、時にフフッと笑ったり、ぐっと掴まれるものがあったりと。それらを受け取ることができているから、私はまだ大丈夫な方、だと思う。否、そう思っていないとやってられん、みたいなところも、あるとは思う。どちらでもいいけど。


とは言え、打ちひしがれてばかりでもいられない。なぜなら私は今、ここに生きているから。時間は有限だし、誰にでも平等。

どんなに悔しさを感じても、泣いてもいい。それでも、私は私で在ることをこれから先も、選び続けたい。私は私を保ちたい。


読んでくださってありがとうございます。

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